あたたかく柔らかな感触が唇から離れる。ひんやりした空気が濡れた唇に触れ、私の手は暖を求めるよう勝手に前へ伸びていった。

「雪菜?」
「……しんいち」
「ふっ、おはよう。ねぼすけ」

 紳一の体に手が触れ、名前を呼ばれ、初めて意識が覚醒した。それでもまだぼんやりとだけど。私の目が覚めたと認識した紳一はちゅっと小さな音をたてて私の唇に自分のを寄せる。あぁ、さっきのあたたかくて柔らかな感触はこれだったのか。

「……もっと」
「お?」
「ちゅー、して?」

 嬉しそうに目を細めた紳一の顔がゆっくり降ってくる。今度は触れるだけじゃない深くて長いキス。何気ない休日の朝がこんなにも幸せでいいのだろうか。大好きな香りに包まれながら何度目かのキスをしようとしたとき、壁掛け時計の秒針の音で私の意識は完全に覚醒した。

「あっ……! い、今何時!?」
「どうしたいきなり。確か……十時前だったような」
「今日、出掛ける予定だったはず!」
「気持ちよさそうな寝顔見てたら起こすタイミングをなくした」
「も〜〜!」
「それに、この雨だ。どのみち難しかったぞ」

 親指で窓の外を見るよう促され視線をずらせば、昨日の予報では言ってなかった豪雨。遅く起きたとはいえまだ午前中だというのに、まるで夕方のような空の暗さに一気に脱力した。
 こうなったら今日はもう家でまったりするかと頭を切り替えベッドから脚を出した瞬間、自分が何も身に纏ってないことに初めて気がつく。やっと動き出した思考が一瞬止まり昨晩のことを思い返したが最後、紳一の目が見れない。付き合って一年以上。こんな朝を迎えるのも数回目。「いまさら何を」とツッコまれてしまうのは分かってるが愛しい彼との情事後はやっぱりまだ照れ臭い。スッキリした頭では余計に。

「また照れてんのか」
「っ、ちがう」
「じゃあもう一回……」
「っっ、ふ、服……!」
「あぁ、それなら昨日俺が投げた……ここだ」

 再びキスしようと体重をかけてきた紳一が悪びれなくベッドの下から拾い上げた布の塊は間違いなく私のパジャマ。紳一が上半身裸の時点で気がつかなかった私の頭が悪いのかもしれないけど、私がこうなることを理解してたくせに指摘してくれないだなんて。ってことは、さっき私は裸でキスを強請ったのか。
 お手洗いから戻ってきた私に「なんだ着たのか」なんて口にするのは冗談なのか本心なのかイマイチ分かりにくい。が、おそらく本心なのだろう。

「当たり前でしょ」
「あのままでもよかったんだぞ」
「寒いもん」
「暖めてやる」
「……えっちなことしない?」
「してほしいか?」
「〜〜、質問してるのこっち!」
「あははっ。……可愛いことを言われたらするかもな。抑える自信はない」

 再びベッドに潜り込めば、たくましい両腕にすっぽり包み込まれてしまった。全部の体重を預けてもびくともしない大きな体。心底安心できて、癒されてしまう私だけの特別な場所。

「昨日の痕、綺麗についてるな」
「え!? いつの間に……」
「なんだ。気づいてなかったのか?」
「それどころじゃなかったもん」
「それもそうだな。昨日は特に恥ずかしそうだった」

 太い指が私の鼻先にちょんと触れる。羞恥心と快感と気怠さで細かいことは忘れていたというのに、紳一の言葉一つ一つで数時間前までのベッド上でのあれこれを鮮明に思い出してしまう。こういう様子を見て楽しんでるに違いないんだろうと視線を上にしてみれば、やっぱり意地悪な顔。憎たらしいはずなのに息を吸うのを忘れてしまうくらいカッコイイんだから困ったものだ。

「0時過ぎからの時はなるべく短くしてっていつも言ってるのに……ねぼすけは紳一のせいだ」
「雪菜が俺の質問にもっと早く答えてたら、さっさと次に進めたかもしれないぞ」
「あ、あんなたくさん……いちいち聞かなくたって知ってるじゃん! それに私ちゃんと答えた!」
「その日の気分もあるだろうし、それに……焦らされるの好きだろ」

 本当に天然で意地悪な男だ。図星を突かれた顔を見られたくなくて紳一の胸元に思い切り飛びつくと頭上から小さな笑い声が降ってくる。バレバレなんだろうけど、今はどうしてもこの熱くなった頬を見られたくない。

「かわいいな、ほんと。昨日もそうやって、照れて顔隠してもじもじして……。ハッキリ言ったらいくらでもしてやるのに」
「ハッキリって言われても……紳一がしてくれるなら、全部き、きもちいいから……わかんないよ」

 自分をSかMかで分類するならきっとMなんだろう。こっちの羞恥心をわざと煽るような意地の悪い囁きやじれったい指先なんかにいちいち反応してしまうだなんて、バレてるかもしれないけどさすがに恥ずかしくて口に出せない。もちろん、これは紳一だからって話だけれど。
 しばらく何の返答も返ってこないのを不思議に思って体を少し離すと、あっという間に体をベッドに組み敷かれ唇を塞がれた。わざとらしいくらいの水音のせいで一気にそういう雰囲気に塗り替えられ体が強張る。突然すぎて何一つ理解できないでいるうちにも紳一の手は止まらず、せっかく着たパジャマがどんどん剥ぎ取られていくのだからこれは間違いなく……。

「紳一っ、も、もしかして……え、なんか火点けちゃった……?」
「俺を煽るのがどんどん上手になっていくな。それも、無自覚か」
「ふぁっ、なんで……!」
「悪かった。なら、今度はいちいち聞かない。すぐよくしてやる」
「ん、……あ、朝っから!」
「さっき言ったよな? 可愛いこと言われたら、抑える自信ないって」

 耳元で囁くのはわざと。私を見下ろす紳一の胸をいくら押し返したってそれは無駄なことだと目を見て察した。朝からなんて滅多にないけど、思い返してみればそういう日はいつもこんな天気だったような気がする。
 余計煽ることになると分かってはいたものの、色っぽい瞳に射抜かれてしまっては吐息と共に出るのは愛しい彼の名前。自分でも驚くほどの甘ったるい声は激しい雨音にかき消されたか、それとも彼の耳にしっかりと届いてしまったか。



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