甲板に背を向けてから数秒後「お頭ァ!」と慌てふためくみんなの声が聞こえてきた。どうせ二日酔いに耐えかねて吐いたに違いない。だから昨晩あれだけ止めたのに。自業自得だ。
 そう思う反面、我らが船長をいつまでもあんな状態にしておくわけにはいかないという善の感情も顔を出す。離れたところで呆れたように見守っていたベックは「放っておけば直に元気になるさ」なんて言ってるけど。そんな薄情な副船長に「薬もらってくる」とだけ告げると「あァ、気をつけるんだぞ」と頭をくしゃっと撫でられた。この船のなかで一体なにを気をつけろと。いつまでも子供扱いされてることが解せない。

「ホーンゴーウ。薬ちょーだい」

 “ノックしてすぐ扉を開けるのはやめろ”といつも注意されるが、ついやってしまう。開けた扉の先から薬品や薬草の匂いがした瞬間“あ、また怒られる”と身構えたが、目線の先にいた探し人――ホンゴウは珍しいことに椅子に腰かけたまま瞼を閉じていた。

「あれ、ホンゴウ? 寝てるの?」

 近づいて声をかけてみてもピクリとも動かない。もしかしたらホンゴウも二日酔いなのかと一瞬疑ったが、この海賊船の中で一番自己管理がなってる彼に限ってそんなことはないだろう。それこそ昨晩「明日は死んでるかもな」とお頭の未来を予測し少し早めに自室で休んだのだ。その予感、見事的中したよ。
 「医者は清潔感が大事」と常日頃言っているだけあって、彼が管理しているこの医務室はとても綺麗で整頓されてる。何がどこにあるか一目瞭然。きっと自分の部屋も整理整頓してるに違いない。こりゃ、ホンゴウに私の部屋は一生見せられないなと日々痛感させられる。

「……肌も綺麗」

 うっかり口に出してしまった。至近距離でまじまじと見るホンゴウの肌はそのくらいきめ細やかで羨ましいくらい。整った鼻筋にも見惚れてしまったが、少しかさついた唇はやっぱり男の人って感じでちょっとだけドキリとする。
 無意識のうちに指でなぞってしまったのは彼の額にある傷。他にあまりない分目立つこの傷はいつどこでできたものなのか私は知らない。なんでも私と出会う遥か昔にできたものらしいが、詳しく聞いてみても「さァ、忘れちまった」なんてはぐらかされてしまう。
 私がもっと早くこの船の一員になってもっと力があれば。もっと医療の知識があれば――なんて意味のないことを思うようになったのはここ最近のこと。だってみんなを治療してくれるホンゴウが傷ついたとき一体誰が彼を癒してあげられるのだろう。
 ――そんなことを考えていたせいだろうか、そっと撫でた古傷に触れるか触れないかのキスを落としたのは。これは自分でも驚いた。だから、ピクリと動いたホンゴウの気配にも気がつかず腰に回された腕にあっさり捕まってしまった。あー、どうしよう。なんて言い訳をしたらいいか。

「なーにやってんだお前は」
「あはは、くすぐったかった?」
「寝込みを襲うたァ、悪い子だな」
「いやいや襲うだなんて。起こしてあげようかなと」
「随分大胆な起こし方だな。誰に教わった?」
「えーっと……ベックマン先生ってことにしとこうかな」
「そいつァ、一番よくない先生だ」

 誰にも教わってないが自分のした行動にこれといった理由が見つからない。とりあえず誰かに罪を着せておこうと適当に出した名前はホンゴウの腕の力をより強めてしまったよう。なぜだ。
 密着する体を離そうと両肩に手を置けば普段見上げてるホンゴウの顔が意外にも近くにあってなんだか照れる。お頭やベックと違ってこういったことを気軽にする男じゃないから尚更だ。

「怒ってる……? ごめんって」
「怒るべきか喜ぶべきか悲しむべきか。……まさかお頭たちにもしてんじゃねェだろうな」
「するわけないでしょ。酔っぱらったお頭にならされたことあるけど」
「っ、あの人は……!」

 眉間に皴を寄せたホンゴウは私の顔をまじまじと見たあと大きな溜息をついて急に体を解放した。し、失礼な。

「そんなに嫌だった? 痛そうだなと思ったらつい」
「何十年前の傷だと思ってんだ。次やったらもう我慢しねェぞ」
「え? なにを?」
「っ〜〜さっさとこれ持って頭のとこ行ってやれ」

 綺麗に整えてたオールバックをぐしゃぐしゃに掻いたホンゴウは錠剤が入った瓶を雑に投げつけてきた。え、ってことは……。

「最初から!? 起きてたの!?」
「お前の愉快な足音はすぐ分かる」
「っ、意地悪! 寝たふりなんて……やらしい!」
「人の顔ジロジロ見まくっといて言うことかよ」

 「このスケベ」とにやりと笑ったホンゴウ。今更ながら羞恥心がこみあげてくる。そっちだって、さっきちょっとお尻触ってきたくせにどの口が言うんだ、このスケベ。

「すぐ扉開けた罰だ」

 そう言っておでこをツンと押された。してやられたのが悔しくて勢いよく医務室を出れば後ろから「扉壊したら直させるぞ」なんて緩い声。そして目線の先には「薬一つ取りにいくのに随分時間がかかったな」と意味ありげに笑うベック。まるで一部始終見ていたかのような言い草だ。

「やらしいことされてた」
「だから言ったろ。気をつけろよって」

 声を押し殺して笑うベックを睨んでも意味なんて全くない。現にまた頭をくしゃっと撫でられた。この百戦錬磨感、この余裕。ホンゴウに今日の仕返しをすべく本当に先生になってもらおうかな、なんてことを考えながら甲板で小さくなってるお頭のところへ急いだ。



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