とある日の部活終わり。大きなポリ袋を持ったナオ先輩に処分するものがないかと尋ねられた。そういえば今月末に部室の大掃除があるって言ってたな。

「当日面倒が増えないように、せめて捨てるものは纏めておこうかなって。床掃除とか時間かかりそうだし」
「ありがとうございますー。不燃でもいいですか?」
「うん。不燃はこっちの袋ね」

 あるあるだとは思うけど部室は物置になりがちだ。放っておく部もあるのだろうけど、マネがいるのならそのへんは率先してやった方がいいんだろう。ただでさえバスケ部は有名なのだから。
 男子の更衣室も後で寄ったほうがいいのか声をかけるとナオ先輩の動きがピタリと止まる。「男子の方は……あとで牧に袋だけ渡しておくよ」と苦笑いを浮かべた先輩は明らかに何かを隠してて、それを“面白そう”だと感じてしまうのは悪い癖だろうか。上手に嘘がつけないのはナオ先輩のいいところでもあり可愛いところだと思う。きっと牧さんもそう思ってるはず。
 男子更衣室には数回入ったことがあるだけで、思い返してみればまじまじ見たことはないし特別興味もなかった。が、こんなあからさまに“なにかありました”みたいなリアクションをされては話しは別。
 「なにかあったんですか〜?」とナオ先輩の周りをウロウロしてると、言いにくそうに自分が一年のときの話をしてくれた。

「えぇ! 抜き打ち掃除とはまた大胆なことしましたね!」
「いや、ほんと、私もそういう頭がなかったというか、まさかその、そーいうのが置かれてるとは……」
「あ〜、えっち系ですか?」

 コクコクと頷いたナオ先輩は当時のことを思い出しているのか頬を赤らめながら口許を覆ってる。私としてはAVやえっちな雑誌を男子が見たり持つことに抵抗はないけれどそうじゃない女子だってもちろんいるわけで。
 「急に見たらショックですよね」とフォローをいれると、ナオ先輩は何かを察したのか「あっ、嫌とかじゃないの!」と慌てて何かを否定し始めた。あ、嫌じゃないんだ。

「男子だもん! AVくらい見るって分かってるし、抵抗というか、軽蔑するとかは全然ないんだけど……。その時のは当時の部長の私物で……なんか気まずさと申し訳なさで何も言えなくなっちゃって」
「なるほど。それから男子更衣室に入れなくなっちゃった感じですか?」
「そうなるね」
「えっ、じゃあ去年まるまる掃除してないんですか?」
「うん、私は……そのへんは牧とか高砂にお願いしてる」

 男子のなかでも綺麗好きそうな二人をチョイスしてるとナオ先輩は言ってるけど、いつも纏めて渡されるゴミは少量らしいし他人のロッカー付近まで手を出しているかは不明。今年からはノブもあの更衣室を使ってるのだからピカピカ状態とは思えなくて……。そこからは考えるより先に体が勝手に動き、気づけばナオ先輩の手を握りながら「行ってみましょう!」と口にしていた。

「えぇ!? 本気!?」
「今年は私も一緒なんで、万が一何か出てきても恥ずかしさ半減ですよ」
「そ、そういうもんなのかな……?」
「それに、今年の部長は牧さんですし。部員がそーいうの部室に置きっぱなしにしとくのとか、一番嫌がりそうじゃないですか」
「……確かに」

 去年放っておいた部室を綺麗にしたいという純粋な気持ちはもちろんあったが半分は興味本位。翔陽の藤真さんも「ピンクのシーブリーズを置いた」とか言ってたし男子だけの空間って何があるのか気になる。もちろん、えっちなものがあるのも覚悟のうえで。なにより面白そうである。
 そうと決まれば善は急げ。女子更衣室のゴミを袋に詰め込んだ私はナオ先輩の腕をとって男子更衣室へと向かった。


***


 部活後の自主練終わり。俺と牧、神と清田の四人しかいない男子更衣室はいつもより静かで、たまにする清田のでかい声がいつにも増して響く。

「ナオを待たせてるから、悪いが先に行く」
「おー。お疲れ」
「お疲れっす!」
「鍵は任せてください」

 牧の一言で「やべ、俺も急がねぇと」なんて慌てだす清田。彼女持ちは部活後も楽しそうでいいよなとは決して口に出さないぞと寂しさを紛らわしてると、ドサっと何かが落ちる音。その音は俺だけじゃなく他三名の耳にもしっかり聞こえたようで、全員が音の方向に視線を向ける。
 それは間違いなく牧がロッカーから雑に取り出したボストンバッグと一緒に転げ落ちたもので、その緑色の袋の正体を俺は知ってる。
 俺が気づいたのとほぼ同時に牧もその存在を思い出したのか、慌てた様子で袋を拾い上げたあと一人葛藤し結局床にポイ捨てしやがった。何してんだお前。

「お前なぁ〜」
「譲り受けた覚えはない」
「だからってここに捨てんなよ」
「なんすかそれ?」

 きょとんとしてる後輩二人の真っ直ぐな視線が居心地悪い。なんとなく牧と目が合うも、どうやらだんまりを決め込んだようで清田の視線は牧から俺へ。
 相手は男だしまぁいいかと「エロ本」となんのオブラートにも包まず正解を口にすれば、清田は驚きの声をあげその隣にいた神は「牧さんもそういうの見るんですね」なんてニコニコ笑ってる。

「言っておくが、これは俺のじゃないぞ」
「俺の友達が今日牧にあげたんだよ」
「じゃー、牧さんのってことっすよね?」
「牧さんにエロ本あげるって、その人もなかなか勇者ですね」
「押しつけられたんだ」

 後輩からすればまだまだ牧は堅物でそういうことに興味を示さない男としてのイメージが強いのかもしれないが、ナオと付き合うようになってからというものの同級生からの印象は大分変った。
 現にあの本を持ってた友人も「牧もナオちゃんといるときは嫉妬してたりイチャイチャしたり。結局ただの男って感じでなんか親近感湧くよなー」なんて言ってたわけだし。……親近感って。彼女もいないやつが何言ってんだって話だけど。
 兎にも角にも、その親近感とやらのせいでエロ本をプレゼントされるなんて思ってもいなかったであろう。一度受け取ってしまって返すタイミングをなくしたなんて実に牧らしい。そしてそれをさっさと捨てることができないでいるのも。

「見ました?」
「見、てない」
「あ、そのリアクションは見ましたね」
「隠すことねーだろ。別にナオにチクったりしねーから。つーか隠すと逆にやらしいだろ」
「……見た。少し」
「大丈夫っすよ牧さん! 彼女が一番なのと、こーいうの見ちゃうのは話が別っすから」

 胸を張っていうことでもないだろと心の中で清田にツッコみをいれてると、身支度を整えた神が床に放り出されていた袋を拾い上げ堂々と中身を取り出す。思い切りのいい神の行動に驚きつつ、表紙の女優と目がチカチカしそうなフォントと下品な言葉に全員目がいってしまうのはもう仕方のないことだと思う。
 ペラペラ中身を捲ってる神の後ろで興味津々に覗き込んでる清田。「あ、このAV女優最近テレビ出てた」など普通のトーンで会話を続けてる二人になんて声をかけたらいいのか。

「確かに。大好きな彼女がいる身としては、別枠って言うの分かるね。胸にこないっていうかドキドキ度が違うっていうか」
「そうっすよね! って、あれ、神さんもしかして」
「うん。見たことなかったからちょっと興味本位で。兄弟いないし」

 もう満足したのかエロ本は神の手から清田へと渡る。「ふーん」なんて言って顔色を変えず眺めているあたり初犯じゃなさそうだし、彼女持ちの余裕を感じられて腹が立つ。

「やっぱ彼女が最強で最高って再認識しちゃいますね。あとは作りがいかにも男向けって感じで、俺は萎えそうです」
「まぁ、そうだな」
「じゃー彼女大好きな清田はなんであんなしっかり見てんだよ」
「いや、もちろんカナ以上はないっすけど。こーいう恰好させたいなーとか、彼女に置き換えて見るの楽しくてつい」
「男である限り目がいっちゃうノブの気持ちも分からなくはないけどね」
「そっすよね。牧さんだって見ちゃうくらいなんだし、そこは仕方ないっすよね」
「お前らほど熟読してないぞ」

 ――そのとき、ガチャリと更衣室の扉が開く音で全員の肩が揺れた。続けて聞こえたカナとナオの声に体を硬直させたのはもちろん清田と牧。
 「ちょっとよろしいですかー?」なんて呑気なカナの声に非常によろしくないと返したかったが、そんなこと言って怪しまれたら終わる。証拠品をしっかり手にしている清田が終わる。
 カナとナオが完全に入ってくる前に手にしていたエロ本を隅の荷物置き場に放り投げた清田。目立ちはしないが奥底に隠せたわけでもないそれが見つからないよう咄嗟に背中で隠そうとする神。ナオの視線が余計な箇所へいかないよう饒舌に喋りはじめる牧。打ち合わせでもしたのかお前らと言いたくなるほど見事な連携プレーに腹を抱えて笑いたい。

「待たせて悪いナオ。さ、早く帰ろうな」
「こっちこそ急に入ってごめん。えっと、今月末の掃除のためにゴミ集めに来たんだけど」
「という理由で、抜き打ち更衣室チェックしにきましたー!」

 語尾にハートマークでもつきそうなカナの明るい一言に全員が絶望したのは言うまでもない。
 ここで無理に拒否すればそれはそれで怪しい。かといって何もしなければ、あんな分かりやすく乱雑した場所すぐに見つかってしまう。っつーか何で俺まで焦ってんだよ。

「ま、まぁアレだ。今日は遅いしよ。また明日でもいんじゃね?」
「せっかく大きいゴミ袋持ってきましたし。さくっと捨てられそうなのだけでいいですよ?」
「さっき先生に聞いたら、丁度不燃ゴミが明日の朝みたいなんだ」

 俺のアシストなんて出来のいいマネージャーたちには一切通じず「お邪魔しまーす」と楽しげに言うカナとゴミ袋片手にキョロキョロ辺りを見渡すナオを止めることは誰にもできない。
 案の定というかなんというか、壊れた傘なんかが置いてある隅の荷物置き場に進んでいくカナを見てどんどん顔色が悪くなっている清田。

「っ――、ナオ」
「わっ……どうしたの? 牧」
「〜〜っ、違うんだ」

 見つかる前にさっさと謝る作戦なのか、それとも素なのか。ナオの腕を掴んで離そうとしないのは、せめてあの下品な表紙を見せないようにしてるんだろうなというのは分かったがカナの「わ、本当にあった」という声によってそれも虚しい努力に。見つかんの早ぇ。

「えっ!? 嘘!?」
「ナオ先輩、希望を持たせるようなこと言ってすいませんでした〜」
「いや、カナちゃんのせいじゃないよ」

 まるでそういうものがあること前提での会話。え、なに、お前らまさか発掘しにきたの?

「ノブ〜。いくらこの前部屋で私に見つかったからって、部室に置かないでよね。怒ってないって言ったのに」
「真っ先に俺疑うのおかしくね!? いやいや、これに関してはマジで違うから!!」
「じゃー誰のよ」
「えっ……」

 必死な清田の視線は神、俺を通り越して牧の方へ。いや、まぁ間違っちゃいないけど真っ先に見たらそれは答えてるようなものだ。
 俺たちの視線を受けた牧はあからさまに慌てだす。それは肯定とほぼ変わらないというのに、ナオがいるせいか完全にテンパってるその様子はとてもじゃないが見てられなかった。……かといって俺が身代わりになってやろうという気にもなれず、それは後輩たち二人も同じなようだ。やっぱ我が身が大事だよな。
 牧の強張った表情やリアクションを見て「えっ、ほんとに……?」なんて呟いたカナの声が静かな部室に響く。肝心のナオはというと、カナの足元にあったエロ本をひょいと拾い上げたあと床に捨ててあった緑の袋に閉まって「なんかごめんね」と優しく微笑んでる。これは怒られるより精神的ダメージがでかいやつ。好き好んで所有してたものじゃないから尚更だ。

「ちっ、違うぞナオ」
「うん、分かった。その、全然大丈夫だよ! 男の子だもんね」
「だから違うぞ!?」
「うん、分かってるよ。あ、カナちゃん。武藤の言う通り、やっぱ今度にしよ?」
「えーっと……、あ、はい」

 外で待ってるね、とだけ告げ男子更衣室から出て行ったナオは終始笑顔で怒ってる様子なんてのはこれっぽっちもなかった――が。

「……なんか悪ぃな、牧」
「すみません。咄嗟に庇おうにも、リコちゃんに伝わったリスクを考えたら……」
「牧さぁん! ほんっと……本当すいません!!」
「……さっさと処分しなかった俺が悪いんだ」

 そう言って深いため息をつく牧の表情はそれはそれはしんどそうで、後で俺から真相を伝えておいてやろうと決めた。



***


 ――今日は厄日だ。
 昼にあんな雑誌を押しつけられたのもそうだが、あれが俺の所有物だと一瞬でも恋人に思われたことがこんなにも精神的ダメージになるとは思わなかった。
 あの後武藤がフォローをいれといてくれたと言っていたが、それがどんな内容なのかは分からないしそもそも俺のロッカーから出てきたものなのだからあの四人のなかで所有者は誰だと言われれば俺で間違いはない。他の誰にそう思われてもいいから、せめてナオにだけは知られたくなかった。
 二人で歩く帰り道。こんなに足どりが重いことは今までなかった。あの話題に触れないよう必死に喋るも内容がちっとも入ってこないとは情けない。
 ああいうものを女子はもちろんよく思わないだろうし、下手したら嫌われてしまう原因になるのかも。ナオに限ってそんなことはないと思いたいが、一度抱えてしまった不安を取り除くことは難しく変な汗が背中をつたう。

「紳一? 顔色悪いよ?」
「えっ、あ、あぁ……いや、その……なんでもない」
「……もしかして、さっきの? 気にしてる?」

 ドキンと心臓が鳴る。さっきのというのは間違いなくあのいかがわしい雑誌のことで。
 きょとんとしてるナオの表情を見るに本当に怒ってるわけじゃなさそうだが、その反応が逆に罪悪感と後悔の念を増長させる。

「武藤から聞いたよ〜。A組の男子に押しつけられたって。そんなこの世の終わりみたいな顔しなくても、私怒ったりしないのにー。ふふっ、災難だったね」
「いや、でもな……ナオ以外のに興味があって見たとかじゃなくてだな」
「……あ、見たの?」
「!?」

 俺はバカか。こんなに自分のしたことをマヌケだと思ったことはない。
 咄嗟に口許を閉ざしてしまったが、こんなものイエスと口にしたのと変わらない。もう今日は何もしても、何を言ってもダメな日なのだと腹をくくり「悪い」と謝罪の言葉を口にする。殴るなり蹴るなり好きにしろとぐっと目を瞑ると「ふ〜ん。紳一でも見たりするんだ」と呑気な声。
 なにか考えこんでるのか少しの沈黙のあと、右手を引かれ脇道に連れていかれた。街灯の光が届かない狭い通路で二人きりになったことを喜んでしまう己を必死で抑える。今からここでタコ殴りにされてもおかしくないのに、何を喜んでるんだ俺は。

「本当にすまん。いつでもいいぞ。覚悟はできてる」
「覚悟って?」
「……殴りたいだろ?」
「ぷっ……! そんなわけないじゃん」

 何かがツボにハマったのか近所迷惑にならないよう声を抑えながらケラケラ笑い続けるナオ。咳き込みはじめた彼女の背中にそっと触れさすってやると、今度は甘えるようぎゅっと抱き着いてきた。……さすがにこれは喜んでもいいだろう。
 「部室で言ったことは本当だから、そんな気にしなくてもいいの」と俺の背中を優しくリズミカルに叩くナオは俺を安心させたいようで、その優しさに気持ちが安らいだ。
 なんて出来た彼女なんだと強く抱きしめ返そうとしたとき「ただ」と呟く声に体が再度固まる。

「な、なんだ」
「……表紙の子が好きで見たの?」
「は……?」
「表紙の、上原U子ってAV女優」

 正直名前なんて覚えてないし酷いかもしれないが顔も曖昧だ。けれどナオは少しむくれながら「さっきチラっと見たから」という理由でどんどん女優らしき名前を出しては俺の目当てを当てようとしてくる。そもそも目当てなんて存在しないのだから無意味な行為だし、チラっとでよくそんなに覚えたなと感心した。……もしやこれは妬いてる、のか?

「まて。いないぞ。目当てなんて」
「じゃあ純粋にえっちなのが見たくなっちゃったの?」
「そっ、その言い方はやめろ」
「……タイプの子とか、好きで見た子がいるわけじゃないのね?」
「当たり前だろ」

 安心したように息を吐き「なら許してあげる」と俺の胸に頬を擦り寄せてくる目の前の恋人以外、タイプなんているわけがない。全部が見たいと思う女なんて――。

「否定派じゃなかったんだけど、紳一にも推してる子がいたりするのかなと思ったら……なんかモヤッとしちゃった」
「お前以外いるわけないだろ」
「へへ」

 ――あのいかがわしい本は明日丁重に返すことにしよう。
 嬉しそうに笑うナオの唇に自分のを重ね温もりを感じながら心に誓った。