※芥川はヘタレ設定
「うわ、寒…」
屋上の扉を開けると、冷たい風が容赦なく私の身を包んだ。閉めてしまいたい気持ちを抑えて私は屋上へと足を踏み入れる。
屋上へはもっと暖かく、日なたぼっこが出来る時に来るべきだ。冷気に包まれたこの場は安らぐことは愚か、授業のサボりスポットとしても適当ではない。
それなのに、給水塔の壁に寄り掛かる男が一人。壁で風は凌げるものの、寒さは変わらないだろう。私はその男にそっと近付くと、笑って名前を呼んだ。
「ジロー風邪引くよ?」
「屋上に来て」と妙に短文なメールを受け取った私は、本人らしくないと思って慌てて来たのだ。
顔文字も絵文字も、記号すらないメールなど跡部は日常茶飯事だがジローでは考えられないから。
「…もう16時だよ?」
「……うん…」
「部活行かなくて良いの?」
「……うん…」
「また樺地が探してるよ?」
「……うん…」
軽く顎を下げて「うん」としか言わないジロー。絶対に何も考えずに返答しているとみえる。
まるで兎のように耳を垂らしてうなだれるジローはいつもと違う。覚醒前のジローは確かに眠そうでぐーたらだけど、今のこの様子は眠いわけではないようだ。
「…どうしたの?何かあった?」
ジローの前にしゃがみ込んで下がっている目線と合わせる。目尻は下がり、今にも泣き出してしまいそうな顔をしていた。
「お、俺……」
「うん?」
「駄目だって…」
「何が?」
震える声で単語単語の区切られた言葉で話し出す。
改めてこんなのらしくない、と元気じゃないジローはジローじゃないと思った。
「今のままじゃ、俺……」
「駄目だって誰かに言われたの?」
「……うん」
「誰に?」
「…………」
私の質問は更にジローを困らせてしまったのか、滅多にしない苦笑をした。笑うか笑わないか。表情がハッキリとしているジローにしてみれば、苦笑と曖昧な表情は珍しい。私が今までで見たのはたった一回だけ。
他ではどうだか知らないが、私の前ではその一回しか見せたことがなかった。
苦笑したジローの顔はまた泣きそうな顔に戻り、そして黙り込んでしまった。見ていられない、否見ていたくないその表情に私まで泣き出してしまいそうな程。
「ジロー?私の知ってる人なんでしょ?」
「それ、は……えーと、…」
「ジローが嘘を付けないのは知ってるから。だから、言って?じゃなきゃ私は何も言えないよ?」
こんな聞き方は酷いかもしれないけど、こうでも言わなきゃきっとジローの口は開かれない。
多分今から出される名前は私にとっても、ジロー本人にとっても、大切な人だから。
そんな予想は的中で、小さい、本当に小さい声で吐き出された。幸い丁度風も吹いてなく、周りはシンと静まりかえっていたから良く聴きとることが出来た。「あとべ」と。
「跡部は他に何て言ったの?」
「今までのように寝てばっかり居るならレギュラーから外すって、」
「それで?」
「だからもっとちゃんとしろって」
「うん」
「じゃなきゃ名前にも愛想尽かされるって」
ぽたり、と一粒の滴が灰色のコンクリートの上に濃い染みをつくった。何処から、なんて考えずともすぐ分かる。ジローの丸い、純粋無垢な目からだ。
丁度夕日の逆光で反射してしまい、近くにいるのに表情は上手く読み取れなかったけど泣いているんだ。これは最終的なジローのSOS。
「お願いだから、俺頑張るから、名前…俺の傍からはなれていかないで…」
「大丈夫だよ…私はずっと傍にいるから」
「ほんとに…?」
「うん跡部が何て言おうと私がジローから離れるわけないよ」
幼児を宥めるように頭を撫でながら言葉をかけてやる。
涙は引いたのか、少しくぐもった声で「本当?本当に?」と小さい子がやるような聞き返しをしてきた。私はその度頷いて、そのまま強く抱きしめた。
安心させるため、そして私が安心するために。
「俺、俺さ、なるべく起きてるから!」
「うん」
「部活の時間はなるべく練習出るから!」
「うん」
「そんであとべに認めてもらうんだ!」
ああ、良かった。
顔は見えないから正確には分からないけど、笑っているんだろう。私の大好きな笑顔で、垂れ下がった目尻はキュッと結ばれて、尻尾があれば子犬のようにパタパタと振るわせる。
これが本来の芥川慈郎だ。
「だから名前!」
「え、わわ!」
「今は一緒に寝よー!」
えへへ、といつものように笑うと私の体こと自分も一緒に冷たいコンクリートの上に倒れた。
急なことでスピードがついた体は重力に逆らわず、勢い良く灰色の地面に向かう。ゴツンと言う音が脳内一杯に響く。ああ、痛い。
痛みはあるけど、大丈夫?と心配そうなジローの顔に笑って返さないわけにはいかない。痛みなんて無理矢理吹っ飛ばすんだ。
「…ん……名前…」
だんだんと重たくなっていく瞼に遅くなり少し聞き取りずらくなる口調。
「良いよ、寝ても」
風邪引かない程度に起こすから。この言葉はジローの耳には届くことなく空を漂って空気に交えて消えた。
小さな寝息を立てる前に、ぽつりと出された台詞に私の口角は上がらざるを得なかった。
はなれないでね(ニ度目の君の言葉に、私は誓うよ)
(ずっと隣にいるよ、と)
奥山ゆう /
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