スケア・クロウ
案山子×逆叉

 迎えに来いと逆叉は言った。無理だよと俺は返した。そんなの知るかと男はごねた。
 どうしても今夜会わなければいけないんだろうなと、俺は本能的に悟った。彼は俺のその直感力を信用していたし、同時に馬鹿にもしていた。
 勘、で生きていくなんて、普通に馬鹿馬鹿しい。
 だが、案山子と偽名を使う男は恥ずかしげもなくそうやって生きてきた。生き抜いてきた。

 理不尽な通話を一方的に断ち切られ、案山子は苦笑いしか漏れない。今も彼の声と、不快な通話ボタンの音が残って、混じって、ぐるぐると、夜風に冷たい耳朶を痺れさせていた。運転席に両手を預けて、溜息をつく。ちらと空を仰いだ。満月は三日前に過ぎて今日は下弦、細く透き通っていく白い月が、夜空に落ちていた。

 首都、東京。
 三六百五十万人の眠る夜の街で、何の手がかりもなく一人の男を探せと言う。
 普通の神経なら無理だと感じる。相手が逆叉という凶暴な男でなければかけ直している。また、逆叉という男ならかけ直したところで出てくれるはずもない。
 案山子はぼんやりと車の中で月を眺めていた。何も考えていなかった。迎えに来いと言われたところで、計画も何もなかった。ただ月が奇麗だなぁ、あと何日で消えてしまうのかなぁ。そんなことを考えていた。

 案山子は携帯をくたびれたスーツのポケットにねじ込んで、雲が流れて月が蔭るまで、呆けたように夜空を見ていた。
 雲が、煤けたように月を隠して、辺りを薄闇に包む。漸く、案山子は思い出したように緩慢にキーを回してエンジンに火をつけた。ゆっくりとアクセルを踏む。
「それじゃあ、行こうかな」
 黒いボルボは漆黒の闇より浮かび上がり、滑り出す。

 一時間内に案山子は、川沿いの屋台で酒を飲んでいる逆叉を見つけた。
 しかし、案山子はそこにいるという根拠があって行った訳ではなかった。大きな川の橋沿いの河川敷に、案山子は行ったこともなかったし、逆叉がそこにいたと聞いたこともなかった。また、そこにいると思って案山子が車を飛ばしたわけでもなかった。
 全くの勘。勘とも違う。幸運、というのかもしれない。
 案山子は何となく右に曲がりたい、何となく直進したい。それだけの判断で車を走らせていた。目的意識も何もない、それだけだった。
 圧倒的幸運、人一倍ぼんやりとして、とろくさい案山子が生き残れた唯一の理由だった。

「四十分かかってんなよな、遅ぇ」
 車道脇に車を止めて、寄って来た案山子が屋台に辿りつく前に逆叉が野次を飛ばす。案山子は慣れたもので、それで腹を立てるでもなく頬を膨らますと屋台の暖簾を潜った。
 季節はずれの熱いおでんの熱と、立ち籠る湯気、遠慮のない裸電球の暴力的な光が薄布の内側に籠っていた。案山子は出汁の香りに胸を膨らますといそいそと逆叉の隣に座る。
「ひどいなぁ。普通は着けないとこなんだからね」
「勘で威張んじゃねぇよ」
 罵倒しながらも、逆叉はすぐに屋台の親父に案山子の分のおでんを注文した。

 案山子は下戸の大食いで、逆叉は酒好きの小食だ。あっという間に出てきた一人前のおでんを食べ終えた案山子は、次いで横から逆叉の皿を引いた。殆ど箸をつけてない逆叉の皿を貰う。逆叉は特に留めずに、横目だけで呆れてみせる。
「慌てて食うと火傷するぞ」
 まだ湯気のもうもうと立ち上がる蒟蒻に噛みつく案山子は、口にそれが収まりきらぬままに大きく頷く。
「ふぁいひょーう」
「ガキか」
 鼻で笑って、逆叉は焼酎のコップを口に運んだ。

 逆叉という偽名を使う男とは、もう長い付き合いになる。この男が、逆叉と名乗る前から案山子はこの凶悪そうな男を知っていた。寧ろ、案山子は逆叉じゃないこの男の方がよく知っている節もある。
 幼馴染。そう名乗ると男に殴られそうだが、それに近いものだった。

 一頻りおでんを食べるだけ食べて、案山子は漸く人心地ついた。屋台のテーブルには空になった皿が填高く重なる。逆叉は馬鹿にしたように皿と案山子とを見比べた後に財布を取り出した。会計を済ます。二人並んで立ちあがると、月の雲は過ぎていた。
 案山子は空を見た。月が出ていると空を見てしまうのは、子供の頃からの癖だった。また、一度空を見るとそこから一歩も歩けず、翳るか満足するまで視線をそらせない。変な子、とよく言われたが、逆叉だけは昔から何も言わない。

 一分だか、十分だか。沈黙し立ちつくしていた案山子は、また走る村雲に視界が遮られて我に返った。屋台の椅子に座りなおして、逆叉は案山子を待っていた。首を落とした案山子と目が合うと、逆叉は立ち上がり、手招いて歩き出した。
「少し歩こうぜ」
 案山子は頷き、逆叉の細いスーツの背中に従った。

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