『寝ている彼に近づいてみた』シリーズ@


 早起きは三文の徳というけど、あれって本当のことだったんだ。目の前には瞼を閉じて綺麗な寝顔を浮かべてる神くん。それを拝むように見ている私は脳内でカミサマにひたすら感謝していた。

 たまたまいつもより早く目が覚めて、気まぐれにいつもより早い電車に乗って学校に着いた。まだ教室には人などほぼいないだろうと思ってたら、1人だけいた。大きな体に似つかわしくないほど爽やかで端整な顔立ちの神くんが頬杖をついて居眠りしているではないか。もしかしたら、バスケ部の朝練があったのかもしれない。そう思うと、起こすなんてとんでもない。少しの間でも寝かせてあげようと静かに前の席に座ったはいいけど、どうも落ち着かない。だって、後ろであの神くんが無防備に寝てる。

 神くんとは一年の頃からそれなりに話をする仲だったけど、ここ最近はそんな機会も減った気がする。きっとそれは神くんがバスケ部のスタメン入りをしたあたりから。入学してすぐの頃に比べるととても逞しくなった体は男の子って感じでドキドキする。運動部男子の成長ってすごい。

 体を反転させるとやっぱりそこには美しすぎる寝顔。顔小さいし睫毛長いし肌も真っ白。全ての女子が羨む要素を持ってる気がしてつい食い入るように見てしまう。

「あっ……」

 つい漏れてしまった声にハッとして口元を塞いだ。……どうやら起こしてはいない。髪の毛の横についてた糸くずが視界に入って思わず出た声だった。とったら起きちゃうかな? というより、神くんに触れるという行為そのものが緊張する。私なんぞが。

「ふっ……くくっ」
「え!?」

 耳付近にある糸を取ろうかどうしようか、いつまでも宙に浮いてる手がぷるぷるし始めたとき、目の前の神くんは肩を小刻みに震わせながら笑い始めた。私の素っ頓狂な声を聞いたのを合図に、くりくりの目をパっと開け、堪えきれないといった具合に爆笑し始めた。神くんでもこんなに笑うことがあるんだ。

「な、なに。……起きてたの!?」
「いや、少し寝てたのは本当だけど……桜城さんが前に座ったあたりから起きてたよ」
「ほとんど最初からじゃん!」
「だって、すごい視線感じるし、目開けにくくなっちゃって」

 うわ、バレてた。恥ずかしさと申し訳なさが一気に襲い掛かる。こんな綺麗な顔を数秒とはいえ独り占めしてしまって、いったいいくら払えばいいかな。

「それに……頭でも撫でられるんじゃないかって、ドキドキした」
「ち、ちがっ……、糸くずがついてて!」
「え? そうなの?」

 ぶんぶん首を縦に振ると、またいつものにっこり顔に戻って「じゃあ、とって」と爆弾発言。意を決して伸ばした手はまたぷるぷる震えてしまう。それを見た神くんは大きな手で自分の口元を押さえて笑ってる。なにがそんなに面白いの。こっちは必死なのに!

「ありがとう。タオルのがついたかな」
「朝練だったの? お疲れ」
「うん。試合近いからね」
「スタメン入ってから、なんかどんどん凄くなるもんね神くん」
「ははっ、そう思うなら、一度くらい試合見に来てよ」
「え!? い、いや、そんな私なんぞが行っても……」
「男は単純だからね。意外なことで気合入ったりするんだよ」

 バスケ部の試合は実は過去に一度だけ見たことがあった。練習試合だけど、友達とこっそり。穏やかな目の奥がギラギラしていた神くんは本当にカッコよくて綺麗で、直視すると私の目が潰れてしまいそうだったからその試合を最後まで見ることはできなかった。あんな姿をタダで見られるなんて。真面目にバスケ部の試合はお金をとってもいいレベルだと思う。
 そのことを話すと、神くんはまたケラケラ可笑しそうに笑い始めて目尻の涙を指ですくい始めた。そんなに面白いこと言ったかな。神くんの笑いのツボが分からない。

「はぁ……前から思ってたけど、桜城さん本当面白いこと言うよね」
「そうかな……私は結構真面目に言ってるんだけど」
「ふっ、うん。だからかな。……でも、直視できないっていうのは困るなぁ」
「ごめん! 不快にするつもりはなくて、ええと」
「あぁ、いや。そうじゃなくて。……なら、慣らしていこうよ」

 少し考えたあと、名案を思い付いたように人差し指をピンとたてる神くんは「また明日この時間に教室来てよ」と言ってきた。なんでも、朝練のあとは数分この教室で1人になることが多いらしい。

「え……それが慣らしていくになるの?」
「毎朝数分でも俺と喋ってたら、少しは慣れてくでしょ? 最近話す機会も減ってたし丁度いいと思って」
「そっか……た、確かに……?」

 じゃあ決まり、そうなったところで廊下がざわざわ騒がしくなってきた。時計を見るといつも私が登校する時間。簡単な指切りをした指がまだ少し熱い。
 その後、時間が経てば経つほど冷静になっていった私は遅すぎる緊張と疑問で感情がぐちゃぐちゃになってしまい授業どころじゃなかった。そんな私に気がついたのか、後ろでまた神くんのツボに入った笑い声が微かに聞こえてきた。


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