合鍵
ピピピピピ、と三分間が経過した知らせを聞いて手にしていた本を置いて立ち上がる。すると不意にチャイムが鳴り、モニターを確認することなくドアを開けた。
「無用心だろ、ちゃんと確認しろといつも……」
「はいはい」
小言は聞きませんと玄関脇に掛けてあるスリッパを置く。麺が伸びちゃうと慌てて熱湯が注がれて食べ頃になったカップヌードルの蓋を開けると、良い匂いが私の周りを包む。怪訝な表情のまま日吉は私の向かいの椅子に腰を下ろすと、じっとこちらを見つめてくる。
「お前まさかこれ……」
「え?朝ごはんだよ」
時刻は午後2時を過ぎている。朝起きてからなにも食べていなかった私はこれが本日初の食事であり、お昼の時間を過ぎていようが朝起きてから食べたご飯ということで、朝ご飯だと言い張るのだ。
そんな私に彼は溜息を吐くと、そんなことだろうと思ったと片手に持っていたビニール袋を掲げた。
「台所貸してくれ、何か作る」
一人暮らしを始めて数ヶ月が経つが、台所は入居当時と同様に綺麗なまま。特別器用というわけでも不器用というわけでもなく、ただ物臭な私はあまり自炊をしない。食に対する興味も薄いため、外食もほとんどしない私は極端にあまりご飯を食べない。そのためか、日吉はたまに家にやってくるとこうして私のために腕を振るってくれる。
使い勝手を私以上に分かるのではないかというくらい手際良く調理を始める彼を眺めながら、とりあえずカップ麺を啜った。

「副菜だ、食え」
どんとテーブルに置かれた野菜がメインのおかずに箸を伸ばす。日吉は満足気にその様子を見ると、ソファに腰を下ろしてテレビをつけ始めた。
「今日はなにしにきたの?」
「暇だっただけだ」
テレビ画面を見たまま答える彼に、私がいなかったらどうするつもりだったんだろうと準備のいい食材に頭をひねる。特に連絡もなくやってきてはこうやって私に手料理を振る舞ってくれる。特別な用事はいつもないらしい。ただいつからか日吉が家に来ることが当たり前になっていた。
「ごちそうさまでした」
「お前はもっと食に気をつかえ」
「はいはい。あ、この間借りたDVD観る?日吉好きそうだよ」
ちゃちゃっと使った食器を洗い流せば、少しソワソワした様子で待つ日吉と映画鑑賞を始める。ホラー色が強い洋画だった。レンタルビデオ屋のランキング上位にあったので、なんとなく借りたのだが正解だったようだ。現に隣に座る日吉の目はすぐに夢中になっていた。
二時間三五分と程よい長さの映画を見終えると、すっかり夕暮れ時の時刻になっている。だらだらと今日一日が終わっていくのを感じた。
「えっと、これからどうする?」
「夕飯食べに行くぞ」
借りたDVDを返しがてら私たちは外に出た。すっかり二人で歩き慣れた道に、考えてみると可笑しくなってひとりで笑ってしまう。そんな私を日吉は訝しげに見ていて、何でもないよと口を添えてもまた笑ってしまった。
何度か二人で来たことのある居酒屋に入店する。開店してまだ間もなかったからか、店内にお客さんの姿はなかった。奥から私達と同い年くらいの店員さんがやってくると、広めの個室に通され、はじめの飲み物だけ聞かれた。
「生二つ」
どちらともなくそう言えば、声が合わさってどこか擽ったさを覚えた。お互いがはじめに飲むものはもう分かっていて、それだけ彼と一緒にいることを改めて感じた。
「ずっと思っていたんだが」
「なに?改って」
キンキンに冷えた生ビールがやってくると、定番のつまみを二、三種類注文する。そこで日吉はビールをゴクゴクとひと息で適量を飲むと深刻な顔をして言い出した。
「今日みたいな時なんだが……」
「今日?」
私も負けじとビールのジョッキを片手に喉を鳴らす。シュワシュワと炭酸が口の中を溶けて喉を通るのが心地よい。お通しの枝豆に手を伸ばしたところで手首を掴まれた。
「だから、俺がアンタの家によく行くだろ」
なにを今更と言わんばかりのことを言い出す彼に私は首を傾げるほかない。
「ほとんどないがアンタがいない時もあるだろ」
一言連絡をくれればいいのではという疑問は口には出さなかった。日吉はそんなことが言いたいんじゃないのだろう。
まだ一口しか飲んでないのに顔が真っ赤になっている彼を見ながら私は言葉の続きを待つ。
体感的には十分ほど経った頃、実際にはほんの二、三分だったかもしれない頃、日吉は漸く言った。
「……鍵をくれないか」
口に含んだビールを思わず噴き出しそうになったのを堪えると、咽せて何度か咳をする。今彼はなんと言ったのか。
「催促するのもおかしな話だが、あれば何かと便利だと聞いたんだ」
誰に、なんて言葉は喉でつっかえて出てこない。
「アンタが嫌じゃなければでいいんだが……」
「……いや、じゃない、けど……え、まって」
お酒に頼っても動揺が隠せない。
「いつか、言おうと思ってたんだ」
「かぎのこと……?」
「それもだが……俺と付き合ってくれないか」
今度は私が赤くなる番だった。
「アンタの彼氏として俺をそばに居させてくれ」

数時間後、チャリンと彼の手に合鍵を乗せた。

奥山ゆう /
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