夏休みを直前に控えたある日の部活終わり。全ては俺が余計なものを見つけてしまったことから始まった。

「清田。お前これギリギリじゃねーか」
「あっ! 武藤さん、返してくださいよ!」

 ロッカーから落ちたプリントを拾うと、平均より低い点数のついた答案用紙。名前の欄には清田信長とでかでかと書かれていた。
 俺の言葉を聞いた他のメンバーも「どれ?」なんて覗き込んでは次々と顔をしかめる。あーあ、見つかっちまった。

「ノブ……。今度の期末大丈夫? 全国行けないよ?」
「待ってください神さん! ここ最近ちょっと勉強できてなかっただけで、決して頭が悪いとかじゃ――!」
「あぁなるほど。カナちゃんと付き合うことになって浮かれてた?」
「ぐっ……!」

 図星、といったところか。それ以上言葉が出てこない清田に牧が呆れたように息を吐いた。あーあ、お説教タイムだ。

 うちの部は全国大会常連という輝かしい実績のみならず、成績や日頃の態度もそれなりに評価されてる。というより、これだけ目立つ部に属しているんだから各々その自覚を持って学校生活を送りなさいという学校側の圧力が凄かった。何か褒めるにしても「さすがはバスケ部だな」と教師たちに言われてしまうと、俺らのすることイコールバスケ部の印象になってしまうんだ。
 俺としては学校側の事情は知ったことではないが、主将である牧が優等生なんだ。同じ三年で同じスタメンの俺や高砂がその足を引っ張るわけにもいかねぇだろと、せめて普通の成績はキープしてきた。
 
「日頃の成績や生活態度も加味されてるから、うちの部は他の部より多く支援を受けてるんだ。だいたいお前は、日頃からもう少しバランス良くだな……」

 うんたらかんたら。まさにそんな感じで続く牧のお説教に清田もシュンとしてしまって少し気の毒だ。せめてもの助け船として「じゃあ、明日とか教えてやれば? 勉強」と言った俺の言葉に全員しばらく考えたあと「そうするか」なんて、あっさりと結論がでたのだった。



***


 翌日の放課後、いつもの面子で集まって向かう先は駅前のファミレス。デカい男四人の入店はそれなりに目立つのか、席を通り過ぎるたびに視線を感じた。ドリンクバーだけ注文していざ教科書とノートを開く清田はえらく気合が入ってて、牧と一緒に関心した。

「えらくやる気だな」
「そりゃあ先輩たちにお世話になるんだから、当然じゃないッスか!」
「……とか言って、カナちゃんにおあずけくらったからでしょ」
「ちっ、ちが……うこともないッスけど、それはそれ、これはこれですよ!」

 からかい口調の神と、それに対して頬を赤くした清田の反応でなんとなく分かってしまった俺の勘の良さよ。なるほど、だから今日カナはついてきてないのか。隣に座ってた牧は「なにがだ?」なんてきょとんとした様子だ。聞くなよそこは。

「キスですよ。昨日テストの結果の話したら、期末でいい点とるまでキスしないって宣言されたらしいですよ」
「っ――、お前らな」
「牧さん。顔赤いです」
「神、そのへんにしといてやってくれ」

 愉快そうに言う神の横で頭をくしゃくしゃさせてる清田。気合の入るスイッチが実に”らしい”が、やる気を出してくれるならそれでもいい。言われてる光景は見てないけどものすごく想像できるし、カナならめちゃめちゃ言いそうだ。
 ゴホンという牧の咳払いを合図に、全員教科書に向き直る。一年の教科書懐かしいな、なんて雑談を交えながら教え進めていくなかで思ったことだが、清田は意外と飲み込みが早くて確かに地頭が悪くないことは分かった。きっとバランスをとるのが下手なんだろう。

「つーか、お前とカナ先月一緒に勉強してなかったっけ? なんで清田だけ成績落ちてんだよ」
「あいつめっちゃ思わせぶりなことしてくるんで集中できないんですって」

 なんだそれ。つい口から出た俺の言葉は冷たく、神は吹き出して笑ってる。清田の言う思わせぶりな行動の数々はどれもくだらな――よくあるやつばかりで、それはカナというよりお前の妄想力が人一倍凄いだけだろとツッコんだ。

「シャツのボタンなんて暑けりゃ誰だって開けるわ」
「俺も勉強するときは眼鏡くらいかけるぞ」
「男とはまた違うじゃないッスか! 髪耳にかけたり、伸びしたときに変な声出すの無心で見てられます!?」
「あぁ、確かにそれはキュンってくるかもね」

 それくらいのことでノブほど変な気分にはならないけど。そう付け足す神はさっきからこの状況を一番楽しんでるように見える。
 日常的にこんな様子の清田と一緒にいるんだから、カナのあの「ノブうるさい」という言葉にも頷ける。

「他の男の前ではやるなよって言っても、”はぁ? 知らないよそんなの”とか言われて俺もう……」
「お前は気にしすぎだ清田」
「っ――牧さん……それ、ナオさんが相手でも同じこと言えます?」

 おっと。これは見事なカウンター。
 さっきまで清田が解いてた問題集のチェックをしていた牧の手がぴたりと止まったのを見て、俺を含めた全員が笑った。まぁそうなるよな。今更俺たちに隠しているわけでもない牧は「いや、ナオに限ってそんなことは……まて、でもあいつボヤっとしてるからな……」なんてぶつぶつ言ってる。それ全部お前にも当てはまるんだけどな。

「俺が言うのもなんですけど、牧さんの牽制エグいですもんね。この前たまたま見ちゃいましたけど」
「えっ、何したんスか牧さん!」
「は……? そんなことした覚えないぞ」
「先週渡り廊下でナオさんに話しかけてた男子見た瞬間、急いで近づいてたじゃないですか」
「……あ、それ多分B組の佐々木だ。だからあいつ”やっぱ付き合ってんじゃねーか!”って俺に詰め寄ってきたのか」

 牧はバスケ部の主将だし勉強もできるし、誰に対しても分け隔てなく接するから女子にモテる。もちろん男子からの信頼も厚い。
 そしてそんな牧と一緒にいるナオだって牧と似たようなものだった。事実、想いを寄せてる男子を何人も見てきた。そいつらが全員勝負する前から諦めてるのは俺の隣に座ってるこの男の影響がでかい。というよりコイツしか原因がない。俺のためにもさっさと付き合えよ。

「……ただ近くに行っただけだろ」
「よく言うよ。”俺のに何の用だ?”みたいな圧力が凄ぇんだよお前」
「あははっ、すごい分かりますそれ!」
「っ、すげぇ……参考にしようとしたのに、その圧を出せる自身がねぇ……」

 モテるで思い出したけど、確かリコちゃんも俺らの学年で密かに人気だった。そんなことを、つい流れで口に出してしまってすぐ後悔する。神の顔色が少しだけ変わった気がしたから。

「やっぱそう思います? 委員会とかで何回か話しかけられてるっぽいんですよね」
「ある意味一番女の子らしいし、癒し系だし。年上からモテそうだもんな」
「まぁ、俺の彼女なんですけどね」
「お前それ何十回言うんだよ」

 「ほんと、可愛すぎる彼女だと困りますよね」と言う神のそれは惚気なのかマジなのか。

「この前も廊下で同級生と話してたら後ろから目元隠されたんですよ。”だーれだ”って」
「えっ、リコさんかわいい」
「でしょ? で、他に人がいたこと気づいて逃げちゃったの。あんなの他の男に見せたくないから困るよね」
「結局惚気じゃねーか」
「何言ってるですか。真剣な悩みですよ。だから、委員会のときはノブがしっかりガードしといてね」
「りょーかいっす。あ、この前頼まれてたウサギと戯れてるリコさん、撮っときましたけど」
「ほんと? じゃあ送って」

 こんな裏取引が行われてること、神の彼女は知らないんだろうなと思うと少し同情する。可哀想に。
 っていうか俺たちは勉強しに来たのに、いつの間に惚気大会が行われたんだ。しかも俺はエントリー資格がない。くそったれ。

「武藤さんも、彼女ができたら分かりますよ」
「お前、笑顔でぶっ刺すの得意だよな」

 まるで俺の心を読んだような神の一言は結構痛かった。なんで俺こんな奴らの世話役してんだろう。