「私の好きは、洋平と一生一緒にいたいって意味の好きだよ」って言ったあと「今更離れようなんて思っちゃいねーよ」と、軽くキスをされた。だから、その日を境に私と洋平は恋人同士という関係に昇格したのだ。
だけど、相変わらず私は子供っぽいままだし洋平はその面倒を見てくれるお兄ちゃんのようで、キスだってあの一回だけだった。……あのキスからもう二ヶ月。
だから今日こそはと気合を入れ浴衣で挑んだ夏祭りだったのに。案の定というかお約束というか、持ってた小銭入れは落とすし、たこ焼きのソースは浴衣に垂らしてしまうし、人混みにのまれて洋平とはぐれてしまうし、早い話が散々だった。
お目当ての打ち上げ花火の時間までに上がりきっているはずだったテンションはどん底で、自分のみっともなさに涙が出るのを必死で堪えるべく夜空に咲く色とりどりの花を無心で見上げた。
「なんて顔してんだよ」
「…べつに、いつもこんな顔だもん」
「確かに、見慣れた顔ではあるけどな」
ほらよ、と私の好きなジュースを頬に当てられた。火照った頬が冷やされて心地いい。
古くて小さなベンチに2人で腰かけ、祭りを堪能した人たちの帰路をただ黙って見つめていた。想像では私も今頃あんな風な笑みを浮かべていたのにな。
「雪菜のドジは今更だろ。何そんなへこんでんだよ」
「…今日こそは洋平をドキドキさせてやろうと思ってたのに」
「へー? それはそれは。…まぁ、浴衣はいいアイディアだったかもな。染みになっちまったけど」
「っもー! なんで私ってこう……いまいち決まらないのかなー!」
自分の情けなさにだんだん腹がたってきた。洋平は私をドキドキさせるのが上手なのに、私はてんで駄目だ。
今だって、落ち込む私の頭を優しく撫でてくれてるその熱にドキドキしてる。狡い、悔しい。
告白のときされたキスは、煙草の味だった。それはお子様な私にとっては刺激が強すぎてものすごく変な気分になってしまったのを今でも覚えてる。
なんて言えばいいのか分からなくてつい「にがい」なんて言ってムードをぶち壊してしまった私が、洋平をドキドキさせるなんて十年早かったのかもしれない。
生温い風に乗った火薬の匂いが祭りの終わりを感じさせる。前を歩く人も少なくなってきた。
これはチャンス。改めて洋平の方へ向き直ろうと体勢を変えた瞬間、右足に鋭い痛みが走る。――あぁ、もう最低。
「どうした?」
「…なんでもない」
「……雪菜」
少し低く、ゆっくり私の名前を呼ぶそれに抗えたことはただの一度もない。それは”言うこと聞かないと怒るぞ”と同義語なのだ。
慣れない格好で歩くのだから想定はしていた。絆創膏だって持ってきていた。喧騒のなか気づかない振りをしていた靴擦れが今になってこんな傷みだすとは。異変に気づいた洋平にあっさり見つかってしまった右足は痛々しいことになっていた。
「お前っ、早く言えよ!」
「……絆創膏貼るから、大丈夫」
「貸せ。俺がやってやる」
端から見たら、今の私たちはきっとカップルに見えるのかもしれない。けど、私からすればこんなの昔と何も変わらない。
洋平はなんであの時キスしたのだろうか。告白されて少し気分が舞い上がってしまっただけ、なんて理由だったらどうしよう。洋平はそんなことする男じゃないと分かってるのに、それでもマイナスの想像が止まらない。涙が溢れ出すのは仕方なかった。
ぎょっとした顔の洋平が慌てて抱きしめてくれたけど、とにかく虚しさでいっぱいだった私はそれこそ子供のように泣きじゃくる。あぁ、みっともない。
「いきなり気負いすぎなんだよお前は。そのまんまでいーのに」
「こんな子供っぽい女、嫌にならないの?」
「じゃなきゃ今ここにいねぇよ」
「……悔しい」
「は?」
「洋平の言葉ひとつで、私、いっぱいドキドキするのに……私もドキドキさせたり、可愛いとか綺麗だって思ってもらいたくて頑張ってるのに、全然上手くいかなくて……もっと好きになってほしいのにっ! キスもしたいし、いっぱい触れたいのにっ!」
ダムの決壊のごとく大粒の涙と一緒に溢れ出た言葉は、我ながら少し大胆なものだった。けど、爆発した感情の制御はそう容易くできない。
霞んで見えた先にいる洋平は、自分の胸をぐっと鷲掴み困ったように笑っているような気がした。
「あー、もうお前ほんとバカだな」
「うるさい! 洋平のバカ! もー嫌だ!」
「いきなり直球投げてくんなよな…刺さっちまっただろーが」
「嘘だ……」
「嘘ついてどうすんだよ。昔から俺は泣いてるお前に弱いってのによ」
優しく撫でていた手に急に力が込められ、少し乱暴に口付けられた。それは最初に交わした口付けなんかよりもっと深くて、途中微かに開いた唇から洋平の熱が侵入してくる。数秒後その熱がゆっくり離れたころ、私の涙はぴたりと止まっていた。
「…苦く、なかった」
「我慢してたんだから、その分きっちり返せよ」
ちゅっと可愛らしいキスをしてきた洋平から昔のような香りはしなかった。