夜の練習を少し早めに切り上げたあと、俺たち三年のスタメンとナオは監督の部屋に集められる。
 毎年合宿で恒例の夜間ミーティングも今日で四回目。練習で気づいたことや、それを踏まえた明日の全体メニューの確認や変更。そんな俺たちの話し合いをノートに纏めてるナオの瞼がたまに落ちそうになってるのが視界に入って、にやけそうな口元を咄嗟に手で覆った。ぎゅっと目を瞑って必死に堪えてる様子がかわいい。
 そんな状態だというのに、監督に「マネージャー視点で気づいたことは?」と話をふられると、シャンと背筋を正していつものナオに戻るんだから大したもんだ。

「疲労が蓄積されてるのか、全体的に動きが散漫だったと思います。怪我に繋がらないかだけが心配なので……特にスタメンは」

 ナオの言葉に全員ギクリと視線を逸らす。確かに、今日の夕方から集中力が少し切れていたのは認める。そういう意味でも今日の夜錬短縮は助かった。ただがむしゃらにやればいいというわけでもない。そしてキリのいいところで解散になり、監督の部屋から解放された。
 隣を歩くナオに「寝てただろ?」と言うと「寝そうになってただけ!」と必死に否定されつい笑みが零れた。大して変わらないだろ。

「牧だって、シュートの成功率ちょっと落ちてたじゃん。疲れてんでしょ」
「少しだけな」

 そうは言っても、お互い一年の頃に比べれば体力はついた。今日のカナの様子を見て、そういえば一年の頃はナオもあんな感じだったなと懐かしい気持ちになったから余計今のナオを見てそう感じる。そんなことを思ってたせいか、気づくと俺の右手はナオの頭の上に。

「なっ、何? どうしたの?」
「いや? お前も頑張ってるなと思っただけだ」
「そりゃ、牧たちが頑張ってるのに私だけ手を抜くわけにはいかないでしょ」

 こういう真面目なところも勿論好きだけど、たまに見せる不器用でボヤっとしてるところなんかもわりとツボだ。つい目を逸らしたり邪念を払う機会がどんどん増えてきた気がする。



 部屋から必要なものだけ持ってロビーに降りたとき、清田とカナの声が響いてきた。またやってるのかあいつらはと思って騒ぎの中心に行けばいつもの面子が揃ってる。
 「お前も今から風呂?」と武藤に言われ頷けば「じゃあみんなで行きましょー」という清田の声が合図となり全員靴に履き替える。
 ――ナオはどこだ?

「カナ……ナオはどうした?」
「部屋に忘れ物したから先に行っててって言われました」
「……お前ら先に行ってろ」

 徒歩五分圏内。平坦な道だし、ナオのことだから場所も理解してるだろう。
 ちらりと玄関先に目をやれば街灯から次の街灯の間は闇に包まれていた。……あいつ、確か極度の怖がりだったよな、と思い出し咄嗟に出た台詞だった。

 五分も経たないうちにパタパタという足音が聞こえてきて、振り向くと荷物を持ったナオの姿。俺に気がつくと「へ?」なんて間抜けな声をあげて見上げてくる。それがこうも愛しく感じるんだから、俺は結構重症なのかもしれない。

「行くぞ」
「え、嘘。待ってたの? ごめん、大丈夫だったのに……」
「あの暗闇でか?」

 玄関を出てすぐの夜道を指すと、ナオの顔はみるみるうちに強張っていった。やっぱりな。
 たとえ怖がりじゃなかったとしても、こんな夜道を一人で歩かせるわけにはいかないから結果として俺のとる行動に変わりはなかったんだろうけど。

「…………ご同行よろしくお願いします」
「素直でいいことだ」

 かしこまって差し出された右手を繋いでやると安心したみたいに笑うナオに少々複雑な気持ちを抱く。俺という男を信頼しすぎだろ。


 遅れて入った風呂で寛げたのは清田たちが出たあとの数分間だった。さっきまで繋いでた手の熱がなかなか引かなくて、少し長めに湯舟に浸かって気持ちを落ち着かせる。体は休まってるものの、部活モードじゃない状態でナオと接するとどうしても変な気持ちになって落ち着かない。それも学校じゃない場所で。二十四時間一緒の今は特にだ。
 俺だって男なんだから仕方ないだろうという気持ちと、いかんいかんと律する主将としての俺が戦っていてつい溜息がでた。

 だから、全員がホテルに戻ったであろうタイミングを見計らってわざわざ遅く出たっていうのに、自販機近くの椅子にはナオが腰かけていた。おいおい、勘弁してくれ。

「みんなと行かなかったのか」
「これ飲んでたし、武藤たちに置いてかれちゃったし……」
「――で、俺を待ってたと」
「さっきと逆になっちゃったね」

 ぎこちなく笑うナオと目が合うことはなかった。上気した頬にまだ少し濡れた髪、いつもなら見えないはずの健康的な脚、全てが刺激的でつい目を逸らした。なんで短パンなんか履くんだ。「行くぞ」と声をかけると元気よく返事をして、また俺の隣を歩き出すナオからはシャンプーの匂い。同じ匂いのはずなのに、全然違うもののように感じる。何で好きな女ってだけでこうも感じ方が違うのか。

「髪、まだ乾いてないな」
「あそこのドライヤー風が弱かったんだ。あとで部屋のドライヤー使うよ」
「……ほら」

 自分が着てた薄手のパーカーをナオにかけてやると慌てて突っ返されたが、そこは無理やり着せた。湖が違いこの地は夜になると過ごしやすい。
 風呂上りにそんな薄着で風邪でもひかれたら困る、という善意のつもりだったが、俺のパーカーは少し大きかったのか丈が長い。見てはいけないようなものを見た気がしてつい夜空を仰いだ。

「フードのとこ濡れちゃうかも」
「気にするな」
「ありがと。……それにしても牧、色っぽくてびっくりした」
「……は?」
「お風呂上りの牧、髪の毛さらさらだし……女としては悔しい」
「それを言うなら――」

 お前の方が艶っぽくて緊張する。と口にしようとしてやめた。言うのが恥ずかしいとかじゃない。言ったあとの照れるナオの顔が容易に想像できたし、もしそんなリアクションを見てしまったら咄嗟に手が出てしまいそうで。
 せっかく邪念を振り払おうとしてるのに、傍にいるとどうしても下心が顔だす。これじゃいつ勘付かれてしまうことか。

「色っぽいかどうかは知らんが……俺はナオの髪が好きだぞ」

 横を歩くナオの髪を一束指に絡める。これくらいならいいだろうと思って触れてみたものの、柔らかい質感の髪をずっと触っていたくなってしまって放しがたい。
 目を見開いたあと、ものすごい勢いでどもって「どうしたの急に!」なんてナオが叫ぶもんだからハっと我に返った。――あぁ本当に、なにをしてんだか。

 お互いなんとなく、このままの空気はまずいと思ったのか、残り少ない道のりでの会話は今日の練習のことや明日のメニューの話。所謂いつも通りの会話だった。こんな話ならいくらでもできるっていうのにな、と心の中で自嘲した。

 ホテルの玄関先で返されたパーカーからはふわりとナオの香りがして、貸してよかったようなよくなかったような。――少なくとも今日はもう着れないな。