新山の横断幕が垂れ下がっている二階席にて自分たちの学校の試合を眺める。背中に新山女子と大きく書かれたジャージを羽織い、一生懸命声を張り上げながら。先輩たちのプレイを目に焼き付けながら。
 新山女子バレーボール部に入部してから、二度目のIH予選。周りから強豪と呼ばれるだけあってレギュラー争いは激しく、今年もスタンド席での応援が私の役割になってしまった。ナイスキー、と仲間から声をかけられている一つ上の幼馴染み、このチームのエースに目を向け息を飲む。コートで活躍している先輩たちは勿論だが、やっぱり彼女は私の憧れだ。私が彼女にトスを上げる野望は叶いそうにないが、来年こそは絶対にコートに立って三年生の意志を受け継ぐんだ。
 そう改めて胸に誓ったとき、先輩の打ったスパイクが綺麗に決まりホイッスルの音。胸の奥底からこみ上げてくる高揚感に体がぶるると震え心臓が跳ねた。やっぱり先輩たちは凄い。と、コートで喜ぶみんなを眺めていたら隣にいた後輩たちの声が耳に入ってきた。

「あ、男子も決着ついたみたいね」
「やっぱ青城だ」

 つい体に緊張が走り、さきほどとは違う意味で心臓が跳ねた。平常心を装い目線を目下のコートから奥の男子の方へ移動させる。……いた。
 すぐに発見できてしまうあたり重症なのだろうか。レギュラーの中でも一際大きい身長にがっしりした体格。くるくるした髪の毛が柔らかそうで、ハの字に下がった眉が可愛い。汗を拭う仕草や同学年のメンバーと笑い合う姿を遠目から見ただけで心臓がうるさいが、もっと近くで眺めたいとも切に願ってしまう。目線だけのつもりがいつの間にかしっかり彼を観察していて、そのせいか「先輩、青城の選手に気になる人がいるんですか?」とまさかの質問をされてしまった。見事に動揺する私が後輩たちの標的になるのはあっという間で、四方八方からの質問責めに顔がどんどん熱くなる。

「やっぱり主将ですか!?」
「いや、雪菜先輩だから〜」
「4番! エースの人!?」
「っ、もうすぐ先輩たちが戻ってくるんだから! いい加減にしなさい!」

 女子の恋愛トークへのアンテナの張り方は恐ろしい。止まらない好奇の目から逃げるべくトイレを言い訳に一階へ。ホールのひんやりした空気は火照った頬を冷ますには丁度良い。スタンド席を立つ口実に使ったトイレを通りすぎ、中庭が良く見える自販機の前で一呼吸。

 青葉城西高校のマツカワさんと知り合ったのは今から丁度一年前。やっぱりここ、仙台市体育館で。苦手だった炭酸飲料を間違えて買ってしまった私のすぐ後ろにいたのが当時二年生だったマツカワさん。1人で騒いでたのを後ろから聞かれてたなんて思いもせず。

「間違えたの?」
「え?」
「本当に欲しいの、どれ?」
「あ、えっと……これです」

 私が指差した500mlのペットボトルを確認して、なんの躊躇もせずそのボタンを押したマツカワさんは下からそれを拾い上げ一言。

「はい、交換」

 この時の笑顔と優しさ、そして自分の胸がキュンと音をたてたことを私は一生忘れないだろう。人はこんなにも簡単に恋に落ちてしまうものなんだなと冷静に思ったものだ。
 それ以降、青城を見かける度彼を目で追ってしまうのは私が恋をしているという立派な証拠。春高予選で初めて名前を知ったときは飛び上るくらい嬉しかったし、心のなかで何度もその名前を呼んだ。マツカワさん。
 見た目と苗字しか知らないけど、時が経てば経つほど想いは募る。もし彼女がいたらどうしようと悩む時期もあったけど、部活も恋も前向きに頑張ると決めたからクヨクヨしないのだ。
 あのとき間違えて買った炭酸がないことが今はちょっぴり寂しい。今度見かけたら、勇気を振り絞って話しかけてみようかなぁ。

「今度は間違えちゃダメだよ」
「っ……!?」
「あ、ごめん。驚かせた?」
「え、あ、いや……え!?」

 どこか聞き覚えのある声が後ろから急に降ってきて、両肩がビクリと跳ねた。後ろを向くと先ほどまで頭の中の9割を占めていたマツカワさんの姿。突然のことに全身に力が入り声が上手く出ない。私、今絶対表情筋おかしなことになってる。

「久しぶり」
「お、お久しぶりです!」

 微笑むマツカワさんは、近くで見るとやっぱりカッコ良さ倍増で今にも意識が飛びそうになる。去年より身長が伸びた?なんだか貫禄もついたように感じる。それに、色っぽさも相変わらずあって、なんというかもうカッコ良すぎて心臓おかしくなる。緊張で上手く口が回らないけど、これは絶好のチャンスだ。とにかく、なんでもいいから話題を……。

「あの!! 一回戦突破おめでとうございます!」
「見てたの? ありがとう」
「丁度、ウチと試合が終わるの同じくらいだったので……!」
「あぁ、新女だもんね」
「はい!」

 パーカーを着てるから当たり前だけど、それでもマツカワさんが私のことを新山女子の子と認識してくれていたのがものすごく嬉しい。

「そっちは?勝った、よね?」
「はい! あっ、って言っても私補欠、ですけど」
「あー、強豪だとね。まぁ、なかなか難しいよね」
「でも……それ言い訳にしたくなくて」

 マツカワさんの慰めについ本音が出てしまい焦って口を覆ったが時既に遅し。案の定鳩が豆鉄砲を食らったような表情で私を見てるマツカワさん。すぐに訂正しようにも思考が働かなく無駄にあわあわするだけで、アホの子だと思われてないだろうか。

「ご、ごめんなさっ、ちが、あの……」
「へぇ。いいね、強気で。前向きで」

 アヒル口の片側を吊り上げるように笑うマツカワさんに顔が一気に熱くなった。そんな、表情もするの?なにそれ知らない!
 咄嗟に視線を床に逸らして顔を見られないようにするも、「応援してる」の一言に耳を疑い勢いよく顔をあげる。その言葉だけで、貴方のその一言で私がどれだけ頑張れるか。
嬉しすぎて涙が出そうになるのを堪える。お礼の気持ちも込めた「私もマツカワさんの応援してます」の言葉は自分でも分かるくらい震えていたけど、遂に口にできたという謎の達成感でいっぱいになった。

「ありがとう」
「こ、こちらこそ!」
「じゃぁ俺そろそろ戻るね」
「はい!」

 我ながら気持ちのいい返事をし、くるりと踵を返す。連絡先を聞いたわけではないが、今の私の心はそれ以上に満たされていてきっと満面の笑みに違いあるまい。こんな顔して戻ったら、それこそみんなに何を言われるか。
 次の試合までまだ時間がある。その間で青城の次の試合が行われるならこっそりマツカワさんを見に端の席に移動しようか、そんなことを考えていたその時後ろから「あのさ」という呼びとめの声がした。驚いて顔だけ後ろに向けると変わらずそこに立っているのはマツカワさん。

「ふたつ、質問していい?」
「は、はい」
「ひとつめ、さっき俺のこと見てた?」
「!?」

 私が歩いた分を埋めるように近くまで歩み寄ってきたマツカワさんの口から出たのはまさかの質問。さっきって……え、まさか、スタンドから見てたの気づかれた?!嘘!?は、恥ずかし死にする!!

「ふたつめ」

 質問に全く答えられず俯く私を無視して続く言葉。続きを聞くのが怖いけど耳を塞ぐわけにもいかず、ただ黙って自分の手をぎゅっと握る。
 そして次の言葉を待つこと数秒、聞こえてきた台詞は私の思考を停止させるには充分すぎた。

「どうして俺の名前知ってるの?」

 瞑っていた目を勢いよく見開き、一度停止した思考を必死に働かせる。ちょっと待って、今、え、なんて……え、私、なんて言った?
 きっと端からすればものの数秒、けれど私からしてみれば数分間という長い沈黙。

“私もマツカワさんの応援してます”

 さきほど勇気を振り絞って口に出した自分の台詞を思い出し、それと同時に後悔した。そうだ。私が勝手に彼の名前を知ってるだけなのに。
 特に親しいわけでもない他校男子の名前を知ってるなんて、そんなの理由は限られてる。こうして会話するのは今日で2回目なのに、既に知ってるなんて気持ち悪いに決まってるじゃないか。そう心の中で嘆きマツカワさんの顔をチラリと見ると、意外にも本人はどこか楽しそうでニコリと微笑みかけてきた。

「あの、ごめんなさい私っ」
「おーい! 松川ぁー!」

 なんて回答をしたらいいのか悩んでいると向こうから青城の選手が彼の名前を叫んだ。混乱しかけていた私にとってはナイスなタイミングだが、機嫌の良かったマツカワさんの表情は少しだけ面白くなさそうに変化した。もう会話をするなんて余力の残ってない私としては「行ってください!」と早口に言うのが精一杯。

「一静。松川一静ね、俺」
「え」
「今行くー」

 自分を呼んだ仲間に大きく返事をした松川さんは、間抜けな顔して突っ立っている私に手をひらひら振り、ハッキリとこう言ったのだ。

「またね、桜城さん」

 あぁ、先輩方。みんな。少しの間、彼のことしか見えないであろう私をどうかお許しください。


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