「またフラれたのか?」

 夜、家から徒歩五分圏内のコンビニ前で缶ビールを仰ぐ。私の気分がどん底に落ち込んでる期間中のルーティーンだ。成人してすぐ、夢中になってた彼氏の浮気現場を目撃した帰り道ここに辿り着いたのがそもそものきっかけだった気がする。
 そして声の主は、人ひとり分くらいの距離を空けたところに立っているラフな格好をした高身長イケメン。約束なんかしてないけど、いつもここで会ったとき数十分だけ言葉を交わす奇妙な間柄で、それが何故か数年続いてる。本当に変な関係だと思うけど、個人的には心地よくて気に入ってる。

「また会ったね、ロン毛イケメンくん」
「その呼び方やめろって何回言えば分かるんだよ」
「だって、初めてあったときの印象強いんだもん」

 彼氏のえぐい浮気現場を目撃してこの場所でアルコールを飲み干し号泣していた横には、当時まだ学生服を着ていた彼がいた。そのとき気まずそうにしてた彼はさらさらのロン毛で、風貌はよくいる不良ってやつ。それから一週間くらい、毎晩このコンビニに通ったけど、どうやら彼もこの場所で意味のない時間を過ごす仲間だったようで。「一人で飲むのもつまんないからちょっと付き合ってよ」なんて我が儘を言ったのがこの奇妙な関係の始まりだった。
 名前や連絡先、そんなもの知る必要がない。ただテンションが落ち込んだとき、一人になりたいけどなりたくない、放っておいてほしいけど構ってほしい、そんな矛盾だらけな夜の話し相手。随分と勝手な、なんて言われそうだけど嫌だったらこの子も毎回ここへは来ないだろうし、自分のことも話したりしないはずだ。

「っていうか久しぶりだね。前会ったのいつだっけ」
「誠実で真面目そうだった彼氏が実は借金まみれで……」
「うわ〜!! そうだ! 嫌なこと思い出しちゃったじゃん〜!」
「って、そっちが聞いてきたんだろーが」
「記憶力いいね」
「そっちの話が毎回ぶっ飛びすぎてんだよ」

 っていうことはもう半年前くらい。そのくらいこの子とは会ってなかったのに、なんでこんなにスムーズに会話ができているのか。友達でも知らない人でもない、この時間この場所でしか会えないって、なんだか恋愛ドラマみたいでちょっと笑っちゃう。

「あれ……ってことは、もう大学生?」
「おう」
「バスケは? 続けてんの?」
「まーな」

 三回目にここへ来たのは仕事の忙しさで死にそうだったとき。いつものロン毛イケメンくんが見当たらないなぁと思ってたら「おい」とただのイケメンに声をかけられ吃驚したのを今でも覚えてる。「……ただのイケメンくんになっちゃったじゃん」と零れ落ちた言葉に嘘はなかったのに照れ臭そうに「からかうんじゃねーよ」なんてそっぽを向かれたっけ。
 私の愚痴に突き合わせてばっかで、たまに相槌を打つだけだった彼が自分のことを少しずつ語りだすようになったのは確かそのあたりから。缶ビールに口をつけながら少し前のことを思い出していると「で、フラれたのか」と最初と同じ質問をされた。

「残念、今回は仕事のこと。日本語通じないおじさん上司と毎日顔合わせてるとね。こういう日がないと」
「彼氏は?」
「今は仕事に生きようかと」
「要はあれからできてねーんだな」
「そっちこそ女の子の話あんましないね。彼女は?」
「んなもんいねーよ」
「……見かけによらず奥手だよね」
「うるせー」

 こんな大きな図体で一見怖そうなのに、その手の話題になると初々しく頬を赤らめてしまうんだから実にかわいい。
 詳しく話を聞かずとも、バスケ以外眼中になかった学生生活だったんだろうなってことは手に取るように分かった。男気ありそうだし、こういった会話の端々から彼なりの優しさも伝わってくるし、将来はきっといい男になるんだろう。

「心配しなくても、きっと君はこれからどんどんモテるよ」
「は?」
「イケメンスポーツマンで、不器用だけど優しくて……刺さる人には刺さるって」
「……雪菜サンは?」

 唐突に名前を呼ばれて数秒固まった。あれ、私どこかで名乗ったっけ?
 必死に記憶を呼び起こしてるけど、ここで缶ビールを飲んでる私は大体酷い有様だからそんな細かいこと思い出せるわけもなく。「名前教えたっけ?」と尋ねると彼は深い溜息をつきながら目の前までやってきた。
 初めて会ってから数年経過してるけど、過ごした時間はきっと過去のを合わせても二時間程度。それこそ映画一本分くらいじゃないだろうか。その中で、こんなに距離が近くなったのは初めてで少しドキっとした。

「社員証」
「え?」
「個人情報ダダ洩れじゃねーか」

 首からぶら下がったままの社員証をひょいと持ち上げられ「気をつけろよ」と言われてしまった。なるほど、それで私の名前を知ったのか。

「ありゃ、全然気づいてなかった。ありがとう」
「どんだけ疲れてんだよ」
「最近癒されてないからかな。今日もここで久しぶりのストレス発散だったし」
「つーか……さっきの返事は」
「なにが?」
「っ――だから、あんたには刺さんのかって聞いてんだよ!」

 急なことに何も言えないでいると、不貞腐れたような顔でこっちを見てきた目とかち合う。うぶな彼の頬は相変わらず少し赤くなってる。
 そして再度溜息をついた彼は「手、出せよ」とぶっきらぼうに言うと少しくしゃくしゃになった紙切れをポケットから出して私に握らせた。そこには連絡先と思われる数字が記されていて、やっと状況を理解した私は思い切り目の前の彼を見上げてしまった。口元を押さえてそっぽを向いてる姿は、私がよくからかったときにする顔と同じなはずなのに、今日に限ってはこっちまでドギマギしてしまう。

「三井、寿」
「え?」
「俺の名前」
「寿……くん」
「そう」
「えーと……桜城、雪菜です」
「おぅ……つーか、さっき見たから知ってる」
「あっ、そうだった」

 気恥ずかしさからくる緊張感もあったけど、今更すぎるこのやりとりが面白過ぎて我慢していたものが吹き出した。ケラケラ笑う私を見た寿くんは眉間に皴を寄せて「なに笑ってんだ!」なんて怒ってたけどちっとも怖くない。そういえば初めて会ったときも怖さは微塵も感じなかったな。年下というのもあったかもしれないけど、口は悪いけど優しかった。

「とりあえず、あれだね」
「なんだよ」
「今度は明るいうちに会ってみようか」

 ビール片手にえぐえぐしていたこんな私に興味を持ってくれてたなんてにわかには信じられないけど、さっきからずっと照れ臭そうにしている大きな男の子が私をからかえるとは思えない。
 それに、彼と話をした後はいつも嫌な気分がどこかへ吹っ飛んでいたから、コンビニからステップアップするのも悪くないかもしれない。






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