海賊というのは冗談が好きなのだろう。そう思うことで流してきた屈強な男の言葉を、いま初めて笑い流すことができない。彼の熱い眼差しがそうさせてくれなかった。

「――いま、なんて?」
「ウチに来ないかと誘ってる」

 ――初めて会った日のことを思い返す。醜態を晒した後悔しかない。無銭飲食をしたガラの悪い男たちを追いかけた先にいたのが彼らだった。

「っ――そいつら! 捕まえてください!」

 力の限り叫んだ私の声が届いたのか、笑いながら逃げていた男二人組にひょいと足をひっかけ転倒させた大柄の男は「これでいいのか」と言ったあと煙草を吹かした。
 「はいっ!」なんて雑な返事をした私は、地べたに這いつくばる男の一人に馬乗りになり襟元を掴んで合計額を請求した。そいつはみるみるうちに怯え、私に大量の金を投げつけ足をほつれさせながら逃げだす。金があるなら無銭飲食なんてしないでほしい。
 散らばった金は請求した額よりはるかに多い。どうしたものかと困惑していると、後ろから豪快な笑い声。

「随分威勢のいいお嬢ちゃんだなァ」
「あいつら海賊だろ? 無鉄砲な真似はするもんじゃねェ」

 風になびいた黒いマントを肩に下げてる赤い髪の男。その隣でどっしり構えてる銀髪の男。この二人を知らないほど無知な人間ではない。
 新聞で見るよりずっと愛嬌のある顔だな、なんて冷静に思っていると私の視線に合わせてしゃがむその人――海賊、赤髪のシャンクスは「嬢ちゃん、美味い飯屋を知らないか?」と何事もなかったかのように尋ねてきた。

「は? 飯屋……?」
「あァ。全員腹ぺこでな。なにか食えるところを探してたんだ」
「そっ、それなら私の……、あっ、酒場を営んでまして……お礼をさせてください!」

 恐怖はなかった。助けてもらった礼をしなければと口から出た咄嗟の言葉。それを聞いた目の前の男二人は顔を見合わせ「決まりだな」と笑い合ったのだった。
 約束の時間、夕刻になってから酒場を訪れたのは想像していたよりも少人数だった。店がしっかり埋まる賑わいはあったものの、あの赤髪海賊団だ。もっと大勢の人で溢れかえるに違いないと大慌てで食材や酒の確保をし、足りなかったらどうしようなんて心配をしていたのだが、これならどうにかなりそうだ。
 さっきはいなかった他の船員たちの視線を肌で感じながら改めてお礼を言うと「おれァ何もしちゃいない。やったのはベックだ」と親指で横を指す。

「脚をひっかけただけだ。礼を言われるようなことじゃない」
「いえいえ! あの人たちが大人しく去っていったのはきっとお二人がいたからです!」
「ははっ、確かに。お頭たちがバックにいて逆らおうなんて馬鹿はいねェだろうな」
「運が良かったな嬢ちゃん!」
「それでタダ酒が飲めるっていうんだから、おれらもツイてるぜ!」

 すでにどこかで飲んできたのではないだろうかと疑うほど愉快な船員たちにくすっと笑みが零れる。カウンターに席をついた副船長さんは「悪ぃが、騒がしくする」とだけ言ってマッチを擦った。
 自慢の品々をペロリと平らげ、げらげら笑いながら酒を仰ぐ海賊たちの宴はとても楽しいもので、まるで自分も参加しているのではないかと錯覚すら覚えた。それは、ときたま私に話をふってきたりゲームを持ちかけてくる船員たちの影響だろう。
 なかでも一番大きかったのはカウンターでそれらを眺めてた副船長さんに「嬢ちゃんも飲め」と誘われたことだ。いくら断ってもなかなか折れてくれなかったので一杯だけ共にしたが、いい酒なだけあって表情筋がふにゃりと緩む。

「それにしても美味いな」
「はいっ、ウチで一番のお酒です」
「いや、酒はもちろんだが……飯の話だ」
「え!? あ、ありがとうございます!」

 副船長さんが口にしていたのはウチの創作料理。この島で採れる食材を使った自慢の一品だった。試食を重ねに重ねたものだったが故に喜びもひとしおというやつで口角がこれでもかと上がる。

「この島の食材はどれも新鮮で、お肉も美味しいんですけど個人的にはお魚がおすすめなんです。繁華街へ行けばもっと凝ったものがあるので、もし時間があれば行ってみてください!」
「うまい魚はいいな。この前捕まえた海王類は食えたもんじゃァなかった」
「か、海王類を食べる!?」
「食料が尽きたらそうすることもある。優秀なコック長の腕でもどうにもならねェ硬さでな」
「す、すごい! どう調理するのか気になります」
「ふっ……一緒に来てみりゃ分かる」

 ガチャガチャとなる食器の音に豪快な笑い声、突然始まる誰かの歌。賑やかすぎるそれらを背景に副船長さんから聞く航海の話はどれも楽しく夢中になってしまう。
 会話の途中、ログがたまるまで十日ほどだという話を聞きこの島のおすすめやいい食材が手に入る穴場などを教えた。そんなに大きな島ではないが住民はいい人ばかりで活気のある平和な島だ。簡易的な地図をカウンターに広げ説明してると「この島が好きなんだな」と笑われてしまった。

「他で採れるっていう香辛料や食材にも興味は湧きますけど、やっぱり生まれ故郷ですから。思い入れがあります」
「……なるほど。こりゃ、少し手強いな」

 ふぅと体内に取り込んだ煙を吐き出した副船長さんは苦笑いを浮かべゆっくり立ち上がった。既にべろべろになっていた船長さんに「そろそろ行くぞ」と声をかけたあと有無を言わさず担ぎ上げたその姿はまるで保護者のようだ。すっかり夜も更けたが、彼らにとってはまだ早いのか方々から不満の声が漏れる。
 「行くぞ」と、それらを許さない副船長さんの無慈悲な一言に全員重たい腰を上げる。どんちゃん騒ぎの後片付けをするのは大変だが、店を出ていく船員たちの「美味かった」「また来るぜ」と残してくれた言葉がとても嬉しく、その後の疲れなんて吹き飛んでしまった。

 実に騒がしく愉快で楽しい話が聞けた夜だった。あんな日は滅多にない、そう思っていたのに翌日の夜しれっと店に顔を出したのは副船長さん。これには驚きの声をあげずにはいられなかった。
 「この店は客が来たら驚くのか?」なんて意地悪く笑われ反射的に謝ってしまったが正しいリアクションだったはず。昨晩と同じ席に腰かけた彼に酒の種類を聞けば「昨日と同じもので頼む」とだけ言われる。

「今日は金を払うから安心しな」
「いえいえ、そんな心配してませんよ!」
「昨日とは違う飯が食いてェんだが、なにかあるか?」
「えーっと、お任せと受け取っても?」
「あァ、頼む」

 他のお客さんも数人いる手前、昨晩ほど夢中になって会話をすることはなかったが「なァ」と声をかけられればやはり話し込んでしまう。
 これが美味い、さっきのやつが好みだった、なんて聞いてるうちにすっかり副船長さんの味の好みを把握してしまった。なら次はあの料理を出してみようかなんて“次”があるかどうかも分からないのに、日中思案したこともあった。
 ――そう、次なんてないだろうと思ってた。なのに、翌日も翌々日もそして更に翌日も彼はこの店に顔をだし何かしらで腹を満たして帰って行く。そんなにウチの味を気に入ってくれたのだろうかと思いながら今日も開店準備を進めてると、カランと扉の開く音。

「悪いな。少し早かったか」
「あっ――船長さん!」

 あどけない笑みを浮かべるその人を最後に見たのは確か五日前。彼らが初めてここを訪れた日だ。船長さんの後ろにはあの日一緒にここで宴をしていた船員も数人いる。そして横には副船長さんが不機嫌そうに立っていた。

「今日は船長さんも一緒なんですね」
「あァ……不本意だがな」
「不本意?」
「いやァ、ベックがえらく気に入ってるみたいだから様子を見にこようと」

 眉間に皴を寄せる副船長さんの隣に座った船長さんはどこか楽し気だ。後ろのテーブル席に腰かけた他のみなさんも、にまにまこっちを見てる。

「ふふっ、ありがとうございます! そうだ、副船長さんが気に入ってるお料理のレシピを渡そうと思ってたんです。これ、船のコックさんに渡しておいてもらえませんか? 味付けに使うこのスパイスはここから一番近いお店で買えるので!」

 はい、どうぞ。と折りたたんだ一枚の紙を船長さんの手中に収めると店内がシンと静まり返る。そして副船長さんの大きな舌打ちを合図に豪快な笑い声が響いた。何が起きてるのか分かってないのはどうやら私だけのようで少し焦ってしまう。何故って、副船長さんの顔がとても怖いから。

「だーっはっはっは! こりゃ、お前が苦戦するはずだ!」
「あー、は、腹いってェ!!」
「おい、これ他のやつらにも教えてやろうぜ。だめだ、笑っちまう……!」

 笑い転げる仲間たちに向けた副船長さんの銃の音がチャキリと聞こえ「ひぇっ」なんて間抜けな声が出た。地を這うような低く不機嫌な声に全員「悪い悪い」と形だけの謝罪をし急いで店から姿を消してしまう。一滴も飲まずにいくだなんて想定外だ。
 残ったのは私と副船長さんの二人。まだ開店前というのもあり、誰か入ってくる気配はない。深い溜息を一つついた彼は「ベン・ベックマンだ」と呟き私をじとっと見つめてくる。妙な色気に胸が鳴る。

「ベ、ベックマンさん……?」
「ベックでいい。いい女には名前で呼んでもらいてェもんでな」
「なっ、なにを……。まだお酒も飲んでないのにそんな……」
「おれがここ数日かけて言ったことは、全部酔っ払いの戯言だと?」

 ギラリと光った彼の鋭い瞳に言葉が詰まった。
 確かに女性の扱いに長けてる人だと思った。毎日訪れては旅の話をしてくれて、料理や容姿を褒められるなんてしょっちゅう。時には彼の太い指が自分の指に絡んだことだってあった。こんな魅力的な異性にそんなことをされてときめかないはずがない――が、全て酒の席でのこと。まして彼は海賊だ。そんなこといちいち真に受けては酒場の店主は務まらない。

「はァ……女の勧誘ってのは難しいもんだな。いい勉強になった」
「えっと……なんのお話でしょうか?」
「……ウチももう大所帯だ。この島に着く前からコック不足に困っててな」

 煙をゆっくり吐き出す姿は丁寧に言葉を選んでいるようにも感じ取れ、この話が冗談じゃないことを物語る。
 そしてカウンターについていた手に彼の大きな手が重ねられ再度鼓動が激しく高鳴った。こうして数々の女性を口説いてきたのだろうと頭で分かっていても目が離せないのだから困る。

「こういうのはいつもお頭が決めるんだが――おれが欲しくなった。一緒に来る気はねェか?」
「――いま、なんて?」
「ウチに来ないかと誘ってる」

 ここ数日、ベックさんのする航海の話に食いつくたび似たようなことは言われていた。確かに言われたが、こんなサラリとした勧誘を誰が真に受ける?
 開いた口が塞がらないでいる私を見てニヤリと笑ったベックさんは席から身を乗り出すと私の耳元まで顔を寄せ「それか、おれの女になってくれ」と囁く。かかった吐息に肌が粟立ち咄嗟に離れたが、どうやらそのリアクションがお気に召したらしい。おいしそうに煙草を吹かしながらニタニタと笑ってる。

「お、女って……ベックさんほどの人なら、たくさん候補はいるでしょう! 花街もありますのでご希望ならそちらへどうぞ!」
「体だけ欲しいならとっくに誘ってる。嬢ちゃんは……そうだな。思い出にするには惜しくなった」
「っ〜〜、たっ、戦いなんてできませんし、無理です!」
「戦闘員として誘ってるわけじゃねェ。……が、度胸はあるように感じたが?」

 くつくつ喉を鳴らしながら思い返してる光景は、きっとあの時のことに違いない。相手が悪事を働いたからとはいえ、どうして私はあの時あんな暴挙に出たのだろう。
 これ以上この人と一緒にいるのは危険だ。私の直感がそう告げ無理やりベックさんの体を店の外に押し返す。「おい」なんて不服そうにしてるが、大人しく押し返されてくれる余裕がまた顔を熱くさせる。

「ひ、冷やかしはお断りです! 営業妨害です!」
「客を追い返すとは、ひでぇ店主もいたもんだ」
「きょ……今日は臨時休業にします!」
「おいおい。嬢ちゃんの気分でそんなことしていいのか」
「いいんです!」
「そうか。なら、そのまま長期休業しても構わねェってことだな」

 なにがなんでも手に入れてやる。そんな宣戦布告を突きつけられたようで、何も言い返せなかった。ニヤリと笑ったベックさんは「また明日な」という甘い言葉を耳元に残し去っていく。
 ――ログがたまるまであと五日。苦い残り香と熱に腰が抜け、途方に暮れる私の頭の中は真っ白になった。

BACK