新しい年になってから早くも一ヶ月が経つ。商業施設にあった正月飾りなんてものはとっくの前に撤去され、今では至るところにハートの風船やピンクや赤色の乙女っちっくな柄のポスター。所謂バレンタインの季節というやつだ。

「男バスって全員に配るの? だとしたら大変だよね」

 たまたまノブが私の傍にいない隙に言われたなっちゃんからの問いに間抜けな声が出た。主語が抜けている言葉の意味を理解するのに数秒ほど要したけど、なっちゃんのスマホ画面がその答えだった。

「お世話になってる先輩にだったら配ろうと思ってたけど……え、全員にあげるもの?」
「部によると思うけど……。引退した先輩はどうしてたのよ」

 先日引退したナオ先輩の顔がポンと浮かぶ。そういえばバレンタイン事情なんて聞いたことがなかったけど、ナオ先輩だったら部員全員に配っていそうだ。ここ最近お喋りできてなかったし、あとで連絡してみようかな。

「なーんの話?」

 どこからか戻ってきたノブは後ろから甘えるように私の首に腕を回す。こんなこと日常茶飯事だっていうのに、ノブの香りやぬくもりにまだ少しドキドキするだなんて本人はきっと想像すらしてないだろう。
 何も言わない私の代わりに説明しようとしたなっちゃんは、すぐに自身の口にチャックをした。別に内緒にしてるわけでもないからいいんだけど。

「ごめんなっちゃん。いいよ別に」
「あ、ほんと? バレンタインの相談してたとこだよ」
「おっ、俺なんでも嬉しーから!」
「……ノブにあげるものの相談とは言ってないよ?」
「……なに。俺以外の男?」

 極限まで上がってたはずの口角が一瞬にして下がり、首に回されてた腕にはぐっと力が入る。こうやってノブで遊んでしまうのは悪い癖だと分かってはいるけど、反応がいちいち可愛くて止められない。ある程度嫉妬させたあと真実を話せば「そういうことなら、みんな喜ぶしいいんじゃねーの?」と意外にも寛大な返答。

「意外。清田のことだから、義理チョコでも嫌だってごねるのかと思った」
「そんな心狭くねーよ。カナの本命は俺しかいねぇし」

 そうだけど。間違ってないけど。そんなに胸を張って言われるとこっちが恥ずかしい。さっきは他の男の可能性を察知するや否やむくれてたくせに、なんで今は自信満々なのだろうか。そんな疑問が視線となって伝わったのか、こつんとおでこをくっつけてきたノブは「違ぇの?」と妙に艶のある声で囁く。なにそれ。

「〜〜っ、知らない!」
「んだよ。やっぱそーなんじゃん」

 前言撤回。私がいまだノブにドキドキするってことを、この男はきっと分かってる。ここは教室で、目の前には友達がいて。こんな場所で翻弄される姿なんて絶対見せたくなかったのに。いつもの仕返しだと言わんばかりに「今日は俺の勝ちー」と楽しそうな声に何も言い返せず、その日の帰りは「ナオ先輩とデートするから」と言い放ち逃げるように学校を後にした。


***


 他の人よりちょっぴり奮発して買った去年や一昨年のチョコ。気持ちがバレないよう、でもみんなと同じじゃない特別なもの。そのギリギリの境界線に今年は頭を悩ませなくていい。正真正銘の本命チョコを堂々と渡せるんだと思うと今から心躍る。――が、いったい何を用意したら紳一は喜んでくれるのだろうか。
 そんな新たな悩みで頭がいっぱいだった時、タイミングよくカナちゃんからの連絡があって助かった。目の前でご飯をぱくぱく食べながら「さっそくお話聞けて助かりました〜」と喜んでる彼女にお礼を言いたいのは私の方だ。

「じゃあ毎年チロル配ったんですね」
「うん。部員多いし、お疲れって言いながら渡しただけ。ちゃんとしたの渡してお返しとか考えさせるのも悪いから、ご褒美みたいな感覚で」

 いろんな味の入ったバラエティパックをランダムで渡したり、お気に入りの味がある人にはそれをあげたり。さすがに武藤や高砂たちにはもう少しきちんとしたのをあげたけど、あれはあれでみんな喜んでくれていい思い出となってる。
 「チロルなら私も食べたいし、部員にも用意しよ〜」と通販サイトを物色しているカナちゃんに「ノブが怒んない?」とからかい口調で聞けば肩が不自然に揺れた。あ、なにかあったのか。
 今日のお昼にあったという一連のやりとりを頬を赤く染めながら話すカナちゃんは可愛かったし、照れる気持ちは痛いほど分かる。そりゃあ自分の大好きな彼氏に気持ちがバレバレなのは恥ずかしいうえ、正解を知っていながら試すようなことをするだなんて。

「今日はさぞご機嫌だったろうね」
「その通りです」
「なら、来週はカナちゃんがノブをびっくりさせなきゃ」
「え。でも渡すことはもうバレちゃってますよ」
「んー、渡し方……とか?」

 普段ノブが自分の理想や要望をどれだけ赤裸々に語っているかは知らないけど、これでも私はノブの恋バナ相手。きっとカナちゃんが知りえない情報の一つや二つあるかもしれない。私の誕生日が最高な日となるよう陰で全面協力してくれたお礼に今度は私が後輩のために頑張る番だと、頼まれてもいないがやけに気合が入る。

「ちょ、ちょっと待ってくださいナオ先輩!」
「え?」
「これ、ノブを照れさせるための作戦ですよね?」
「そうだよ?」
「いやいや! いまの全部私も恥ずかしいんですけど!」

 「カナにこんなことされたら〜。言われたら〜」と言っていたことを思い出しながら案として出し続けていたら、顔を真っ赤にしたカナちゃんに強制ストップをかけられた。えっちでハードなものは一応排除していたんだけどな……。

「ノブ……っていうか、男の子ってロマンチストだよね。漫画みたいなシチュエーションには憧れがあるみたいだよ」
「っ……も〜〜女子高生なの? あのワンコは……」
「あははっ、確かに。……でも、せっかくのバレンタインだよ?」

 私たちの席から見えるバレンタイン催事場のポスターには“女の子が想いを打ち明ける特別な日”と大きく書かれている。誰よりもノブのことが好きなはずなのに、そのことを滅多に口にしないカナちゃんにはぴったりな行事じゃないだろうか。
 私の視線の先につられたのか、カナちゃんはポスターを数秒見つめたあと「……やります」と意を決したように呟く。

「わっ、ほんと!?」
「ナオ先輩もやってくれるなら、やります」
「……え」
「“想いを打ち明ける日”ですよ。ナオ先輩だって、普段言えないいろんなこと言っちゃいましょう。そしたら牧さん大喜びですよ」
「っ、え、私は、一応それなりに愛情表現はしてる……と思うんだけど……」

 自分の顔に熱が集まってくるのが分かる。歯切れの悪くなった私を見て、今度はカナちゃんの表情が生き生きしてきた。「牧さんのためですよ? 絶対大喜びですよ?」と前のめりに言われるとつい心がぐらついてしまい――。

「さ、作戦会議……しよっか」

 付き合って初めて迎えるバレンタイン。高校最後のバレンタイン。それがこんなに緊張するものになるだなんて。女の子って本当に大変だ。