昨日の暖かさから一変、今日から本格的に冷え込むでしょうとお天気お姉さんは言っていたが、そんなに着こまなくてもいいのではと外からやってきた男に視線を送る。そんな私の視線を「なんだよ」とうざったそうな声で返すライムの眉間には皴。その皴がとれてる場面はあまり見ない。今日も絶好調なチンピラっぷりである。

「すげー失礼なこと思ってんだろ」
「思ってない思ってない。そんな着こむほど寒がりだったっけって思っただけ」
「バイクだから寒ィんだよ」

 そう言いながらネックウォーマーを雑に脱ぎ捨てたあと、一つに結ばれた長い金髪をジャケットから出すライム。ふわりと香るいい匂いはメンズ用の香水だろうか。爽やかな中に少しだけスパイシーさを感じるそれはライムにとてもよく合っていて、相変わらずセンスがいいなと思った。こんな流行らない古着屋なんてやめてもっといいとこで働けばいいのに。――とかいって、いざやめられたら困るのだが。
 自分のタイムカード切っていると「おれのもやっといて」なんて声が飛んでくる。ここ最近ずっと私がライムのタイムカードを切っている気がするが、まァ黙ってやっておいてあげよう。私って優しいよね、なんておちゃらけて言えば「じゃァいつもの礼してやるから週末空けとけ」と予想の斜め上を行く発言をされ固まった。

「な、なに企んでるの」
「ざっけんな。どうせ暇だろ」
「決めつけるのよくないです。私にだって予定の一つや二つ」
「ほーん。言ってみろ」

 いつの間にか近くに来ていたライムに思い切り見下ろされ負けじと睨み返すがちっとも勝負になってないような気がする。それでも負けじとライムの目を見つめているとぴくりと動いた彼の眉。
 一生懸命スケジュールを思い返してみても今週末は本当に暇でなんだか悲しくなってきた。そろそろクリスマスシーズンだというのに我ながらなんて寂しい女なのだろう。
 まだ何も言ってないのにすっかり勝ち誇ったようにやにや笑ってるライムが腹立たしい。普段はむくれた顔の不愛想人間の癖に、こんな時だけ生き生きとするのは如何なものか。
 そういえばムーンバックスの新しいラテは今週末だったな。それにちょっと気になってた映画は明日から上映予定。あと毎年有名なイルミネーションも確か今週末からだ。こうやって街全体が浮足立つのを改めて実感し、それらを網羅しなければいけないと苦しすぎる旨を口にすれば私を見下ろしてたライムは盛大に吹き出した。

「くくっ、おまっ……要は暇なんじゃねーか!」
「うるっさい! そういうライムはどうなのよ!?」
「だからこうして誘ってんだろ」
「えっ――な、んで私……」
「…………欲しいもんがあるから、付き合え」

 一緒にいる時間が特別長いわけでも短いわけでもないライムと軽口を叩き合う微妙な距離感は心地いい反面もどかしい。狭い職場というのもあって一歩踏み出すに踏み出せない状況が続くこと早数年。そんな関係だからこそこうしたお誘いを受けるのは嬉しい。何かきっかけになるかも、なんて下心で口角が上がってしまう。だってこれってデートってことでいいんでしょ?

 蓋を開けてみて判明した私を誘った理由というのが“お姉さんへの誕生日プレゼント選びの付き添い”だとしても、私がデートと思えばそれはもうデートなのだ。普段着ている古着とは違う、少し洒落た格好で意識させるいいチャンスじゃないかと朝の支度もかなり気合が入った。
 いつもなら数十分で作る自分の顔も今日はしっかり時間をとって念入りに。けれど濃くなりすぎず、ナチュラルメイクを心がける。左右で上がり方が違う気がする睫毛を何度も確認してはビューラーをかけなおしたり、ぎりぎりまでリップの色を悩んだり。
 せっかく街がクリスマスで賑わい始めているからというのを理由に選んだラメ入りのリップグロスを控えめに唇に乗せればぷるると艶めきとてもおいしそうな色になる。せっかくかわいらしい色になったのだから、今日くらいいつもの憎まれ口を封印したいものだがうまくいくだろうか。それが楽しいというのもあるが、ライムに会うとドキドキしてしまいその照れ隠しで口が勝手にかわいくないことを言い始めるのだから困る。
 独特な匂いのするいつもの古着屋で顔を合わせたり、たまの飲み会でバカな話をして笑い合うあのライムといつもと違う場所で待ち合わせだなんて気恥ずかしい。歩くたびに揺れる真新しいマーメイドスカートがなんだかくすぐったく、自分の姿がガラスに反射で映るたびにちらちら確認してしまう。
 気合い入れすぎているのがバレて笑われるだろうかドキドキしながら駅前の広場に向かうと、見慣れた金髪が時計台の下でスマホをいじっていた。

「ラ、イム――」
「おぉ」

 声をかけたものの片手を上げながら固まってしまった。だってそこにいたのは普段よく見るニット帽にパーカー姿のライムではなく、黒のチェスターコートにハイネックニットでシックな装いのライム。細身のパンツはライムの脚の長さを際立たせていて、仕事中かけてるサングラスも今日は少し違う。薄い赤みがかった丸いサングラスのおかげというべきか、せいというべきか。彼の鋭い目がよく見えて咄嗟に言葉が出てこない。今日一日こんな破壊力抜群の男の隣を歩くのかと思うと気が遠くなる。

「……お、おまたせ」
「なに固まってんだよ」
「いや、なんかいつもと雰囲気違うから、びっくり〜。なーんて」
「……それはこっちの台詞だろ」

 こちらをまともに見ようとしてくれないライムの視線がちらりと向けられ「珍しいの着てんな」と呟かれた。
 去年よく着ていたボアジャケットは可愛くて暖かく大変気に入っていたが「小動物みてェ」なんて、ずっと頭をぐりぐり撫ぜられ子供扱いされたのでやめた。せめて人間にならなければと選んだ白のニットを見てからもう一度ライムの方に視線を向けると「いいんじゃね」と素っ気ない台詞で返される。

「ライムも、いいんじゃね」
「バーカ。おれを誰だと思ってんだ」
「オシャレ番長のライム先生に褒めてもらえて光栄です」
「おー。じゃ、とっとと行こうぜ」

 持ってたスマホをポケットに突っ込んだライムはすぐ近くの複合施設へと歩き出す。悔しいことに歩幅がまるで違うため、慌てて地面を蹴るヒールの音がコンクリートにやたら響いた。
 すると急にぴたりと止まるライム。つい背中に激突してしまい何事かと声をかけると彼はぎこちなく振り返り何かを一生懸命考えているようで、正直その様子は少し奇妙だ。
 そして「ん」と差し出されたのは男の人にしては綺麗な手。一番長い中指には大きなリングがきらりと光っている。開かれた手の平をまじまじと眺めていると、ライムは痺れを切らしたのか「迷子になんなって意味だよっ!」と荒々しく吐き捨て無理やり私の手を握った。ぎゅっと掴んでくる力は少し痛いが驚きのあまり文句を言うことすら頭からすっぽ抜けてしまう。

 ――そこから先のことはどれもこれも想像の範囲外のことばかりで時間はあっという間に流れていった。否、あっという間にしては一瞬が永遠のように長く感じたし心臓が止まりかけたりもしたが。
 お姉さんの誕生日プレゼントを選ぶ手伝いだなんて言うから、ある程度ショップは決まっているのかと思いきや最初に着いたのは最上階の映画館。「一番後ろでいいよな」と既に購入済みのチケットを発券するライムをぼけっと眺めたあと「腹減った。ポップコーン食おーぜ」とさっさと購入列に並ぶライムの横に並ぶ。勝手に決められているかと思えば「味は? どれ食いてェ?」なんてご丁寧に尋ねてくるもんだから、私も一緒に食べていいのかと「あっ、バターしょうゆ」と咄嗟に答えたり。いや、まってこれどういうこと。これじゃ本当に本物のデートじゃないか、と焦り始めたのは確かこの辺り。
 映画を観終わった後も流れるようにランチになり「結構面白かったな。お前見たがってたけど、どうだったん」と感想を求められたが、正直あまり覚えてない。本編が始まる前の別の予告を観てる最中、いつも以上に近い距離で「おれこれ観てェんだよ。今度行かね?」と言われた低い声にときめいてしまったり、少し姿勢を変えた際に香るこの前とは違う少しだけ甘さのある色っぽい香りに集中力を削がれたりと大変だった。どうだったん、じゃないのだ。
 ようやくショップをぐるぐる見て回るもお姉さんの好みはちっとも教えてくれないばかりか「お前は?」と返される始末。なぜそんなに私の好みを知りたがるのか聞こうともしたが、なんとなく口には出せず。
 そりゃあ私は少しぼんやりしていてライムにバカにされることはしょっちゅうあるが、とんでもなく鈍い女ではない。――もしかして、自分で思ってるよりライムに好かれてるのでは? と都合のいい考えに至っても仕方ないだろう。
 トイレで化粧直しをする際、もう一度ラメ入りのリップグロスを唇にのせる。相変わらずぷるると光っておいしそう。この半日でいったいどれだけ好きが加速したか分からず頭を抱える。深い関係になりたいと強く望んでなんかいなかったのに、これじゃァ後戻りができなくなる。なにもかもいつもとは違う――別人のように優しいライムのせいだと責任を全て押し付けいま一度鏡の中の自分を見ると家を出る前より少しだけ綺麗になっている気がして溜息がでた。

「さみィ」
「やっぱり席なかったね」
「なんでムンバってあんな席空かねーんだよ」
「新作出たばっかだししょうがない」

 新作が出たばかりのムーンバックスのホットドリンクをちまちま口に含みながら苦笑い。だだっ広い施設内に店舗が二つあったが、どちらも暖かい店内の席は埋まってしまっていた。丁度イルミネーションもライトアップしてることだし、外のベンチにでも腰かけようと言い出したのはライムだが寒い寒いと肩を上げている。

「それにしても、ライムって甘いの好きだったんだね」
「……べつに」
「それめっちゃ甘いっていうじゃん」

 ホワイトチョコレートのホットドリンクにキャラメルを足してくれと私にお願いしてきたときはつい笑ってしまった。プラスメニューまで決定してるくせに直接注文するのを頑なに嫌がるのだから笑うなというほうが無茶だ。そんなに恥ずかしいか。
 仕事で定期的に顔を合わせはするもののしょっちゅう連絡をとっているわけではないから、ライムのプライベートなことはそこまでよく知らない。だからこうして些細な一面を知ると心がほわりとする。嬉しい、かわいい、優しい、怒りっぽい、かっこいい。
 まさかこんな日が訪れるとは思わなかった。普段は口もガラも悪いけど、お洒落で話してて楽しくて頼りになる男。淡い恋心のまま終わればよかったのにと息を吐く。
 隣に腰かけてるライムは長い脚を組み直すと「伝えときたいことあんだけど」と今日一番の真剣な瞳をこちらに向けてきた。必然的に鼓動が高鳴る。
 ライムの奥には大きなツリーとピカピカ光る電飾。逆光でライムの顔は少し暗いが、これじゃ私の顔が丸見えだ。ポジショニング失敗した、なんて後悔しているとライムの口からは信じられない言葉が飛び出し「は――」と感情の欠落した単音がぽろりと零れる。

「だから、おれ、いまの職場辞める」

 驚かせて悪ィ、店長には前から言ってあるんだけど、不満があるわけじゃなくて、よりいい環境で働く機会に恵まれて。
 ライムの口から発せられる数々の言葉はどれも私の頭の中に入っては消え――何も響いてこなかった。
 そしてそんな虚無だった心を強い羞恥心が襲う。ちょっとでも、うっすらとでも期待してしまった自分が恥ずかしくてたまらない。いますぐ消えてなくなりたい。穴があったら入りたいとはまさにこのこと。
 すっかり冷たくなった指先をホットドリンクで温めるとじんじんした。他のみんなより長く一緒にいた私にだからこうして特別待遇で教えてくれたのかと思うと涙が出てくる。優しさがこれでもかと染みて、痛い。

「――よ、よかったじゃん! そうだよ。ライムならもっと人気のセレクトショップとかさ、なんならブランド店でも、いいと思うよ。口悪いけど仕事できるし、なんだかんだ教え方丁寧で優しいとこあるし、口悪いけどウチの店でも慕われてるし……」
「口悪ィって二回言ったなお前。……つーか、こっち見て言え」
「や、それは無理。ごめん、ちょっとタンマ。やっぱね、それなりに思い出があるから、っさ、待って」

 笑え、笑えと唱えてると乱暴に顎を掴まれライムの方に顔を向けられる。強張った顔に目尻から一滴の涙。こんな可愛くない顔、今日は絶対見られたくなかったというのに酷い男だ。
 目を見開いたライムは何かに耐えるようぐっと眉間に皴を寄せ「んな顔すんなよ」と溜息を吐いたあと艶のある声で私の名を呼んだ。聞いたことない声色に心がざわざわする。今日、彼はあまりにも反則技が多すぎる。

「お前さァ、おれのこと好き?」
「――え?」
「なんか、やたらと……いつもと違ェから」
「なに、それ」
「なんとなく、あーおれもしかして調子乗ってもいいんじゃね? ってなったわけだけど」

 どうなんでしょーかね、と私の冷えた手先を持って自分の唇に当てたライムは恥ずかしそうだったが、真っ直ぐこちらの瞳を射抜いてくる。さっきまでどうして泣いていたかなんて吹き飛ぶくらいの威力に今度は顔がどんどん熱くなっていった。
 幻想的な電子音が急に流れ始め何事かと思えば広場の中央にあった大きなツリーのイルミネーションを中心にプロジェクションマッピングが始まったようで。吸い寄られるかのように人が集中していく様子を茫然と眺めていると、ライムは「ちょうどいい」と一言呟き笑った。
 慎重に触れてきた一瞬の熱は確かにライムのもので、その証拠に私の飲んでいたラテより何倍も甘い風味が鼻先をくすぐる。残された熱の正体に気がつき慌てて唇をおさえるとライムはしたり顔を浮かべ、もう一度ゆっくり顔を近づけてくる。

「っ――まっ」
「なに。嫌ならしねェよ」

 あと数センチでくっついてしまいそうな距離を保たれ、体まで熱くなった。つまりこの状況をどうするかは私次第ということで――。

「ひ、ひどっ……」
「口悪ィつった罰」
「……それ事実」
「じゃァ、もう一個の事実も知りてェ」

 細められたライムの瞳がゆらりと揺れる。その顔に心拍数は上がりっぱなしでもう観念するしかない。今日一日で一気に膨れ上がった想いをおずおずと口にすれば、その全てを言い切る前に唇をかぷりと食べられた。
 何度も角度を変え味わうかのようなキスに腰がぶるりと震え思わずライムの肩を叩く。「誰も見ちゃいねーよ」と顎で人混みを指すが、そういう問題じゃない。
 さらりと頬にかかった自分の長い髪を耳にかけたライムはすっかりよれてしまった私のリップグロスを親指で拭うと「うまそうって思ってたんだけど、やっぱ味はしねーな」と悪戯に笑う。

「あ、当たり前でしょ」
「もっかいしたらするかもな」
「ッ……質問に答えてくれたら……確かめてもいいよ」
「あ?」
「――ライムって、本当にお姉さんいるの?」

 さっきからやたら挑発的な態度のライムになんとか対抗したい私は、ずっと疑問だった一言を仕返しとして口に出す。予想外の言葉にフリーズしたライムは苦々しい表情を浮かべ思い切り舌打ちするや否や「うるせェ」と吐き捨てもう一度私の唇に食いついた。
 冷たい空気に晒された耳が赤いのは気のせいではないはずだ。


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