大きい庭付きの一軒家。ここに訪れるのは今日で二回目。「今更なに緊張してんだ」と牧は隣で笑うけど、牧の家ってだけで緊張するのにこんなに豪華なお家だと二回目だろうが三回目だろうが畏まってしまう。
 迎え入れてくれたのは牧のお母さん。“お母さま”と呼んだ方がしっくりくるくらい品があって、さすが牧のお母さんだと見るたび思ってしまう。初めて会ったのは確か去年のインハイ予選。会場でばったり遭遇して、その時から既に私の存在を知っているようだった。

「ナオちゃん! いらっしゃい」
「お、お邪魔します!」

 有り難いことに私は牧のお母さんにえらく気に入っていただけてるらしい。
 前回初めて「家に来るか?」と誘われたのだけど、ずっとリビングでお母さんの質問攻めにあってしまったので、密かに楽しみにしていた牧の部屋へまでは辿り着けず終わってしまったのだった。これには牧も困ったような表情を浮かべてて、それが少し面白かった。いやでも、こうして笑顔で受け入れてもらえるのは非常にありがたい。

 玄関で靴を揃えたあと、ぐいと牧に肩を抱かれて体が固まった。え、ちょっ、お母さんいるのに何を。

「今日は部屋に連れてくからな」
「やだ。この前のことまだむくれてるの? ごめんねナオちゃん、私つい嬉しくて……」
「い、いえ! 私も楽しかったです!」
「ナオちゃんは優しいわね。紳一ちょっと面倒くさいとこあるけど、今後ともよろしくね」

 「こちらこそ、よろしくお願いします」なんて咄嗟に出てしまったけど、これじゃまるで結婚前の挨拶のようで顔から火がでそうになる。そうなったら嬉しいけど、私たちはほんの数週間前にやっと付き合い始めたというのにいくらなんでも気が早い。
 あぁ恥ずかしいと顔をぱたぱた仰いでると、その姿をばっちり牧に見られてしまいハっとする。

「ふっ……かわいいな」
「っ――そ、そういうこといちいち口に出すのやめてって!」

 声を押し殺して笑う牧についていくと、初めて訪れる牧の部屋が視界に広がる。全体的に統一された色の家具はどれもシンプルで、必要最低限のものしかないのが実に牧らしい。だから勉強机の横に置かれてるバスケットボールが目立つ。小さいころからあのボールで練習してきたのかなと、私と出会う前の牧を一瞬想像してしまった。もう少しお母さんと親しくなったら写真とか見せてもらえないかな。内緒にしないと怒られそうだけど。

「なに見てんだ?」
「いや、シンプルな部屋だなって」
「つまんないだろ」
「そんなことないよ。牧らしくて、私は……」

 「すごく好きだよ」と言おうとした台詞が宙ぶらりんになる。日頃からスムーズに愛情を伝えてくれる牧のように私もサラリと口にできればどんなにいいことか。
 口ごもる私を見て察したのか、面白そうに笑ってる牧はどんどん私を壁際に追いやる。こうやって逃げられないようにしてから囁くのは牧の悪い癖だ。

「私は?」
「と、とてもいいと思います……それと近い、よ」
「ナオ、ちゃんと言え」
「っ、す……き、です」

 よくできました、と言わんばかりに頭を撫でられる。牧の部屋で二人になるという時点でいろいろ覚悟はしてたけど、こんな調子で大丈夫かな。全国の女の子は彼氏とどうやって過ごしてるのか今すぐ調べたい。カナちゃんやリコちゃんは一体どうしてるんだろう。心臓が壊れたときの対処とか教えてもらえないかな。
 心臓をぐっと抑えてる私とは真逆で、何事もなかったようにケロッとしてる牧の横に腰を下ろす。背もたれにしてる大きいベッドにもいちいち過剰反応してるのがバレたらきっとすごく意地悪なことを言われそうだったから、それだけは顔に出ないよう耐えた。大丈夫、いつも通り。こうして隣同士に座ってお互い寄り添うことにだって最近慣れてきたんだから、やればできる。

「え、牧ってゲームするの?」
「は?」

 ふと目に入ったのはテレビの下にあるゲーム機とソフト。参考書やバスケ雑誌しかない部屋に置かれていたそれは妙に目立ったし、なにより牧がゲームを持っていることが意外だった。

「ゲームというか、DVD見るためにな。従弟からもらったんだ」
「なるほど。NBAのとかあるもんね」

 ソフトはその従弟からオマケでもらったらしい。パッケージを見ると有名なレースゲーム。牧がかわいいキャラクターを操作してる姿を想像したらちょっと面白くなって、つい出来心で「やってみない?」と誘った。

 本当にゲームをやったことがないようだった牧にはコントローラーの説明から。ここまで何もできない牧を見るのは貴重だしそれを全て私が教えてあげてるんだから、これはなかなかできない体験だ。まだ始まってもいないのに面白い。あとでこの様子をバスケ部のLINEに流してしまおうかな。

「大丈夫そう? とりあえずやってみる?」
「あぁ、多分大丈夫だ」

 そう言っていたものの、結果としては当然経験者である私の圧勝。ゲームシステムやコースを理解する早さは流石の一言に尽きたけど、やっぱり手元の操作に不慣れなようで何回かコースアウトしてた。
 牧に何か勝負事で勝てるなんて最初で最後かもしれない。調子に乗って饒舌になってる私を見て牧は少し悔しそうだ。すごく気分がいいし、なにより牧がかわいい。

「これだけ一緒にいて、初めて牧に勝てる要素見つけちゃった」
「まだ一勝しただけだろ」
「じゃあもう一回してみる? 今の感じ見てると多分また勝っちゃうよ」
「ナオ、お前随分機嫌がいいな」
「だってー。こんな牧の姿なかなか見られないもん。もし万が一、牧が私に勝てたら何か言うこと聞いてあげる」
「……言ったな?」
「その代わり、私が勝ったらその逆だよ?」
「ああ、分かってる」

 それだけ言うとテーブルに置かれた二人分のコップを持って「ちょっと待ってろ」とおかわりを持ってきてくれるようで、牧は部屋を出ていった。
 その間、武藤と神とノブと私の恋愛相談所グループに“牧テレビゲームで苦戦中。激レアでかわいいからあとで送る”とだけ書いた。写真か動画でも撮っておかなきゃ。
 次はどのコースで遊ぼうかなと画面を見てると牧が戻ってきたようで静かに扉が開く。新しく冷たいお茶が注がれたコップをテーブルに置いたあと「じゃあ二戦目始めるか」とサラリと口にした牧は……え、ちょっと待って。

「どっ、どこ座ってんの!?」
「どこに座ろうと俺の勝手だろ」

 さっきまで横に座ってたはずの牧が腰かけたのは私と私の後ろにあるベッドの間。所謂後ろから抱きしめられた状態だった。私のお腹あたりでコントローラーをしっかり構えだす牧は「早く始めろ」とやる気満々だ。卑怯者……!

「狡いよ! こんなの集中してできるわけないじゃん!」
「こうしちゃいけないルールなんてあるのか?」
「な、ないけど……聞いてない!」
「敵に作戦を教えるバカがいるか」
「作戦って……ゲームくらい楽しんでやってよ!」
「何言ってんだ。楽しんでるだろ」

 ふっと耳元にかかる息のせいで腰のあたりがぞくぞくする。ギャーギャー騒ぐ私を「はいはい」と受け流し無理やり始めた二戦目は散々な結果。だって、自分が抜かれそうになるたび私の肩に顎を乗せわざと耳元で喋ってくるのだ。私がそれに弱いということを知っててやってるから余計腹立たしい。しかも全部どうでもいい内容。

「威勢がよかったのは最初だけだな」
「っ……もうやだ、牧とゲームしない」
「それはいいけど、約束は守れよ」
「は……?」
「言うこと、聞くんだろ?」

 顔から血の気が引いた。だって牧があまりにも悪い笑みでこっちを覗き込んでたから。調子に乗って交わした約束はあまりにも迂闊で数十分前に戻ってやり直したい。
 二人分のコントローラーをぽいっとベッドに放り投げた牧は、空いた手でしっかり私を抱きしめなおしてきた。やばい、心臓がバクバクいってる。

「名前」
「――え?」
「名前で呼べよ。せめて二人のときは」
「っ――!!」

 一気に耳まで赤くなったんじゃないかというほど顔が熱くて、つい目を逸らしてしまった。二年半一緒にいてずっと呼んできたのに、それを今更名前だなんて。彼女なんだから当然といえば当然かもしれないけど、自らそういうモードに切り替えるみたいで死ぬほど恥ずかしい。

「よ、呼ばれたい……の?」
「そりゃ、好きなんだから当然だろ」
「まって、深呼吸するから」
「ふっ……笑わすなよ」

 だから、全然笑い事じゃない。こっちは牧に対していつだって真剣なのに、いつもそうやって面白がる。私ばっかりからかわれて癪だ。意を決してキっと向き直ると「おっ」と牧が口角をあげた。

「し……しん、いち」
「あぁ、なんだ?」
「…………好きだよ、紳一」

 ちょっとびっくりさせてやろうと思って言った最後の一言はさすがに恥ずかしすぎて目を逸らしてしまった。ちゃんと言いきれたことに安堵して視線を斜め後ろに戻すと、大きな手で口元を覆ってる牧の姿があった。もしかして、結構嬉しかった……のかな?

「それは、クるだろ」
「え?」

 牧の低い声がしたと思ったら、すぐさま横抱きの姿勢にされ同時に唇を押しつけられた。ゆっくり離れた牧の顔が僅かにピンク色に染まってるような気がした。

「ずいぶん豪華なオプションがついたな」
「そ、それはこっちの台詞……」

 その日の夜“結局ゲームする牧は撮れたのか?”という武藤からのLINEに赤面してしまった私は、それ以上何も送ることができず既読スルーをすることになった。また神に何か言われてしまう。