スケア・クロウ
案山子×逆叉

 あの頃は帰る家があって、俺は彼が迷わぬように手を引いていればよかったけれど、残念だが今は、彼が、何処に帰るべきなのかなんて俺にはわからない。

「お前は変わんねぇな」
 手を包まれて歩く、出し抜けに逆叉は言って笑った。案山子は虚を突かれたように目を丸めその顔を窺う。逆叉は疲れた大人の笑い方をして、喉を鳴らす。そうやってさり気無く、案山子の指を解こうとした。
 逆叉の左手が、案山子の手に重なる。絡みついた人差し指の間に滑り込もうとする。

 離さないで。
 案山子は逆叉の抵抗を見ながら、言葉に出さずに祈った。
 俺は絶対に離さないから。
 指が、皮膚に食い込むように隙間に入れ込む。留める方法を知らないで、案山子はその手に手を重ねてまるごと握りしめた。全てを包み込み、両手で両手を握り、弾かれたように顔を上げた逆叉の目を待ちうける。絡んだ黒眼に、案山子は溶けるように微笑んだ。

「さっちゃんもだよ」
 この手を離してはいけないと本能的に悟っていた。理由はなかった。いつも案山子の行動には理由なんかないが、逆叉はそれを神様よりも信じていた。
「ずっと、変わらない。大好きだよ」
 誓うよ。
 何を誓うのかも、今はわからないけれど。
 大きく息を吸い込んで、逆叉はじっと案山子を見つめいている。しばらく、何かを考え沈黙した後、子供宥めるような声を出したのは逆叉の方だった。
「カシ」
 言い含めるよう吐息を混ぜて、逆叉は肩を落とした。ゆっくりと手を手の間から引き出す。いざとなったら力があるのは筋肉のある逆叉の方が力があるのは明白で、その気になれば案山子になど抗えやしないのだった。

 ささやかな拘束は溶けるように解かれた。少しだけ温まった逆叉の手は、逃げるようにそのズボンのポケットに滑り込む。
 名前を呼ばれ案山子は叱られた子供みたくしゅんと項垂れて返事をする。立ちつくす長身の男を逆叉は見上げて、再度名前を呼んだ。案山子は長い前髪の簾から、怯えるようにその眼を覗かせて窺う。
「うん」
「俺が死んだら、いいもんやるよ」
「いいもん?」

 きょとん、案山子は奥二重の目を丸めて瞬く。しばし思案し、空を眺める。生憎月は雲に翳っていて、月の片鱗しか拝めなかった。うーんと案山子は唸ったが思考の後やけに力を込めてはっきりと拒絶した。
「いらないなぁ」
「そうか。じゃあお前は抜けちまえ」
「うん」
 案山子が運び屋なんて始めたのは、逆叉のせいでもあり、おかげでもあった。喧嘩ばかりしていた逆叉がその道の者と知り合うのはありがちな流れであったし、その繋がりから、ずるずると頼まれるままに案山子まで堕ちていくのも、ある意味ありがちな流れであった。

 さっちゃんがやれって言ったから。案山子にとって十分すぎる行動理由である。それがたとえ犯罪に手を染めるのも、それで十分なのだった。同時に「さっちゃん」が命じなければ案山子はその道に入ることも、留まることも、何の意味もないのだった。
 二人、もう手を繋げないけれど夜の道を歩いて車に帰って行った。戻った頃には河川敷の屋台はもう店じまいをしたようで、がらんどうの道路に一台、ぽつんと車が置き去りになっていた。

 案山子は逆叉を乗せて、車を走らせた。逆叉は別段どこに遅れとも命じなかったから、案山子は夜が明けるまで、延々車を走らせていた。
 朝やけに空に滲み始めたころ、流石に案山子は疲れを覚えた。眠い。目をこすると同時に尿意を覚える。もう何度目か分からない赤信号の点滅を左折して、案山子は目に付いたコンビニに車を停めた。

 眠い、体が重い。疲れた体を引きずってふらふらと案山子はコンビニに入り、用を済ませる。おまけに缶コーヒーを、二つ。自分用のミルクと砂糖のたっぷりはいったものと無糖のものとを選んで買うと、車に戻る。
「さっちゃん、コーヒー飲まない?」
 運転席に滑り込みながら、後部座席の逆叉に声をかける。返事はなかった。振り返り確認すれば後部座席はもぬけの殻だった。

 案山子が車を離れた際に、逆叉は何も言わずに降りたようだった。そういうことも度々あったので、仕方ないなぁのため息一つでやり過ごし、案山子はそのまま車を自分の家に向けて走らせた。
 そう言えば逆叉は何故今夜呼んだんだろう。
 帰りついた部屋の布団に丸まり、蕩けていく意識の中考えてみたが、いつだって答えなんか出たことはない。理由がわかるのは、いつも全てが終わってからだった。

 八木からの着信に気付いたのは、案山子が深い惰眠から覚めたその日の夕方、太陽が西の空に沈みかけている最中だった。安月給の畳部屋の布団から、小さな携帯の点滅に気づき、案山子は億劫そうに身を起こした。脱ぎ散らしたズボンのポケットをまさぐり、携帯を取り出す。そのまま自然と通話ボタンを押して、案山子は布団に寝ころんだままかけ直す。
 しばらく呼び出し音が続き、案山子がそのまま再び眠りに落ちそうになったころ、八木の低い声が電話口に響いた。
「何やってる、お前」
「すんません八木さん、寝てました」
 案山子の返答に、八木は沈黙した。沈黙の後厳かに、彼の死を告げた。

 案山子は通話が終わっても、しばらく電話の機械音を聞いていた。電灯のぶら下がった天井を見つめる。何の悲しみも驚きも起こらなかった。ただ、ああ、やっぱりそうかと納得するのみである。
 いつだって、理由がわかるのは全部終わってからだ。
 あの時離さないでと祈った理由も。

 案山子は携帯の着歴を漁った。八木の一個前、夕べ会ったはずの逆叉の最後の着信。
 逆叉は昨日の夜死んだらしい。
 着信履歴は、なかった。

 案山子は起き上がり服を着た。着古したジーンズとTシャツ、数日分の肌着と着替え。鞄に貴重品と一緒にぎゅうぎゅうに詰め込んだ。これからどうするか、どこに行くか。何をするか。具体的なことは何も考えていなかった。
 逃げちまえ。
 さっちゃんが言っていたから、逃げようと、ただそれだけ考えていた。

「それじゃあ、行こうかな」
 荷物をまとめ、ボストンバックを肩から下げた。ずしりと重さが肩に食い込んだが、さほど痛いとも思わなかった。家を出て鍵をかけた。何となくそうした方がいい気がして、鍵をポストから室内に投げ込んだ。
 階段を駆け降りる。一階脇の駐車場にボルボが見えたが乗らない方がいい気がして、裏に留めていたバイクに向かう。
 ふと、空を見た。
 まだ明るい空に気の早い白い月が欠けていた。四日前に満ちていた月だった。昨日より抉られ、歪になってもそれでもほんのりと透けながら、死んだ光を放っている。

 ああ、さっちゃんを迎えに行かなきゃな。かつて案山子という偽名を使っていた男は、ぼんやりとそんなことを考えて、月を見つめ続けていた。
- - - - - - - - - -
end.

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