海賊というのはしつこい生き物である。そう実感するには十分すぎるほどの時間を彼――赤髪海賊団副船長、ベン・ベックマンと過ごし私はいま頭を抱えてる。
 嘘みたいな話だが、私はあれからずっと仲間入りの勧誘を受け続けていた。この前なんて「次の島ではこんな珍味が採れるらしいぞ」と、食で釣るという雑な手段までとられたのだ。
 「行きませんよ?」と跳ねのけ「手強いな」と笑うベックさんとのお決まりのやりとりが楽しくなっていた、というのは内緒の話だが。

 “明日の正午、この島を発つ。……意味が分かるな?”

 昨晩、ニヤリと笑った彼の顔が脳裏に焼きついて離れない。意味というのはつまり、仲間になれとか必ず来いとか、まぁそういった類のことで間違っていないはずだが、そう簡単に「はい、分かりました」なんて返事できるはずがない。
 赤髪海賊団が初めてこの島に訪れた時のように、昨晩はウチの店でお祭り騒ぎだった。唯一初日と違ったのは、ベックさん以外の船員からも熱烈な勧誘を受けたことだろうか。中には既に仲間のように接してきた人もいた。一体船ではどこまで話が進んでいるのか。
 次に向かう島の情報や面白そうな冒険話には正直心躍った。コック長であるルウさんとの話はどれも楽しく興味も湧いた。それに、前にベックさんが言っていたコック不足は思っていた以上に深刻なようで手助けをしてあげたいとも思った。
 だが、ここで頷いてしまってはベックさんに何か言われるのは目に見えている。ただ意地を張っているだけなのは分かっているが、あれだけ突っぱねておいて彼の口端をあげさせる結果になるのはやはりどこか癪だ。
 ふぅ、息を吐いて緊張をほぐす。すぐそこにある港に行くのに私は何を緊張している。出会った当初彼らに助けられ、滞在期間中ご贔屓にしてくださった“お客様”の船出だ。お礼と旅の武運を祈ってベックさんが特に気に入っていた酒を手土産に港まで見送りに行くことは何も不思議なことじゃないだろう。
 そうやって港に来る最もらしい理由を作らないとどういう顔をしていいか分からないくらい、私は彼らの勧誘に心揺れていたのだ。
 民家の影からちらりと顔を覗かせると彼らの立派すぎる船が目の前に。こんなに大きな海賊船を見たのは初めてで「うわ」と間抜けな声が漏れる。改めて彼らが凄い海賊なんだと、世間に名を轟かせる大海賊なのだと気づかされ頭の中が妙に冷静になっていくのが分かった。あァ、私は大きな勘違いをしていたのかもしれない。

「おっ、嬢ちゃん! 待ってたぞ」
「こんにちは、船長さん」

 港でこの島の村長たちと話し込んでいた船長さんはいち早く私に気がつくとぶんぶん手を振って弾けんばかりの笑みを浮かべた。見送りに来ていたのは私や村長だけでなく、他のお店の店長さんや近所の子供たちまで老若男女。いつの間にか繁華街の人とも仲良くなっていたようで、彼らの人の良さが伺える。

「嬢ちゃんの言う通り、いい島だった」
「そう思ってもらえたならよかったです。ご贔屓にして下さって本当にありがとうございました」
「おいおい。まるでお別れみたいな言い方だな」
「あの……そのことですが、やっぱり私――」
「おい」

 低いハスキーな声が後ろから聞こえてきてどくんと心臓が跳ねた。この十日間、毎日聞いていた彼の声。
 振り向くとそこにはやはりベックさんの姿。煙草の煙を吐き出しじっと私を見下ろしてくる威圧感といったらない。親に叱られた子供のように黙って下を向き身を固めてしまう。

「そいつァなんだ」
「あっ、ええっと。ベックさんの好きなお酒、です……」
「……餞別ってやつか」

 こくりと小さく頷くとベックさんは眉間に皴を寄せ小さな舌打ちをした。そして肺に取り込んだであろう煙を勢いよく吐き出す。いつぞやかの怖い顔。苛立ちを隠す気がまるでないのが伝わってくる。

「なんだベック。フラれてるじゃないか」
「……ったく。仕方のない嬢ちゃんだ」

 髪をぐしゃぐしゃと掻きむしったベックさんはふいっと船が停泊している場所とは反対の、私が来た方向に向かってずんずん歩き出してしまう。
 ――そう、ここで彼の目当てが分かってしまい私は大慌てでベックさんの歩みを止めに走る。嘘だ。まさか、見られていたのか。

「ちょっ、待ってください! 止まって!!」
「聞こえねェな」
「う、嘘! 聞こえてるじゃないですか! 待って、やめてください!」

 いつぞやかは私の力に抗うことなく従ってくれたのに、今じゃちっとも思い通りになってくれない。
 引き止めるためにベックさんの太い腕を掴んだというのに、しがみついてそのまま引きずられてしまうという情けない結果に。その光景がよほど面白いのか、船長さんたちの笑い声が後方から聞こえてくる。
 港に一番近い小さな民家、さっきまで私が隠れていた場所に辿り着く。あぁ、もう駄目だと顔を両手で覆っていると、ベックさんは樽の裏に隠しておいた小さな荷物をひょいと持ち上げ「これだけでいいんだな?」とニヤリと笑う。恥ずかしさでどうにかなってしまいそうだ。ギリギリまでついていくべきか悩んでいたのがこんな形でバレてしまうだなんて。

「よくありません」
「なんだ。まだあるならさっさと纏めてこい」
「ッ〜〜、行けません」
「このやり取りもそろそろ飽きてきたな」
「あんな凄い海賊船に、私なんかが乗れません……!」
「そうか、なら――奪い去るまでだ」

 しれっと言い放ったベックさんに片手で抱き上げられ、そのあまりの高さに悲鳴がでた。落とされないと分かっていても恐怖で彼の首にしがみついてしまう。「熱烈だな」などと笑ってる場合ではないのだ。

「ベックさん! 下ろしてください!」
「昨日言った意味が分かってねェみたいだな」
「意味って……仲間になれって意味じゃ」

 くつくつと喉を鳴らしたベックさんは吸ってた煙草を踏みつけたあと私の耳元に顔を寄せ「攫われる覚悟はできてるなって意味だ」と不敵な笑みを浮かべる。
 私の意思などこれっぽっちも尊重されていなかっただなんて。選ばせる気など最初からなかっただなんて。海賊というのは人の話も聞いてくれないらしい。
 熱くなった己の耳を手で押さえ口を金魚のようにぱくぱくさせていると彼は機嫌良く笑い出す。

「ッ〜〜や、やっぱり行きません! こんな意地の悪い副船長のいる船になんか乗れません!」
「そうだな」
「っ、ちゃんと聞いてますか!?」
「そうだな」

 全く効かないと分かっていても彼の肩をぽかぽか殴ることはやめられなかった。何もかもを見透かしているようなこの人の瞳は毒だ。言葉に詰まる。それに、お得意のしたり顔で見られると不思議と素直に本音を吐けなくなる。
 あっという間に港に逆戻りしてしまい、ニカっと笑う船長さんや船で手を振る船員のみんなに迎えられる。ルウさんには「今夜はベックの好物にするから、手伝ってくれよな!」と一方的なお願いまで。もう頭が痛い。

「話は船長さんたちから聞いてたからね。あの店は私と息子たちが大切に守っておくから、安心して行きなさい」
「そ、村長のおじいちゃん……」

 昔から何かと良くしてくれていた村長ににこやかに見送られてはもう何も言えない。まさかこんな根回しまでされていただなんて。
 船長さんを軽く睨むと「そう怒るな。やったのは全部ベックだ」と笑う。ベックさんは何事もなかったかのようにしれっと新しい煙草を口に咥えている。
 「若いうちにしかできないことがある。悔いのない道を選ぶといい」という村長の一言に、もう私は腹をくくるしかなかったのだ。

「ベックさん……それと、船長さん」

 副船長に抱えられた状態での挨拶なんて実に間抜けだが、なかなか離そうとしてくれないのだから諦めるしかない。高いところから失礼します、と口にしたあと「こんな私でお役に立てることがあるなら、よろしくお願いします」と頭を下げた。
 私の言葉に気を良くした船長さんは「あァ!」と嬉しそうに返事をしたあと、船の上にいる船員たちめがけて「野郎ども! 新しい仲間だ! ――宴だ!!」と叫んだ。昨日も十分すぎるくらい飲んでいたというのに、海賊というのは本当に騒ぐのが好きなようだ。

「ようやく惚れてくれたな」
「っ……次の島の珍味に興味があっただけです。みなさんいい人ですし……その、」
「まァ、今日のところはそうしといてやる」

 抱き上げていた私を地上に下ろしたベックさんはふっと余裕そうに笑っている。結局この人のいいようになってしまったのが悔しく、恥ずかしい。
 なかなか顔が見られないでいると角張った指が私の頬を撫でた。酒場以外でこういうことをされるのは初めてだったからか体がカチンと音をたて固まる。そしてそのままぐいっと顎を救われたかと思えばベックさんは至近距離で「よろしく頼む」とだけ囁き、返事を聞くよりも早く私の唇に自身のを押しつけてきた。触れるだけの優しいキスはほろ苦く、突然の出来事に頭が真っ白になる。
 不運なことに、大騒ぎしていた船員たち、船長さん、そして村長にまでしっかりと現場を目撃され、限界値を達した私の羞恥心は彼の右頬にパシンと音をたて発散された。

「ッ――あ、あなたの女になるとまでは言ってません!! 勘違いしないでください!」

 賑やかな音が消え辺りはシーンと静まり返る。いま聞こえているのは穏やかな波の音とカモメの鳴き声だけ。
 呆気にとられていたベックさんの眉間の皴はどんどん深くなり、またも小さな舌打ちが響く。
 この気まずい静寂を破ったのは船長さんの豪快な笑い声。それにつられるかのように、船の上にいたみんなも笑い始めるのだから驚いた。
 咄嗟のこととはいえ、副船長に手を挙げたのだから怒られる――否、殺されてしまうかもしれないと怯えたが私の予想とは相反してみんなやけに楽しそうだ。「嬢ちゃんサイコーだぜ!」なんて愉快な声まで聞こえてくる。
 おそるおそる目の前の人物の顔色を伺うと、右頬に手をやったベックさんは深くて長い溜息をつき「勘弁してくれ」なんて小さくぼやく。苦虫を噛み潰したような顔、とはまさにこのことだろう。

「ごっ、ごめんなさい、私つい……。でも、こういったことを軽々しくやるのはよくないというか……!」
「だーっはっはっは!! こいつァ、しばらく大変だなベック!」
「嬉しそうに言うなお頭」

 がしっと船長さんに肩を組まれたベックさんはどこかうんざりした様子で、酷く疲弊しているように見えた。
 楽しそうな船長さんは私の方へ視線を向けると「こいつァ根っからの女好きだが、悪いやつじゃない。そう怒んないでやってくれ」なんてにやにやしている。それはフォローなのだろうか。
 女好き。やはりそういう類の男性だったかと軽蔑の眼差しを送ると、ベックさんは再度「お頭」と不機嫌そうな声を漏らす。きっと立ち寄る島々でこういったことをしているのだろう。

「どうりで女性の扱いに長けてると思ってました」
「へェ、妬いてくれるのか?」
「そういう思わせぶりな態度がよくないと言ってるんです!」
「やれやれ。長期戦とは……骨が折れるな嬢ちゃんは」

 私の頭に大きな手をぽんと乗せたベックさんは困ったような笑みを浮かべたあと「ところで、名前を教えちゃくれねェか?」と尋ねてきた。そういえば、まだ名前を名乗っていない。
 「申し遅れました」と自身の名を告げると彼は満足そうに笑い「いい名だ」と呟く。低く艶のある声で、丁寧に、なぞるよう名前を呼ばれ思わずドキリとした。

「この船の副船長、ベン・ベックマンだ。歓迎する」
「は、はいっ。よろしくお願いします」

 差し出された大きくて逞しい手を掴む。ぎゅっと掴み返された強さにまたドキリと心臓が跳ねたのはこれから先待つ未知なる世界への胸の高鳴りか、それとも別のものか。
 ――その答えを知るにはもう少し時間がかかりそうだ。

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