満開だった桜の花びらの大半が風に吹かれ落ちていく。あんなに鮮やかだったのに、今じゃ地面の上ですっかり汚れてしまっていてなんだか可哀想だ。
 なんで私がそんな様子をボーっと眺めているかというと、職員室に提出物を届けに行ったノブを待ってるからだ。いや、ほんとなんで私が?

「わり、待たせた! 部活行こーぜ」

 勢いよく入ってきたノブは朝一のテンションを持続したまま元気である。むしろ部活前だからもっと元気かも。

 入学してバスケ部のマネージャーになった私が、同じ一年で、しかも先日スタメン入りを果たしたこの男と仲良くなるのはごくごく自然な流れだった。だけど、部活に行くのが毎回一緒だと、なんかこう、なんで?って疑問がでてくるのも自然な流れなはず。なのに隣を歩くノブはいつも通り上機嫌そう。

「教室でも部活でも一緒なんだから、別に私が先に行ってたっていいじゃん」
「教室でも部活でも一緒なんだから、別に俺と一緒に行ったっていいじゃん」

 空いた口が塞がらん。別に嫌なわけじゃないから、そう言われちゃ何も言えない。

「カナと一緒だと楽しいしな」
「うんうん、ありがとうね。私も楽しいよ。でもちょっと離れようかノブ。暑いから」
「言うほど近くねーじゃん」
「近いよ」

 パーソナルスペースって言葉知ってるのかな。それにしても、いつからこんなに懐かれたんだろう。
 入学して一ヶ月とちょっとの間で私たちの関係は飼い主とペットのようになっていた。目立ちたがり屋で愛情表現がストレートでちょっと世話の焼ける大きなワンコ。いや、小さい頃犬を飼いたいと両親に強請ったことはあったけどさ。
 少し面倒なときもあるけど、なんだかんだ懐かれて嫌な気はしないし、可愛いことに変わりはないから結局今日もノブの頭をよしよしと撫でてやることになる。私が背伸びをしなきゃいけないのは癪だけど。



 ”うちのバスケ部の練習はハードだから、マネージャー業務も少し大変なんだ”と、入部してすぐ三年マネのナオ先輩は私に言った。けど、私の思ってた”少し”を逸脱している。
 マネってこんなに大変なの?こんなに汗かくなら私痩せちゃうんじゃない?やったー、なんて具合にいいことを考えてないと最初のうちは挫けそうだった。でも基本的な仕事のやり方さえ覚えてしまえば、あとは多少手を抜きつつ頑張ってればどうにかなるもんで、入部当初に比べれば大分コツが掴めてきた。

「カナちゃん容量いいから仕事覚えるの早いね! 私が引退したあともこれなら安心だ」
「え、まだまだナオ先輩にはいてもらわないと困りますよ。冬まで残りましょ」

 現状二人で分けてる業務を、去年までナオ先輩だけでやっていたのかと思うと尊敬しかない。なんとなく始めた人間なら確実に挫折する。
 本人に言ったら「スタメン以外の部員や一年生も手伝ってくれてたから、言うほどじゃないよ」と笑ってたけど、それにしても凄いと思う。

「ナオ、ちょっといいか?」
「あ、牧。もしかしてこの前の練習試合のスコア? 見る?」
「あぁ、助かる」

 首にかけたタオルで額を拭う、そんななんてことない仕草なはずなのに、それが牧先輩というだけで圧倒される。
 最初見た時はあまりの迫力に口が開いてしまったけど、部活以外の面を見ていくと意外や意外。すごく優しいし、なんなら結構天然で、言うこともすることもぽやんとした可愛い人だった。

 前回のスコアを見ながら真剣に話す二人を交互に見れば見るほど思う。強豪バスケ部キャプテンと同級生の美人マネージャー。息はピッタリだし、休憩中の何気ない雰囲気が抜群にいい。
 こんな絵に描いたようなカップルが実在するもんなんだな。そう思って先日女子更衣室で聞いた「先輩たちはいつ付き合ったんですか?」という質問に対し返ってきたのは、ものすごい勢いで照れまくるナオ先輩の否定の言葉だった。え、嘘だ。あんな交際歴二年みたいな雰囲気だったのに。
 牧先輩もナオ先輩も部活に対する意識が高い。それが仲の良さに繋がってるのかもしれないし純粋にすごいなぁと思うけど、色恋に興味がある女子高生としてはモヤモヤする。

「告白しないんですか? 最後の高校生活ですよ?」
「っ――、カナちゃん、部活中!」
「今女子だけなんで誰も聞いてませんって」
「…今年で最後だからね。やっぱ牧にはバスケ集中してほしいし、それを傍で支えられるのが今は嬉しい、かな。」

 ヘラっと笑うナオ先輩の頬は僅かに紅潮してて、なんて健気なんだと言葉が出なかった。二人の志はそれはそれは立派だけど、あのようないい雰囲気を何度も見てる方としてはいささかじれったい。

「カナちゃんこそ、ノブと付き合ってるんでしょ? 今度話聞かせてよ」
「え、付き合ってないですよ」
「え!? でもノブ、好きだよーって言ったり……」
「まぁ、あれはなんというか。飼い主とペットというか、外国式挨拶というか、多分そういうことかと」
「気軽にそういうことするかなぁ? 本気っぽい気がするけど……」

 部活終了の時間がやってきて監督の集合の声がかかってしまったため、そこから先の話はできなかった。真剣な顔をしてるノブはいつも駆け寄ってくる姿とは別人だ。そのギャップはちょっと狡いと思う。
 「っしたー!」と体育館に響く低い声を合図に私たちはモップがけをちゃっちゃと済ませたり使用した備品等の片づけをしたり。そういえば今日は私が日誌をつける番だったなと思いだし踵を返すと、体育館の扉に背を預けるノブが視界に入った。

「送る」
「えっ、支度済んだなら先帰りなよ。今から日誌書かなきゃだし」
「カナちゃん、今日は私が担当しとくから先帰りなよ」

 ナオ先輩はくすくす笑いながらそう言うけど、さすがに申し訳なさすぎるし、なんとなくあの話のあとノブと二人きりにされるのは気まずい。それでも「明日早く帰れると助かるから、明日の日誌変わってほしいな」とお願いされてはもう断ることはできない。

「お前ら何してんだ、こんなところで」
「ごめん牧。ちょっと遅くなっちゃったから、カナちゃんの日誌今日は私が変わるよって話してただけ。ノブ、ちゃんと送ってあげてね」
「りょーかいッス!」
「ならナオ、お前は俺が送ってく」
「えっ」

 体育館の鍵をくるくる回してる牧先輩は当然のように言った。本当に、これで何故付き合ってないんだ?



 部活後の帰り道が一緒になるのは初めてじゃないけど、なんか今日はやけに緊張する。部活中の話もあるけど、なによりさっきからノブの口数が少ない。いつもはうるさいってくらい喋るのに。

「どしたの? さすがに疲れた?」
「んー? いや、それはない」
「急に黙ると調子狂うでしょ。いつもはしゃぎまわってるワンコなのに」
「……俺犬じゃねーし」

 そんな真剣な顔で否定されると少し面白い。いや、そんなの分かってるけど。

「ナオさんに言われた。もう少しちゃんと言えって」

 そういえばさっきモップがけのとき、先輩とノブは二人でなにやら話をしていた。もともと人懐っこいノブだけど、気が合うのかナオ先輩とはすごく仲が良さそうだし休憩中もよく話をしてるから気にも留めなかったけど、まさかそっちでそんな話をしてるとは。

「俺、カナのこと本気なんだけど。だめ?」

 急に男っぽい目でそんなこと言われて、ドキっとしない女子がこの世に存在するだろうか?そうやっていきなりカッコよくなるのやめてほしい。こうして聞くとノブって結構低い声なんだなとか、見えなかった男っぽい部分が浮き彫りになる。いつもみたくベタベタ引っ付かれてる方がずっと気が楽だ。
 私とノブの間で生まれたこの恥ずかしい沈黙を破る言葉が出てこない。気づいたら私の首は縦にこくんと頷いていて「えっ、どっち!?」と焦ったノブはやっぱりワンコみたいで可愛いかった。

「お、オッケーって意味……」
「本当? 俺のこと好き?」
「い、今聞くの?」
「今聞かないでいつ聞くんだよ! 俺はずっとカナが好きって言ってんのに!」
「声大きい! 好きだよ好き! ノブのこと好きだから落ち着いて!」

 そもそも、ノブの第一印象は”やたら目立つ奴がいるなぁ。顔は好きだけど”だった。そこからいろいろあって今の関係に至ってるわけだけど、ああも本気で迫られてしまうと断る理由が一個もないことに気づいてしまった。っていうかなんだかんだ言って私もすごく好きだったんじゃんなんて、笑ってしまう。
 初めて握った手はじんわり湿っていて、ノブも緊張してたのかと思うと照れ臭い。

「牧さんたちみたいに、仲良くて支えあってるカップルって憧れるよなー」
「……知ってた? あの二人付き合ってないんだって」
「は!? えっ……嘘だろ!?」
「だよねぇ。ノブだってそう思うよねぇ」

 翌日の部活、ノブと一緒にナオ先輩に報告しに行くと自分のことのように喜んでくれた。「次は先輩たちの番ですよ」って言ったら固まってたけど。かわいい。
 ちなみに、男子更衣室で牧先輩のいない隙に「なんであの二人って付き合ってないんスか」とノブが他の三年生たちに聞いたら「こっちが聞きてぇよ」とうんざりした顔をされたそうだ。結構愉快な部活だな、海南バスケ部。