いつの間にか隣にいて欲しい言葉をくれる優しい人。私が無茶をすれば叱って、悩めば相談に乗ってくれる仲間思いな人。私がこの船に乗って初めて笑いかけてくれた人――それがホンゴウさんだった。
 そんな彼に懐くのに時間は必要なく気づけばいつだってホンゴウさんの傍にいて、彼の役に立ちたいと医学を学ぶようにまでなっていた。幹部のみなさんからは「今日もホンゴウのために頑張ってんな!」と揶揄われる始末。綺麗好きなホンゴウさんのために毎日船内をピカピカにしたりシーツ交換を率先してやったり武器を磨いたり……とにかく忙しなく働く私を見ているのがみなさん楽しいらしい。
 周りが騒ぐせいか分かりやすかった自分自身のせいか、この特別な想いはとっくに当人にバレており今じゃホンゴウさんへの告白は挨拶と同じくらい日常的なものへ。最初こそ口にするたび驚かれたが、ホンゴウさんもだんだん慣れてくれたのか当然のように受け止めてくれている。
 現にいまだって、カウンターの隣に腰かけるホンゴウさんに「今日もかっこいいですね。好きです」と伝えれば「おー、そうかよ」と返事をし、グラスに入った氷をからから鳴らしている。

「ホンゴウさんはどうしてそんなに素敵なんですか?」
「……お前のその直球なとこ、どうにかなんねェのか?」
「好意は分かりやすく伝えるべきかと」

 至って真面目に答えればホンゴウさんは自分の頭をがしがし掻いてまいったように溜息を一つ。もしかして私からの好意が迷惑なのではと慌てて席を立とうとすれば「おい。変な勘違いすんなよ」と腕を掴まれてしまう。他人の脳内を覗けるのだろうか。それともやはり私が分かりやすいのか。
 そんな私たちのやりとりを見ていたのか、副船長がくつくつと喉を鳴らしながら私の隣へ腰かけた。いつものお酒を店主に注文した副船長は「相変わらず手こずってるな」と楽しそうに口を開く。

「悲しいですけど、ホンゴウさんのご迷惑になることなら控えます」
「ッ、そうじゃねェだろ……。つーか今のはおれに対して……」
「いい女から愛を囁かれるなんて、おれなら悪ィ気はしねェがな。これを機に鞍替えでもするか?」

 するりと副船長の手が私の背中を擦った。この人はこうやって女性を口説くのを生きがいとしているふしだらな人だ。尊敬や信頼こそしているものの、ちっとも本気じゃないのがよく分かる。

「副船長は確かにかっこいいですけど、好みじゃないです」
「くっ……ははっ、久しぶりにフラれたな。おれよりホンゴウの方がいいか?」
「ホンゴウさんは紳士で真面目で、副船長みたいにいやらしくありませんもん。とっても素敵な人です」
「なるほど。こりゃァ眉間の皴がとれねェわけだ」

 副船長の視線が私の後ろへと移動する。つられるようにホンゴウさんの方を向けば眉間に入った縦線がぐっと深くなった。ご気分でも悪いですか? と体調の心配をすればホンゴウさんは更に大きな溜息をつき副船長は愉快そうに笑う。
 「じゃ、頑張れよ」と飲みかけのグラスを手にした副船長は妖艶なお姉さんがいる別の席へとさっさと移動していってしまう。結局何をしにきたのだろうとぐるぐる思考を巡らせていると私の手元に何かが当たる。その正体はホンゴウさんがテーブルに滑らせた錠剤。目をぱちくりさせながら横を見ると彼はぐびっと残りの酒を飲み干し「体調が悪ィのはそっちだろーが」と呆れたよう口にした。

「なんで……」
「おれを誰だと思ってんだ」
「せ、船医でした」
「ばーか。優秀な、をつけとけ」
「優秀な船医さま、でした」

 言われた通りの名称で呼べば、ホンゴウさんはニカっと笑い私の頭をくしゃりと撫でる。確かに今日は朝から体調が優れなかったが、ホンゴウさんが慌ただしくしているなら私もそのお手伝いをしたいと張り切ってしまった。まさか気づかれていたとは、さすが船医。船員のことをよく観察しているなと感心してしまう。
 それ飲んで寝とけ、と優しい声をかけられとくんと胸があたたかくなる。ホンゴウさんのこういうさり気ないところに心底弱い私は、やはり「好きです」と口にしたくなってしまい先ほど咎められたばかりだというのに想いを声に乗せた。すると私の頭を撫でていたホンゴウさんの動きがピタリと止まる。――まずかっただろうか。

「ご、ご迷惑……ですか?」
「ご迷惑じゃねーけど……どういうつもりなんだって腹は立つな」

 相変わらず眉間に皴を寄せるホンゴウさんは頬杖をつきながらこちらを軽く睨む。初めて見せる顔に心臓がびくりと跳ねた。まさか苛立たせていたとは夢にも思わず、咄嗟に謝ろうとしたものの言葉がうまく出てこない。
 痺れを切らしたのか、ホンゴウさんは私の手元にあった錠剤を自分の唇で挟むとそのままそれを私の口内へ押し込む。舌を器用に使って口移しをするホンゴウさんの表情に今までにないくらい心臓が早鐘を打ち始め息がうまくできない。初めて感じる唇の感触に頭は真っ白だ。
 絡まった舌の熱により小さな錠剤は半分ほど溶け、どろりとした妙な感覚と薬特有の苦さが口内に拡がっていく。私が顔をしかめるのと同時に「にげっ」と文句を言ったホンゴウさんの目が見られない。いま私は何をされた?

「これでもまだ、キラキラした目で好きだって言えんのか」
「――え?」
「おれの好きとお前の好きじゃ、重みが違ェって話だよ」

 鈍色に光るホンゴウさんの目に思わず後ずさると、辺りからは揶揄うような声。忘れていたが、ここはみんなと訪れていた酒場で当然接客中のお姉さんもたくさんいて――。
 そんな場所でなんてことをしてくれたんだ、と顔が燃えるように熱くなり脚が勝手に店の外へと向かう。全速力で駆け出す私を冷やかす男達の声と呼び止めるホンゴウさんの声。血圧が急上昇したせいか、呼吸は荒く頭までずきずきしてきた。せっかく飲んだ薬もまるで意味がない。
 はァはァと乱れた呼吸を整えるべく、港近くの木陰に隠れていると茂みをかき分ける音がして肩が跳ねた。視線を向けるとすぐに追いかけてきたのか、ケロっとした表情のままのホンゴウさん。「体調悪い人間が全力疾走してんじゃねェよ」と私のおでこを小突く様子は、さっきのことなどこれっぽっちも悪びれてないようで少しだけ腹が立つ。

「誰のせいですか……!」
「おれのせいだろうな。嬉しいこった」
「う、嬉しいって」
「いい加減男として見ろよ。今のお前からの告白なら、いつでも大歓迎なんだけどな」

 まだ熱いであろう頬をするりと撫でるホンゴウさんの手つきは、いつもがしがしと私の頭を撫でるそれとはまったくの別物。おでこに小さなリップ音をたてたホンゴウさんは固まったままの私を見下ろし小さく溜息を吐くと「おれだって男だぞ」と嘆く。

「っ、ホンゴウさんも……やらしい人、なんですか?」
「おー。スケベでやらしいただの男だ。好きな女は抱きてェし……いじめたい」

 開き直ったように言い切ったホンゴウさんの手がつぅっと背筋をなぞっていく。びくりと体を震わせると満足そうに笑った彼は「簡単に触らしてんじゃねーよ」と今度は耳に息を吹きかけてくる。
 一体いつからそんな風に思われていたのだろうと混乱していると、また私の脳内を覗いたのか「好みの女にあんなど直球くらって、落ちない男なんかいねェだろ」と失笑するホンゴウさん。

「……好み、なんですか?」
「下心もなく優しくし続けねェよ。あんま買い被んな」

 優しく仲間思いな人。そう思っていたがどうやら違ったようで、ホンゴウさんはそれがバレてしまうのを恐れていたと恥ずかしそうに口許をおさえ「幻滅したか?」とおそるおそる声にした。その姿にキュンと胸が締め付けられおもわず声が上擦ってしまったが、とにかく、この状況が嫌ではないということだけは分かる。
 心臓の音と呼吸の音だけがよく聞こえる。全身の神経が研ぎ澄まされ些細な音すらキャッチしてしまう私の耳はきっと真っ赤になっていることだろう。その証拠に耳たぶに触れてくるホンゴウさんの表情はどこか意地悪だ。

「で? 素敵でも紳士でも真面目でもない、ただのやらしい男のホンゴウさんなわけだが――いつもみたいに言ってくれんのか?」
「どうしよう……ホンゴウさん」
「なんだ」
「私……いま、あなたに……す、すきだなんて……言えませんッ……!」

 挨拶のように何度も口にしてきた言葉。それがこうも喉を通っていかないだなんて思いもしなかった。ただただ顔を熱くさせホンゴウさんの細められた瞳をちらちら見るのが精一杯で、そんな私のリアクションを見られるのだって耐えられない。
 もう口にできないと言ったにも関わらずホンゴウさんは「っしゃァ」と小さなガッツポーズをとり私に覆いかぶさる。

「んだよそのかわいい顔。すげェ好きじゃん」
「ッ、話聞いてました!?」
「あー、はいはい。照れんな」
「意地悪です!」
「だからいじめたいって言ったろ。……とりあえず、あれだ。今度はおれの番ってことで」

 そう小さく笑ったホンゴウさんは自分の鼻先を私のにくっつけ「好きだ」と低く囁く。その言葉はずしり私の心臓へ圧し掛かり再び呼吸を苦しくさせた。



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