沈みゆく太陽を背にした大きな鳥は、私の目の前に降り立つや否や不敵に笑ってみせた。青く揺らめく美しい羽を撫でると、それはすぐさま一人の男の腕へと変化し私の腰を引き寄せる。

「久しぶりだな」
「本当だね。仲間になりにきたの? 嬉しい!」

 にっこりと笑みを浮かべ定番の挨拶を口にすると、マルコの表情は苦々しいものになり「ここの連中はおれに会ったらそう言うよう訓練でもされてるのかよい」とうんざりしたようぼやく。定番とはいえども本心なのに、失礼な。
 僅かな時間しか見られない儚い橙の空を一人眺めていただけだったが、まさかマルコと肩を並べて見ることができるだなんて、今日の私はツイている。彼と会うのは戦場かたまの宴のどちらかのみで、こんな色っぽい雰囲気になんてなろうと思ってもなれない。

「またおつかい?」
「まァ、似たようなもんだ」
「それで私に会いに来たと」
「自惚れんなよい。ちょいと羽を休めに来ただけだ」

 それならさっきから私の腰に回っているこの腕は何なんだと問いたいが、そんなこと口にしようものなら「それもそうだな」なんてしれっと離れてしまうに違いない。
 余計なことは言わない方がいいと言葉を飲み込んだにも関わらず、彼の手は急に私から離れてしまう。なんだったらさっきより距離をとられてしまい隣が涼しくなった。

「そう怖い顔しなさんな。休ませてもらいに来ただけだよい」

 大きな声でどこかに呼びかけるマルコ。いきなりどうしたの、なんて口にするまでもなかった。マルコの視線の先には黙ってこちらを見ていた副船長の姿。
 マルコに「副船長はいつもあんな顔だよ」と言っても「おれにしか感じない圧ってやつがあるんだよい」と返されてしまっては反応に困ってしまう。何もされてないことを視線で副船長に主張すると、彼は煙草の煙を勢いよく吐き出しながらゆっくりこちらに向かってきた。

「気配を消して船に降り立った野郎の言葉に信憑性はねェな」
「そいつァ悪かった。あんたらの頭に見つかっちまうと、すぐに帰しちゃくれねェだろうと思ってな」
「え、すぐ帰るつもりだったの?」
「つかいだって言ったろい」

 まだ太陽は沈んでいない。せめて夕飯くらい共にできたらと思っていたのに残念だ。
 「つまんないの」と文句を言った私に苦笑いを浮かべるマルコ。私の頭をぽんと優しく叩いて「またな」と口にしようとしたそれを遮ったのは私を呼ぶ副船長の声だった。威厳あるその声に反射的に「はいっ」と顔を上げると、そこには悪い笑みを浮かべた副船長がいた。
 彼は煙草を海へ放り投げたあと「てめェの宝はどうしろって教えた?」とだけ言い放つ。その一言で私の気持ちが副船長にバレてしまっていることが理解でき背筋が凍ったが、彼なりのアシストに今は感謝しかない。

「自分で奪え、護れ、獲られるな、です」
「分かってるならそんな顔してんじゃねェ」
「了解!」

 私たちの間で繰り広げられた小気味よい会話をぽかんと眺めていたマルコは隙だらけで、抱き着くことなど造作もなかった。
 「なにすんだよい!」と慌てふためくマルコの引き剥がそうとする力に耐えながら「お頭ー! ここに大きくて珍しい青い鳥がー!!」と大声で叫べば中からぞろぞろとクルーたちが出て来る。お頭が顔を出すのも時間の問題だ。

「――っ! お前っ……!」
「そのまま飛んで逃げれば、お前はウチの大事なクルーを連れ去った敵……ってことになるが、どうする?」

 したり顔でそう言った副船長は愛用する長銃を片手で撫でた。さすが副船長、頼りになる。
 私たちの言わんとすることが分かったのか、大きな溜息をついてその場にしゃがみこんだマルコは「あー、やられたよい……」と頭を抱え込む。にやり、と副船長の方を見上げれば彼も似たような顔で厨房の方に向かっていく。

「ルウに予定の変更を伝えてくる。酒はまだあったな」
「うん! この前買い込んだやつがたくさん!」
「そいつァ、頭も喜ぶ」

 遠くからのらくらやってきたお頭の「呼んだか〜?」なんて声が聞こえてきてくすりと笑みがこぼれた。私を睨んでいるであろう横の男の心情など知ったことではない。
 私が唯一忠誠を誓った赤い髪の男は今日も呑気に笑っている。大きく手を振った私とその隣でうんざりしているマルコを視界に入れたお頭は「おぉ!」と目をキラキラさせお決まりの台詞を口にしたのだった。深い溜息が隣から聞こえてきた。

 宴もたけなわ、というフレーズを昔なにかで聞いたことがある。騒ぎがお開きになる際に誰かが口にしていた――そう、私が海賊になる前、十年以上前の頼りない記憶。すっかり海の女になってしまった私は、その言葉をいつ、どうやって使うべきなのか正解が分からない。だって私たちの宴は始まったら最後、終わりらしい合図がないからだ。
 お頭たちを取り囲んでたクルーの半数が床で雑魚寝を初めてしまった。それでもまだ酒を欲する人間がいるんだからお開きなんて概念あるわけがない。念のために追加しておくかと、酒蔵と化した倉庫に来てみたはいいものの目当ての酒は私の遥か上の棚に保管されていた。手を伸ばしてみても届かない。台を探すのも面倒だ。

「下の安いお酒でいっか……」
「おいおい。客人にそりゃァあんまりだろい」
「――ッ、マルコ!?」

 いつの間にか扉付近まで来ていたマルコに肩がびくついた。電球が切れている倉庫内では廊下の灯りだけが頼りだというのに、高身長の彼に入口を立ち塞がれてしまっては酒樽のラベルもよく見えない。
 「さすが、うまそうな酒が揃ってるな」と言いながら中に入って物色するマルコからはアルコールの香り。楽しそうにしていたお頭にぐいぐいお酒を進められていたけど、そこまで酔っている様子はない。かわし方が上手いな。
 電球のスイッチを何度も押すマルコに「いま切れてるの」と伝えると「へェ」という返事だけが返ってくる。多くの時間を共に過ごしたわけじゃないから知ったような口は叩けないが、こういう時の彼は何を考えているのかいまいち読めない。
 さっさと追加の酒をとって戻ろうとしたその時、部屋の中が真っ暗になった。――否、正しくは光が差し込む隙間がなくなった。

「ちょっ、なにしてるの!」
「扉を閉めただけだろい」
「電球切れてるって聞いてた?」
「あァ、しっかりと」

 マルコの声に艶っぽい色を感じ、観念した。急に黙った私に「いい子だよい」と囁く彼の声と私に触れてきた指先にぞくりと粟立つ。

「なかなかこっちに来ねぇからな」
「お頭たちの傍に行くと面倒だから」
「……その面倒をおれに押しつけるなよい」
「楽しそうだったくせに」

 ふっと小さな笑い声が聞こえたかと思えば、優しく抱き寄せられる。そして強制的に上を向かされ唇を奪われた。優しい口付けだったはずなのにそれは次第に角度を変え、食べられているのではないかと錯覚するほど激しいものへ。隙間から捩じ込まれた舌に口内を犯され、わざとらしくたてる水音のせいで倉庫内の湿度が上昇していくようだ。いつもは飲まない強いアルコールの味が口いっぱいに拡がるのも手伝って頭がくらくらする。
 甘ったるい声をなかなか出そうとしない私がお気に召さなかったのか、マルコは私をきつく抱きしめたあと、もう一度深く口付けて絡めとった舌をちぅと吸い上げる。そして上顎をくすぐるようになぞられ、ついに意地を張る余裕がなくなった。
 私から漏れた小さな嬌声を確認したマルコは満足そうに口角をあげている。私たちの間を繋ぐてらてら光る銀糸の厭らしさに心臓がどくりと跳ねた。
 おそろしいほど静かで狭い暗闇のなか、私の乱れた呼吸音だけがするのが悔しい。夜目がきいてきたせいで、舌なめずりをするマルコがよく見えてしまい顔が一気に熱くなる。

「……仕返しだよい」
「ッ――、なんの……!」
「敵船の宴に強制参加させやがって」
「敵なんて、たいして思ってもないくせに」
「いいや。――いつかお前を攫っちまおうと企ててる男としては、この船の野郎は全員敵だよい」

 壁を背に座り込んだマルコは片手を私の方へ差し出し隣に座るよう目で訴えかけてくる。流されてはいけないと自分に言い聞かせながらも、ちょっとくらいいいよねなんて、女としての欲望にあえて負けてみることに。しゃがみこめば、肩を引き寄せられ髪に口付けられる。
 ――私とマルコの関係を一言で言い表すのは難儀だ。初めて会ったのはいつだったろう。白ひげ海賊団と対峙した際だったか、お頭が嬉しそうにマルコを私たちに紹介した時だったか。その時は敵のクルーをやけに気に入ってるんだなァくらいにしか思わなかったというのに。
 戦場を舞う青に目を奪われ、交流することで知った彼自身に心を奪われた。が、相手は敵船の幹部どころか白ひげの右腕。私は赤髪海賊団のクルー。どうこうなろうなんて発想生まれもしなかったというのに「お前さん、いい瞳をしてるよい」と宴の席で言われ口付けられては逃げようがなかったし、気持ちを隠すこともできなかった。
 いつの間にか惹かれ合い、焦がれ、募らせ、会えた際はこうして隠れて口付けをする。それ以上でも以下でもない、不思議な関係だった。

「今夜は泊まるの?」
「んなわけねェだろい。オヤジにどやされる」
「なぁんだ。客室に突撃してやろうと思ってたのに」
「……冗談抜きで攫っちまうぞ」
「襲われるのはいいけど、攫われるのは御免かな」

 私はこの船が大好きだから、と付け足すと「まだまだ苦労しそうだよい」なんてため息交じりのマルコ。
 自分の頬を彼の逞しい胸板に擦り寄せれば体がふわりと宙へ浮く。座ったまま軽々と私を抱き上げたマルコは自らの膝上に私を座らせるとぎゅっと抱きしめてくれた。指同士を絡ませ合ったり、互いの首筋へ口付けたり、していることは立派な恋人同士の行為だ。
 割れた腹筋をなぞると「くすぐってェよい」と笑うマルコの声。こんな時じゃないと聞けない掠れた低い声が骨にまで響いた。それくらい近い距離で無言の愛を伝えあっているというのに、視界に入ってくる白ひげのマークに現実を突きつけられる。夜目なんてきかなければいいのに。

「憎いかい、このマークが」

 ちらちら見ていたのがバレたのか、試すような目で私を見てくるマルコ。もう一度正面から白ひげの象徴を見つめたあと、好きだと呟く。私からすれば当然のことだったが、見上げた先のマルコは意外そうに目をまあるくしていて、それがちょっとだけ面白い。

「へェ。ウチに来る気に?」
「まさか。私のお頭はシャンクスだけ。私の仲間は赤髪のクルーだけ。でも、愛おしいと思ってるのはマルコ。攫いたいくらいマルコのことが好き」

 口付けは何度も交わしたが、言葉にしたのは初めてだった。言葉というのは恐ろしいもので、一度口にするととめどなく溢れ出るものらしい。無防備なのをいいことに何度も好きと囁きながら鎖骨に口付けを繰り返すといよいよ強い力で止められてしまう。
 「そこまでにしないと、我慢してやらねェよい」と言うマルコの呼吸は少し荒い。私でそうなってくれてるのかと思うとドキドキしたが、小さく深呼吸をしてもう一度彼の胸の中央に手を添える。びくりと震える体が愛おしい。

「これはマルコの誇りだから。私にとってのお頭のようなものだから。これを背負ってるマルコが好きなの」
「……心底攫っていきてェよい」
「あはは。だから、それはこっちの台詞」
「海賊の性だな」
「ほんとだね」

 埃と酒の香りが混ざる暗闇のなか二人で笑い合う時間が幸せでたまらない。こうしていつも私たちは平行線の道を辿るのだ。決して揺らがないものがある限り、何度逢瀬を重ねても変わらない。
 今回も両者一歩も譲らず、結果は引き分け。私たちの秘められた対決に勝敗がつくのは一体いつになることやら。


「じゃァ、世話んなったよい」

 星が瞬く夜空に燃え盛るような青い両翼が眩しい。外は少し冷えるなと思ったが、マルコの翼がゆらりと揺れればそれは暖かな風に変わるのだから不思議だ。
 すっかり酔っぱらってしまってるお頭に肩を組まれながら苦笑いで「気をつけて」と見送る際「次は私が勝ってやる」と付け足せば「望むところだよい」と意地悪な笑みで返される。別れ際に「次」という言葉を選んでしまうのは無意識の癖だ。果たしていつになることやら。
 風に乗り颯爽と飛んでいってしまったマルコの姿をしばらく眺めていると「なんだ? お前らなんか勝負でもしてんのかァ?」とどこまでも陽気な我らが船長の声。

「はい。ちょっと……宝の強奪戦を」

 「宝か! そいつァいいな!」と呂律が回ってないお頭の後ろにいた副船長が微かに笑ったような気がして、少し照れ臭い。マルコが飛び立ったであろう先には一際綺麗に輝く星が見え心が震えた。

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