お洒落な人、センスのある人への贈り物ほど困るものはない。本人なりのこだわりがあるのではないかと頭を悩ませたこと約一ヶ月。結局、購入したのは最初に一目惚れしたアスコットタイとネクタイリングだった。やや赤みがかった深い紫色のタイは品のある彼によく似合いそうで想像するだけで頬がだらしなくふやけてしまう。
 着用してくれるかどうか怪しいが買ってしまったのだからあとは勢いで渡してしまおう。そう気合を入れてボスの元を訪れたのだが、扉の向こう側から聞こえてきたのは彼の迫力ある怒号。これは……どうやらタイミングを間違えたようだ。
 部屋の中にボス以外の気配がないということは怒りの矛先は電伝虫の先。ここ最近忙しそうにしていたのは知っていたけれど、なにも誕生日当日に彼の眉間の皴が増えるような事態になることないじゃないか。
 今日は仕事の報告だけして自室に戻った方がいいのかも――なんて考えが脳裏を過った瞬間、さらさらと足元付近に溜まっていく砂の存在に気がついて心臓が大きく跳ねた。

「クロ――ボス!」
「さっきからなにやってんだテメェは」
「能力使って忍び寄らないでくださいっていつも言ってますよね
「さっさと入ってこねェお前が悪い」

 呆れたような溜息をついて再び部屋の中へ戻っていくボス。その背中を追いながら、今日任されていた仕事の報告や明日の予定の確認等を一通りする。私の話を聞いた彼は「あァ」と短い返事だけして新しい葉巻に火をつけ、ドカッと革張りのソファに腰かけると「用件はそれだけか」とだるそうな声で尋ねてきた。見慣れぬ袋をぶら下げておいて「はいそうです」なんて答えようものなら、私は即座に干からびてしまうのではないだろうか。分かってるのにわざわざ聞いてくるなんてイジワルな人だ。

「お忙しいのでは」
「使えねェバカのせいで苛立ってたところだ」
「えーっと、つまりそれは……」
「おれの言いたいことが分かるか? お嬢さん」

 含みのある言い方でニヤリと笑うボス。腰を鉤爪で捕らえられてはもう逃げることもできない。本当に仕事はもういいのだろうかとデスクに視線をやるとぐっと腰を強く引き寄せられる。本当、強引な人だ。

「ええっとですねボス、お渡ししたいものが」
「……」
「……受け取ってくれますか? クロコダイルさん」
「あァ……なんだ」

 強調して彼の名を呼べば満足気な笑みを浮かべる。それに、体内に取り込んだ煙を勢いよく吐き出したクロコダイルさんの眉間の皴はいつの間にかなくなっている。
 出会った当初こそ私は彼を怖い人だと思っていたが、共に過ごす時間が長くなればなるほどその印象はがらりと変わった。気軽に彼に触れることを許されるような関係になってからは、巨悪の塊のような顔をした彼をかわいいとまで思うくらいだ。……決して口には出せないが。
 革張りの真っ黒なソファに腰を下ろしプレゼントをおそるおそる差し出すと、クロコダイルさんは顔色一つ変えないままそれを受け取ってくれた。去年あげた万年筆を愛用してくれてるのは確認済みだが、着用するものをチョイスするのは初めてだから今更ながら緊張してしまう。
 私の緊張など知ったこっちゃない。そう思ってるに違いないくらいのスピードでラッピングを解いていくクロコダイルさんは、箱の中身をじっくり確認したあと「ほぅ」と声を漏らした。そしてすぐさま自身がつけていたタイを解き始める。彼の素肌は何度も見ているはずなのに、こう明るい場所で唐突に視界に入るとドキリとしてしまう。そんなにすぐ身につけてくれるとは思わなかったから心の準備ができてない。
 鏡の前に移動した彼は慣れた手つきでタイを巻き、一緒に入っていたネクタイリングを照明にかざし眺めたあと仕上げに首元まできゅっと引き上げる。あぁ、やっぱりその色にしてよかった。

「悪くねェ」
「はい。その……とてもかっこいいです」
「クハハッ……今日はえらく素直じゃねェか」
「お誕生日ですから。私でボス……クロコダイルさんの癒しになるなら、恥はかき捨てです」

 いくらでも言葉にする覚悟はしてきました。そう伝えると、若干の引っかかりを感じたのか眉をひそめられてしまった。それでもなんだかんだ機嫌がいいままなのか「まァ、いい」と私の頭に手を置き許してくれるのだから、やはり彼は優しい。
 頭の上にあった大きな手は頬をつたっていき私の顎を掬う。この先の展開がなんとなく分かってしまい、慌てて彼に横に座ってほしいことだけ告げ、今一度己を奮い立たせる。クロコダイルさんが不服そうなのはきっと自分の邪魔をされたからだろう。短気なのは困ったものだ。

「あの。もう一つ、プレゼントがありまして……」
「……なんだ」

 渋々隣に腰を下ろしたクロコダイルさんの隙をついて懐に飛び込んだあと、滅多に触れることのない彼のピアスを指でなぞる。そして彼の耳に優しくキスをした。緊張のあまり出た吐息が耳にかかったのか、クロコダイルさんの肩が少しだけ揺れたような気がした。
 いつだったか読んだ本の雑学を実践することに彼は笑うだろうか。それとも喜ぶだろうか。私より何倍もロマンチストで察しのいいクロコダイルさんのことだ。私の体の熱できっとすべて理解してることだろう。それが分かってるから太い首にしがみついたまま離すことができない。いま顔を見られたら恥ずかしさでおかしくなってしまう。

「くくっ……随分シャレた誘い方を覚えたじゃねェか」

 クロコダイルさんの太い指が背筋を滑っていく感覚にぞくりとした。どうやら狙い通りになったらしい――が、この先本当に生きて帰れるか胸に不安が広がる。
 咥えていた葉巻を近くの灰皿に押しつけたクロコダイルさんは「見せろ」とだけ囁くと力づくで己の体から私を引き剥がしあっという間にソファへと押し倒した。私の表情を見て更に気を良くしたのかゆっくり口付けられた唇は楽しそうに弧を描いている。なんて苦くて……蕩けそうなほどあまいのだろう。

「……嬉しい……?」
「……これで、分かんねェか。お嬢さん」

 不敵な笑みを浮かべたクロコダイルさんは鉤爪で私の手を掬うと、次々と指先にキスを落としていく。壊れ物を扱うかのようにされる行為に涙が出そうになった。全ての指先に愛を注いでくれたかと思えば、今度は指をぱくりと食べられる。次第にそれはエスカレートしていき、ざらついた舌を絡ませたり甘く歯をたててみたりと、もう私の反応を楽しんでるとしか思えない。

「っ〜〜、や、やめっ……」
「おれをその気にさせたくせになに言ってやがる」
「ちが、今日は……私が頑張ろうと……」

 今日こそは彼のペースに流されてなるものかと自分で贈ったタイを解き彼の首元を露わにする。
 その積極性を気に入ったのか「なら、楽しませてもらおうか。恥はかき捨て、なんだろう?」と意地悪く囁いた彼の熱い吐息と低い声が腹の底に響いた瞬間、彼を満足させるなんて十年早かったかもしれないと己の浅はかさを呪った。

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