いつもと変わらない教室でいつも通りじっと牧くんの顔を凝視してると、いつもと同じようなタイミングで頭を叩かれた。教科書で軽くとはいえ少し痛い。
 もう2年近くこんな日常を過ごしているのに、いつまで経っても牧くんは慣れてくれない。

「お前も飽きないな」
「今日も牧くんがカッコイイのが悪い」
「はぁ…、そうかよ」

 私は同級生の牧くんが好きだ。
 大好きすぎるこの思いをどうすればいいのか分からなかった私は、1年の終わり頃突然「牧くんが大好きです」と思い切った告白をした。しかも「こんにちは!」みたいなテンションで。
 勿論、大して知りもしない同級生にそんなことを言われた牧くんは吃驚してたし確実に私への第一印象は”変な女”だったに違いない。
 そこから2年、3年と同じクラスになって席もわりと近くて。出足をくじいた私に最早怖いものはなく、そこから牧くんへの好意を日課のように伝えていたら本人も「あぁ、またか」みたいに私の扱い方を熟知してきたようで、今じゃすっかり距離が近くなった。私としては大満足である。

「そういえば牧くんの今度の試合観に行っていい?」
「桜城、部活は?」
「私は冬まで残らないもん。今までずっと観たかった試合中の牧くん、やっと観れるから今からすっごい楽しみ」
「……客席から大声とか出すなよ」
「えっ」
「やめろよ?」
「……手振るのも?」
「…目立たなきゃいい」

 やれやれ、と笑う牧くんのこの表情が一番好きだったりする。自分で困らせておいて何だけど、結局許してくれる優しさがかっこいい。
 現に、彼女でもなんでもない私がこうして抱き着いたりしても「暑い」なんて文句を言いつつ本気で引きはがそうとしてこない。ほんと優しい。


***


「結局あんたと牧君って付き合ってるの?」

 私と同じ部で引退した友人を連れ男バスの試合会場へ向かう途中とんでもないことを言われた。
 牧くんのことが大好きなことに変わりはないけど、付き合うとかそんな発想は頭から抜け落ちていたから。

 牧くんと同じくらい、私もこの3年間部活に青春を捧げていた。だから同じように部活に真っ直ぐ打ち込んでいる牧くんはキラキラして見えたし、顔もすごくカッコよかったし、とにかく私のなかではパーフェクトな完璧人間すぎて本当に尊敬してるし大好きだと思った。

「じゃあ何。要するにファンって意味の好きなの?」
「……考えたことなかった。ただ、好きって感じだったんだけど」
「ドキドキするとか、抱きしめてほしいとか、キスしたいとか」
「え!? ま、え、キス!?」

 突然の爆弾発言に大きな声がでた。周りの席のおじさんたちの視線が痛い。

「いきなり変なこと言わないで!」
「いや、2年の歳月でその発想に至らないあんたがおかしいのよ」
「だって…そんな、牧くんは牧くんだもん…かっこいいけど…えと」
「牧くんも男なのに、ずっとあんたに引っ付かれたり好き好き言われてよく平気な顔してられるよね」

 そんな話をしている間に、各学校の選手が入場し客席が一気に湧いた。勿論、私の目は真っ先に牧くんを見つけて釘付けになる。
 彼女とか、付き合ってるとか、キスとか、そんな話をしていたせいで、今までとは違う種類の緊張で顔が熱い。
 意気揚々ととった最前列だけど、こんな顔牧くんに見られたらどうしようなんて、数時間前なら絶対しなかったはずの後悔を今になってしてる。

 けど、そんな私のモヤモヤも本当に最初の数分間だけ。いざ試合が始まってしまえばコート内の熱と教室では見ることのできない牧くんの真剣な表情に圧倒されたし、ハーフタイムになったら全身の力が一気に抜けて力なくかっこいい…と呟くことしかできなかった。

「かっこいい〜〜〜! やっぱり応援うちわ持ってくれば良かったぁ」
「絶対後で本人から怒られるよそれ」
「……でも牧くんいつも許してくれる」
「うん。なんでだろうね」
「優しいんだよ、牧くん」
「…私にはそうは見えないけどな」

 友人がそういったところで後半戦が始まってしまったのでその理由を聞くことはできなかった。
 前半より少しだけ余裕がでたのか、後半は少し大きな声で応援できたような気がする。そして結果はやはりというか海南の勝利で終わる。心配なんてちっともしていなかったけど、やっぱりものすごく嬉しくてキャーキャー騒いでしまった。あまり大きな声は出すなと言われたけど、これくらいは許してもらおう。

「牧くん、戻ってきたよ」

 コートからベンチに戻ってきた牧くんを見て鼓動が少し早くなる。
 気づいてほしい気持ちと気づいてほしくない気持ちが同居するなんて初めての感情で戸惑ったが、ふっと見上げた牧くんの視線は真っ先に私に向いた。わ、やばい、顔が熱い。
 声をかけるべき?いや、手を振る?今朝考えていたことなのに頭のなかが真っ白になって、咄嗟に出たのはピースサインだった。
 おめでとう、とこれ以上ないくらいの気持ちを込めたのが少しでも伝わったらいいなと突き出したそれを見た牧くんは、私の一番大好きなあの顔でピースを返してくれた。
 ……そんなの卑怯だ。だって今までそんなことしてくれなかったのに。
 咄嗟に隠れてしまったのを見られたかは分からない。けど、あのまま直視はできなかった。

 隣で座ってる友人はそんな私を気にも留めず「で? どうなの?」なんて試合前にタイムリープしたかのようなテンションだ。試合のあと出待ちして一緒に帰ろうと思ってたのに、それはとてもできそうもない。 


 現実は残酷ってやつで、そそくさ帰ろうとした私の携帯がポケットで震えた。液晶画面に映る牧くんの名前に動揺して手が震える。

「も、もしもし?」
『桜城? 悪いけど会場の外のベンチで待てるか? ミーティング終わって解散したら向かう』
「い、いいよ、そんな疲れてるのに!」
『…お前がそんな気を使うなんて気持ち悪いな。まぁいい、待ってろ』

 それだけ言ってぷつりと切れた先から聞こえてくるのは無情な電子音。肩をぽんと叩いた友人のそれはエールのつもりなのだろうか。
 ふらふらした足取りで指定されたベンチまで向かう。友人は呑気な声で頑張れなんて言ってさっさと帰ってしまった。
 牧くんが好き、という気持ちは変わらないのに。見かたを変えるとこうも自分の感情が制御できなくなるなんて知らなかった。だって、今の私は牧くんに大きな声で「かっこよかった! 大好き!」なんてとてもじゃないが言えない。

「悪いな、待たせた」

 反射的に顔を勢いよくあげるとジャージ姿の牧くんがそこにいた。少し乱れた前髪が額にへばりついて色っぽい。必死になんでもないフリをしていつも通りの会話をするのが精一杯だ。
 というか、いつも私どんなこと喋ってたっけ?距離は?なんか近くない?いつもこんな近かったっけ?

「ま、まさかファンサしてくれるなんて思わなかったよ」
「ファンサ?」
「ピースしたじゃん」
「あぁ……別にそんなつもりなかったんだけどな」
「プロになったらああいうの喜ぶ女の子たくさんいるよ? だから、私が第一号って思うと、その、嬉しかった、です」
「俺はそこまでサービス精神のいい奴じゃないんだけどな。したいと思った奴にしかしない」

 本当?やった!嬉しい!
 前までの私ならそう言っていた。言え、言うんだ雪菜。じゃないと……。

「…おい、どうしたさっきから」
「えっ、なにが…?」
「目が合わないし、挙動不審だ」

 心配そうに体を曲げて目線を合わせてきた牧くんを前に、顔が爆発しそうなくらい真っ赤になったのが自分でも分かる。しまった。
 数秒後、何かを悟った牧くんは「あぁ」と含みのある笑みを浮かべ強めの息を吐いた。「やっとかよ」と掠れた声がしたと思ったら、ぐいと腰を掴まれあっという間に牧くんの胸にダイブする形になっていた。心臓が止まってもいいくらいの衝撃だというのに鼓動が早鐘を打ちはじめ、痛いくらいだ。

「やっと男として見たか?」
「――っ、ま、牧くっ」
「長かったな今日まで。こんなことなら、もっと早くに迫ればよかったか」

 この間まで毎日凝視していた牧くんの顔が、今じゃ1秒だって見ることができない。同じかっこいいなのに、全く違う気持ちに変わってしまった。
 私は呼吸するのも精一杯なのに、牧くんは少し嬉しそうというか楽しそうでくすくす笑ってる。

「いつもみたいに言わないのか?」
「な、にを?」
「俺のこと」
「……牧くん、わざと言ってるでしょ?」
「散々振り回されたからな。少しの意地悪くらいさせろ」

 さっきまでボールを持っていたごつごつした手が包み込むように私の右手をとり、指先に小さいリップ音をたてる。もう、どうしよう。
 2年もウザいくらい追いかけまわした仕返しだと言わんばかりに、牧くんの目はギラギラしていた。

「今度は俺の番だな」

 帝王と呼ばれている男にここまで本気を出されては、昨日まで口にできていたカッコイイの一言なんて勿論出るはずもなく。発散する場を失った私の感情が大爆発するのは時間の問題だった。

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