スゲェじゃん、と感心したように笑いかけてくれたライムを見たとき初めて自分の恋心を自覚した。
 口喧嘩は日常茶飯事、容姿やスタイルを褒められたことはほとんどなく、スキンシップで触れてくる大きな手はいつだって乱暴だ。赤髪海賊団に入った時期がほとんど同時期だったライムと私の関係性は、仲間であり兄妹であり腐れ縁であり悪友であり――とにかく一言では言い表せない。
 そんな彼に唯一褒めてもらったのは地道な鍛錬の成果が出た日。常に前線に立つライムに「スゲェじゃん」と頭を撫でられた。その一言に私の心は震え鼓動が高鳴り、彼お得意の電撃が体中に走ったような衝撃を受けたのだ。
 普段は意地悪で粗暴でデリカシーの欠片もない困った男だが、四皇赤髪のシャンクス率いる赤髪海賊団幹部という立派な肩書きを持っている。憧れの眼差しを向ける新入りたちは当然多い。
 今日も今日とて甲板でライムに稽古をつけてもらってるクルーが数名。次の島へのログが溜まるまでまだまだ時間がある。きっとみんな体が鈍って仕方ないのだろう。真っ青な空には雲一つなく、白いシーツが風になびいてる。その向こう側から暑苦しい声が定期的に聞こえてきて船室から出てきたホンゴウは「またやってんのか」と呆れていた。

「買い物もしちゃったし、退屈なんでしょ。洗ったばっかのシーツに害がなければいいんだけど」
「さすがにその辺は考えてるだろ。で、お前は混ざんなくていいのか?」
「いまスネイクを口説いてたんだけど手強くてさ。ホンゴウからも何か言ってよ」
「……稽古はつけないって何度も言ってるのに聞かなくてな。ホンゴウからも何か言ってくれ」

 船縁に体重を預けていたスネイクがやれやれとでも言いたげな表情を浮かべホンゴウに助けを求め始めた。
 ライムたちを眺めながら、久しぶりに私にも稽古をつけてくれとお願いしていたのにスネイクはダメの一点張り。納得がいかないとわざとむくれた顔をしてみても、スネイクもホンゴウもわざとらしく顔を背けてしまう。

「なんで!? 昔はみんなよく相手にしてくれたじゃん。私、ここ数年ずっとライムとしか稽古してないんだけど」
「別にいいじゃねェかそれで」
「なにか文句でもあるのか? 確かにあいつは少し雑なとこあるが意外と冷静だし、教え役としては適任だぞ」
「そりゃそうだけど、ずっと同じ相手だとパターンも決まってくるし……それに、驚いてもらえないもん」

 私が向けるライムへの想いに勘づいてるであろう二人は複雑な表情を浮かべうんうん唸っている。唸りたいのはこっちだ。
 あの日のように褒めてもらいたい――どんどん強くなっていくライムに一瞬でもいいからまた認められたい、驚かせたい、鼓動を高鳴らせてみたい。そう思うのはおかしなことだろうか。
 そんな時たまたま近くを通りかかった赤い髪、ロックスターが視界に入る。幹部たちからも認められていて私より腕が立つロックスターはまさにうってつけの人材。制止するスネイクたちの声など無視して近くに寄ってきたロックスターに一方的に声をかけた。

「いま暇?」
「えっ、なにか用事があるなら頼まれますが……」
「わっ、バカヤロウ、お前っ……!」
「よしきた! じゃぁ、私と手合わせしよう!」

 規律を重んじる真面目な男だ。幹部ではないにしても、自分より前からこの船に乗っている私のお願いならある程度聞いてくれるはず。そう自信満々に頼み込んだというのにロックスターは困ったような焦ったような複雑な表情を浮かべながら「そ、それはマズイです!」と両手をぶんぶん横に振りだした。……なんでこんなに拒否されなければいけないのか。

「ロックスターまでなんで!? 納得できない! 理由を話して!」
「ラ、ライムジュースさんに叱られます!」
「はぁ〜? ライムに? なんで……」
「わーッ! ロックスター、お前、そんなバカ正直に……!」

 しまったと口を閉ざすロックスターに、慌てふためくスネイクとホンゴウ。私だってバカじゃない。ホンゴウたちを睨みつければ二人は互いに顔を見合わせ「ライムに止められてんだよ」と渋々白状する。「あいつのことも分かってやってくれ」と言われたが、何故わざわざそのような裏工作をされなければいけないのか訳が分からず気がついたらライムの元へ走っていた。
 クルーと楽しそうに手合わせするライムを視界に捕らえ隙をついてタックルしてみたものの、剥きだしにした感情のせいで察知されたのかしっかり体を受け止められてしまった。私の両手首を取り「っぶねぇな。何すんだいきなり」という余裕そうな低い声が今は憎たらしい。

「なんだ? 手合わせなら順番な。あー、でもおれ腹減ってきたからなァ。飯の後にするか?」
「んで……なんで他の人と稽古できないように仕組んだりしてんの!?」
「――あ?」

 いつもと違う私の様子に気がついたのか、手合わせをしていたクルーたちに「悪ィ。少し休憩しとけ」と声をかけるライムはどこか冷静で「なに怒ってんだ」と私の頭をぐしゃりと雑に撫でつけた。
 こうやってちっとも女扱いされないならせめてもっと強くなりたい。好きな男に――ライムに認めてもらえる自分でありたい。はじまりこそ同じだったのにいつの間に私はライムの監視下に置かれていたのか。肩を並べることは不可能なのだろうか。
 そっと触れられてみたい、優しく名前を呼んでもらいたい、想いを受け止めてもらいたい。そんな夢みたいなことを望んでるわけじゃないというのに、隣にいるための手段、選択肢をどうして取り上げられなければいけないのだ。
 ふつふつと込み上げる不思議な感情任せに「余計なことしないで!」と叫んだ声は予想以上に響き辺りをどよめかせた。
 慌ててこちらに来たスネイクやホンゴウの気配を察知したのか、ライムの視線は一度そちらへと向き大きな舌打ちが聞こえる。

「……余計なことじゃねーだろ。まだおれに一発も当てられねェくせに、我が儘言ってんな」
「ッ、たまには違う人と手合わせしたいってことの何が我が儘なの!? みんな自由にやってるのになんで私だけ――」
「お前が前線に立つことなんてほぼねェんだ! 稽古のたび怪我して……面倒増やしてんじゃねェよ!」
「それでも私はッ……!」
「はっ、傷増やすくらいなら、男を落とすための技でも増やすんだな」
「――ッ」

 ヒートアップしていく私たちのやりとりを見ていたホンゴウが介入したのと、パァンという乾いた音が空間を響かせたのはほとんど同時だった。何が引き金になったのかなんて自分でもよく分からない。ただ、私と強さを競ってくれていたライムはもういないんだと痛感しその事実が私の心臓を抉る。
 サングラスの奥の瞳が大きく開かれ揺らぐのが分かった。ライムの頬を叩いた手の平はひりひりして、頬には生温い雫が流れ落ちていく。こんなことで泣く女になりたくなかったというのに、恋慕の情というのは本当に厄介だ。

「だいっきらい」

 咄嗟に出た言葉はライムに向けたものなのか己に向けたものなのか。とにかくこんなカッコ悪い姿を見せたくなく、急いで船から降りようとすれば慌てて追いかけてきたライムに腕を掴まれた。その力はどこか優しい。

「おいっ――、どこに……!」
「今日は戻らない」
「っ、なにバカ言ってんだ」
「離して!」

 更にライムを怒らせるだけだと分かっていても体は止まってくれず、無理やり振り向かせようとしたライムの手を思い切り振り払う。彼のサングラスに映し出された自分の顔といったら酷いものだ。「ついてこないで」と大好きな男を突き放し逃げるように船を後にした。
 どうして私はいつも素直になれないのだろう。どうしてもっと可愛げのある言い方ができないのだろう。そんな後悔ばかりが頭の中を支配した。

 適当にとった宿屋の一室で時間が過ぎるのを茫然と待つ。一日二日船に戻らなくても困らないお金は持っているものの、この後どうしようか具体的な案は当然ない。
 受付でもらった氷袋をもう一度瞼に押し当てても中身がちゃぽちゃぽ音をたてるだけ。もうそんなに時間が経ったのかと窓から外を見下ろせば、街は電飾で彩られ露出度の高いお姉さんたちが客引き行為をしていた。
 ――男を落とすための技でも増やすんだな。
 昼間ライムに言われた言葉を思い出し心臓がずきりと痛む。一人部屋に籠っていては気が滅入ってしまう。自暴自棄というわけではないが、久しぶりに自分のために服でも買いお酒を飲んで忘れよう。そう思い立ちふらりと外へ出た。
 試着した中で一番気に入ったタイトドレスは胸元が大きく開いていて女の主張を美しく際立たせる。肩から腕にかけての透け感のある生地は艶やかで、腕にある小さな傷を上手に隠してくれた。お美しいです、という店員さんのリップサービスに今日だけは「本当ですか?」なんて真に受けたような情けない返答をし店を出て街を適当にぶらつく。冷えた夜の空気が心地いい。
 せっかくだから新しいリップでも買おうかなと酒屋以外の店を探していると「お姉さん」と見知らぬ男に声をかけられた。声の方に視線を移すと遊び慣れてそうな軽いノリの男がひらひら手を振って「一人?」と私の足を止めにかかる。いつもなら面倒だなと適当にあしらうが……今日ばかりは違った。
 立ち寄ったバーで男と話している時間は純粋に楽しかった。海賊、という一点を伏せているだけで嘘はついていないし何も知らない人間に話を聞いてもらうのはいい気分転換になったうえ感謝こそした。体目当てで誘ってきただろうに、ご丁寧に知らない女の失恋話に耳を傾け慰めてくれるのだからいい人だ。
 いい感じに酔いが回り店から出ればもうあとはお決まりコース。展開は理解していたが、まさか路地裏に引きずり込まれるとは思わず壁に押しつけられた手に少しだけ力をいれ反抗してみせれば男はゲスい笑みを浮かべ「大人しくしてよ」と囁く。ちっともいい人じゃなかった。

「お姉さん、ここまできて嫌がるのはナシでしょ」
「嫌っていうか……外だとは思わないでしょ。あと、腕痛い」
「わかったわかった。優しくするからさ、もういい?」
「っ、ちょっと……!」

 強引なうえ場所は最悪だが彼の手は優しい。頬を撫でる指もタイトスカートをずり上げていく手つきも丁寧で、どうしてもっと酷くしてくれそうな相手を選ばなかったのだろうと少し後悔する。
 別の男に抱かれて手っ取り早く想い人を忘れたいと思っていたくせに、体を這うやわらかな手つきにライムを重ね求めてしまい目から勝手に涙が零れ落ちた。どんな男を前にしても結局私の頭を支配しているのはあの仏頂面の男で、なぜ今目の前にいる男に集中できないんだと腹が立つ。
 ――そんな時、私の体に触れていた男は横から吹いた突風に攫われたかのよう姿を消した。突然のことに体が固まり視線を横へとずらすと男は地面に倒れこみ苦しそうな声をあげる。男の上に乗っているのはどこからどう見てもライムで、愛用の武器を地面に放り投げたあと思い切り拳を振り上げた。

「ちょっ、ライム……!」
「っ――な、んなんだよおまっ……うぇっ!!」
「テメェこそ、おれの女になにしてんだ」
「おえッ! な、なに、ちょっとまって……!」
「きったねェ手でなに勝手に触ってんだ……よッ!!」

 混乱した男の呻き声と重たい衝撃音。そして相当キレているときの地を這い唸るようなライムの低い声に恐怖した。
 向こうも悪いとはいえ、ヤケクソに受け入れてしまった私も悪いのだ。罪悪感に苛まれ慌ててライムの体に飛びつき「一般人だから!」と制止する。その声は少し震えていた。
 私を一瞥したライムは振り上げた手を一瞬止めてくれたものの「武器は使わねェ」と冷たく言い放ち再びその拳を振り下ろす。派手にえずく男の姿に耐えられなくなり「もうやめて」と涙ながらに口にすればライムの体は硬直し、ようやく体を向けてくれた。
 深い溜息をついたライムは地面に転がったままの武器を手にとり「行くぞ」と私の肩を抱く。いつものように組まれるわけでも叩かれるわけでもない柔らかな手つきに涙がひっこむ。
 おそるおそるライムの顔を覗き込めばぱちりと目が合い、照れ臭そうな顔でそっぽを向かれてしまった。――そう、さっきの言葉の真意は何なのだろう。

「いつから私……ライムの女になったの」
「っ……いま聞くなよ」
「い、いましかタイミングないで――」

 肩を抱いてたライムの手にぐっと力が入ったかと思えば強引に唇を塞がれる。まるで“黙れ”と言われているような口付けに言葉を失った。口封じにしては長く甘ったるいそれは息継ぎが必要で、時折聞こえてくる自分の女な声に耳が熱くなる。うっすら目を開ければ熱っぽい視線を向けたまま唇に噛みついてくるライム。獣のような男の姿に心臓がバクバク音をたてた。
 首筋から鎖骨にかけてつうっと指が這っていき、肩を掴んでたライムの大きな手は背中をするする撫でたあとゆっくり腰を擦る。壊れ物を扱うかのような優しい力でゆったり頭を撫でられ、その心地よさに瞳がとろんと蕩けそう。囁くように名前を呼ばれ眩暈までしてきた。
 そっと触れられてみたい、優しく名前を呼んでもらいたい。――ずっと求め、諦めていたことが現実に起こっている。体を這う手の熱を確かに感じているのにどこか信じられない。本当に本物のライムなのかと疑いたくなったが「なんか言えよ」というムっとした口調はいつも通りでホっとしたようなしてないような。

「なんかって……きゅ、急にこんな」
「お前のこんな格好見たら、我慢できるわけねーだろ」

 雑にたくし上げられたままだったタイトスカートを戻したいのか、それとも脚を触りたいのか。どちらともいえない怪しげな手を軽くつねれば「いってェな!」と喚く目の前の男。怒るべき場面なはずなのに、自分に下心を持ってくれているのが嬉しくて叱るに叱れない。
 男を落とすための技でも増やせと言ったのはそっちじゃないかと、どこまでも可愛げのない文句を口にするとライムは眉間の皴を深くしながら何かを考えこみ、挙句の果てには大きな溜息をついて私にもたれかかってきた。

「ごめんって」
「え?」
「……昼間は悪かった。だから、もうこんなことはやめろ。次やったらおれ――多分相手の男殺す」

 とんでもなく物騒な台詞を真面目に吐いたライムは甘えるように私の首に顔を押しつける。まるで大きな猫のようだ。
 昼間のことを相当後悔しているのか、許しを請うよう何度も「わりぃ」と呟かれては頷くしかない。耳元に何度もかかる吐息に立っていられなくなる。

「私も、かわいくない言い方してごめん……ただ強くなって、ライムに……」
「おれに?」
「……認めてほしかった。女として見られてないなら……って」

 私の首元に埋めていた顔がむくりと起き上がる。さらさらでボリュームあるブロンドがくすぐったい。
 ずっと思っていたことをぽつりと口にしたはいいものの、現状から察するにそうではなかったようで。そこまで鈍い女ではないからこそ、ライムの「で?」とでも言いたげな視線に体中が熱くなっていく。
 言葉がうまく出てこない私に痺れを切らしたのか、ぎゅっと私を抱きしめてくれたライムはまた深い溜息をついて「見てねェわけねーだろ……」と困ったように呟く。どくんどくんと鳴る大きな鼓動は私だけじゃないように感じる。

「こうして触るとよ、我慢できねェし逃してやれねェんだよ。襲わねェ自信もねーし」
「……ケダモノ」
「うっせ。人のこと言えんのか」
「は?」
「こうすると……オンナの顔になるくせに」

 ひどく優しい手つきで髪を撫で、耳に触れ、頬に口付けていくライムの瞳は鋭い。ごくりと喉仏が上下するのが分かった。
 どちらからともなく顔を近づけていけばゆっくり唇が重なりこれ以上ない幸福感で胸が詰まる。目尻から零れ落ちた涙に気づいたライムはほんの少し唇を離したあと「ばーか」と憎まれ口を叩いて目尻にリップ音をたててくれる。

「お前を褒めるのも守んのも、おれの役目だろ」
「え?」
「泣かせていいのも、怪我させていいのも――全部、おれだけだって言ってんだよ」
「――まさか、それが理由で……?」
「あ? 悪ィかよ」
 
 喧嘩の原因がまさかそんなことだったとは思わず脱力してしまう。バカな男だと頬に手を添えると、不服そうな表情を浮かべながらも擦り寄りもう一度口付けてくるライム。
 分かりやすい言葉が欲しいと思っていたはずだったが、どうやらそんなもの必要なかったらしい。いつもより熱い互いの熱と照れ隠しの悪態だけで全て分かる。それは私たちにしか分からない暗号のような愛情表現だった。
 その後、船に戻るのかとライムに尋ねると「できるわけねーだろ」と苦々しく言われ思わず首を傾げる。本日三度目の溜息をついたライムは頭をがしがし掻くと「解決するまで戻ってくんなって、スゲェ怒られたんだぞ」なんてげんなりしている。あの場にはスネイクとホンゴウもいたし、どうやら私が船を飛び出したあと大変だったらしい。

「解決したじゃん」
「したけどよ。……急にこの状態で戻って耐えられんのかお前」

 ドレスアップした自分の姿、腰に回ったライムの手、まだ火照ったままの頬。私たちのことを知り尽くしたみんなが大喜びして酒盛りの支度を始める様子が嫌というほど浮かんでしまい「無理だね」と即答すれば鼻で笑われた。あァ、本当このあとどうしたらいいものか。
 ――自分が既に宿をとっていることを言いだすにはもうしばらく時間が必要だと大きな胸板におでこを乗せ息を吐いた。

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