綺麗な心
泣きたい


「泣きたい時に泣けば良い」


君はそう言ったね

そしたら私は泣けば良いのかな?
泣いて良いのかな?
こんな私が泣いて良いのかな…





「お疲れ、さま」

何もない、雲もない、そんな空に私は一言呟いた。呟く前も後も今この空間にいるのは私、ただ一人だけ。
何と言おうと誰にも聞かれるはずはないのに、何故だか声は小さくなる。このたった一言の言葉が、私にとっては罪深い言葉のように思えるから。後ろめたいんだ。皆にも、そしてあいつにも。

「名前、こんな所にいたん?」

「…蔵……?」

「今日は気温低いみたいやから、長居すると風邪引くで?」

「んー……うん、」

私の心が篭ってない返事に、蔵ノ介は苦笑すると隣に座った。同時に私は体育座りから仰向けの体勢に変わる。
ああ、本当に今日の空は太陽しか見えない。雲によって隠されていない太陽は少し、眩しい。

「何見とるん?」

「空ー?」

「ははっ、聞き返すなや」

爽やかに笑う蔵ノ介の声に私の心はそれだけで満たされた。
蔵ノ介の笑い声は聞いているだけで心地好い。まるで眠たくならない子守唄のようだ。

「今日は雲あらへんな」

「快晴ー?」

「そやなー風は少し冷たいけどな」

さわさわ、と少しだけ風が肌の上を滑るように過ぎていく。確かに少々寒い。
これはもう秋と言う証拠なのかな。暑い暑い夏よりも、私にとってはこれがちょうど良いかもしれない。
真夏日は嫌い。炎天下は嫌い。それは幼い頃から同じだけれど、今年でますます嫌いになった。

「…くしゅ、ん」

「風邪、引くで」

「これは誰かが噂してるの」

「セーターどないしたん?」

「無視かよ」

「そろそろ着た方がええで」

会話が若干どころか全く成り立っていないにも関わらず、何だか擽ったくなった。
口調は変わらないけど、声のトーンが少し変わる。くしゃみ一つで心配してくれたのが不謹慎ながら嬉しく感じる。
さりげなく、自分の着ていたセーターを私にかけてくれる蔵ノ介。優しくて何でも完璧な蔵ノ介はテレビでやる天気予報よりも気温や天気を正確に把握している。だから衣類の保温性も常に適確だ。

「良いよ、私は寒くない」

「くしゃみしといて説得力ないで」

「だからはあれは噂されて…」

「誰がお前の噂するっちゅーんや」

「う……酷い」

私がわざとらしくいじけてみれば蔵ノ介は優しく頭を撫でてくれた。子供をあやすように。
それが余りにも心地好くて、落ち着いて、気持ちが良くて。まるで頭を撫でられて喜ぶ猫のように、喉はならないけどなりそうな程、嬉しくなった。だから反射的に目をつむり、口角を上げていた。

「眠いんか?」

「んー…少しー」

「俺が付いとるから少し寝てええよ」

「何で蔵ノ介が付いてたら良いのさ」

「叩き起こせるやろ」

「いやいや毒手はいらないからね!」

包帯が巻いてある腕を高く差し上げ、包帯を取る仕種をする。私はどこぞのゴンタクレのように本当に毒手があるとは思っていない。
けれども、蔵ノ介の何処か含みがあるような笑みに毒手よりももっと酷い仕打ちがあるような気がしてくる。

「ははっ…覚醒しよった」

「な、ちゃいますー」

「お、イントネーションが関西や」

「うわ、つられた!」

私の口からは滅多に出ることのない標準語とは違った発音に、蔵ノ介は嬉しそうに笑う。そんな笑顔を見る度、私は出来ることなら毎日毎時間、関西弁で喋りたいと思う。
だけど10年以上使ってきた言葉の癖が1年そこらで抜けるわけはなく、通常の会話は標準語で喋るほかない。

それが余計に自分を嫌にさせる。

「なあ、名前…笑ってや」

「何言ってんの。私は笑ってるよ…?」

突然の真面目な口調に、心臓が飛び上がるんじゃないかと言うくらい私は動揺した。いきなり真顔で言うものだから、私は苦笑でしか返せない。
すると蔵ノ介は悲しそうな目をして「そうやな」と笑った。

きっと見透かされてるんだ。何もかも。私の揺れている気持ちも、心から笑えてない理由も。
勘が良くて優しい蔵ノ介だから、分かっていながらも何も言わないで居てくれるんだよね。

「私さ、どうしたら良いかな…」

こんなこと言ったら絶対に困らせる。そんなことは百も承知だ。現に目の前の男の目尻は垂れ下がっている。
ほら、現在進行形で私は困らせている。こんなことをは台詞を吐き出す前から分かっていた。分かっていたことだけど、何故か私の口からは関戸の無いダムから水が出るように流れ出ていく。
蔵ノ介が何か言うよりも早く、一度零れてしまった言葉を続けた。

「私は、皆が好き。蔵ノ介も謙也も光もユウジも千歳も小春も銀も金ちゃんも小石川も、みんなが好き。だけど、ね…だけど……」

「…青学も好きなんやろ?」

言葉にならない「うん」を言って頷いた。頭を下に下げた時、一緒に目から小さい粒が落ちて、制服に小さな濃い染みを作ったことが分かった。

私は四天宝寺の皆が負けた時、悲しかった。何で、とあんなに頑張った皆が何で負けなきゃいけないのか、と。
だけどそんな思いとは裏腹に涙は一滴たりとも出なかったのもまた事実。青春学園の喜び騒ぐ顔に、表情が綻びそうに、心の中が温かい気持ちで埋まったのも。

そして、沢山の思いを秘めた私の心に残ったのは、罪悪感と言うなのポッカリと空いた暗く黒い穴。
全国大会準決勝が終わってから1週間。勉強に身が入らなければ、友達との会話も耳を素通りしていく。
皆に顔向け出来ない気持ちが強くて、試合後なのにお疲れ様のおの字も言えず、普段の世間話すらも出来ず、結果避け続けている。
今日が引退だと言うのも風の噂で聞いたくらいだ。

「名前は、どうしたいんや」

「…………」

「俺らに何か言いたいこと、あるんやろ…?」

「あ、るよ」

「せやったら、何を躊躇うん?」

本当はクラスの人達よりも、見に行った人達の誰よりも早く皆に言いたかった。お疲れ様、素敵な試合を有り難うって。

蔵ノ介の手は再び私の頭を優しく包む。そしてゆっくり、ゆっくり撫でる。その優しさに、一粒、また一粒と目から落ちていく滴。1週間分の涙と言っても過言じゃない。むしろこれは1週間前の涙な気がしてくる。

「わ、たしには言え、ないよ」

「何で?」

「だっ、て思っちゃいけないこと…思った、んだもん」

「お前が青学も大事に思っとんのは知っとる、皆な」

「でもわたしは今四天生で…!」

「そうや、名前は四天の生徒や。俺達の仲間や。せやから言わなあかんやろ、青学と同じように思っとるだけは酷いで」

ああ、何でこの人はこんなにも綺麗な心の持ち主なんだろう。何でこんなにも広い考えが持てるんだろう。何で、何でなんだろう。
私の目尻に溜まった水を拭うと整った顔を崩して、それでも尚綺麗に笑った。

「俺…引退前に一番好きなやつから聞きたいねん」

凄いよ、流石個性的な部員を纏めてきた完璧な部長だよ。
1週間も重くのしかかってきた圧力は一気に消える。ポッカリ空いた穴だって埋まっていく。魔法みたいだ、余裕の無い頭の片隅でそう思った。

ありがとう、ごめんなさい、大好き、全ての思いを込めて。

「試合、おつかれさま…っ」


(女の子は青学から四天への転校生って言う設定。「泣きたい時に泣けば良い」これを言ったのは手塚っていう設定もあったり。)

奥山ゆう /
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