こんな関係崩れてしまえば良いと思った。歩んでも歩んでも、近付くことさえままならないのなら、歩む道を変えてしまいたいと思った。
それでも変わらずに今があるのは、紛れも無く私の我儘のせいと自認している。
寒くても寒くないと言い張りたくなる私は、どうしようもなく面倒臭い女だ。
「ねえ、今日もやるの?」
「……当たり前だろ」
「今日くらい、休もうよ」
「毎日やらないと鈍るんだよ」
早朝とは言えないこの時間。
私は日吉の家のチャイムを鳴らす。が、応答が何もないから道場の方に回ってみると、案の定胴着姿の彼がそこにいた。
柱に寄り掛かりながら数分間待っていたが止める気配は無く、また向こうは私に何か特別な言葉を投げかけるわけでもない。
痺れを切らした(この時意外と短気かもしれないと思った)私は、声をかけるが、やはり動きは止むことなく会話が続いた。
「今日は付き合ってくれるって言ったじゃん」
「………終わったらな」
「ハア…はいはい、待ちます待ちますよ」
仏頂面な顔を眺めるのをやめて、私は冷え切った空間に自ら飛び込む。何でかは知らないけど一昨日、異常気象だったことが不意に頭を過ぎった。
午前中でおさまった集中豪雨、そして白い息が出る12月にはおかしい気温。それが今日だったら良かったのに、と思った。
別段、大した理由はない。今寒いと思うこの瞬間が、少しでも暖かいものに変わって欲しいと思っただけ。
「良い天気なのに、むかつく」
出さなくても良いのに、思ったことをそのまま口にする。
吹く風がかなり冷たくて、寒いのに、見上げた空は雲一つない青空。一般的に言うお出かけ日和。
確か朝のニュースで綺麗だけど、どこか可愛いお天気お姉さんが言っていた。
「雨でも降って欲しいのか?」
後ろから少しだけ息が乱れた声が聞こえる。振り返ればさっきまで胴着姿だった筈の日吉若。
首にはしっかりマフラーまで巻いて、私よりも幾分か暖かい格好をしていると見受けられる。
「お早いご支度で」
「待ってると言っただろ」
「待ってたよ、ゆっくり歩きながら」
私がそう言ったらますます顔をしかめた。日吉の額には皺が寄っているが、おそらく私にも寄っている。とは言え、これは怒っているわけじゃない。けれど、この寒さと言い青空と言い何だか腹が立つ。理不尽なのは百も承知。でも何故だかこの苛々は止むことを知らないみたいだ。
「稽古はもう良いの?」
「…ああ、」
「一日やらないと鈍るのに?」
「……ああ、」
「別にやってても良いのに」
「そしたらお前帰るだろ」
「…待ってるよ」
「歩きながらか?」
「……………」
何で今日くらい素直になれないんだろう。今日くらい可愛いくなれないんだろう。お天気お姉さんのように笑顔で話せないんだろう。
理由も分からない蟠りがこうさせているんだとしたら、どうにしかして「それ」を取り除きたい。
今日、一緒にいる約束を取り付けたのは私で、せっかくの部活オフという貴重な時間を奪ったのも私で、そして今大切な稽古時間さえも奪った。なのに、日吉がじゃなくて私が不機嫌になる理由なんて何処にあるって言うんだろう。
今、日吉の眉間の皺は困ってるから。私は苛々してるから。そしてその苛々は日吉を更に困らしていく。
何になんて分からない、だから余計にそれは増すばかり。
「何かあったのか?」
「何もないよ」
「なら、」
「やっぱさ…今日やめにしよっか」
「……は」
「鳳にメールするよ、皆に集まってもらう。だから、」
私帰る、そう言いかけたら目の前が真っ暗になった。
そしてジワジワと暖かい温もりを感じる。
今までは触れることでさえ一苦労だったのに、そんな壁を一気に越えられた。
「約束は最後まで守れ」
「ここ……外だよ」
「稽古したのは悪かったと思ってる」
「日吉、人いるって」
「けど好きな奴から誘われたら…緊張くらいすることを覚えておけ」
「……………」
私達は別に付き合ってるわけじゃない。彼氏彼女の関係なわけじゃない。
ただの一クラスメイトであって、同じ部活に所属してるだけである。ただ「それ」だけ。
だけど他とは違うと思える感情が確かにそこにはあって。だから私は今日、この日に日吉を誘った。
「命令口調、やだ」
「今日くらい好きに言わせろ」
「いつもだけどね」
気付いたら小さく笑う自分がいた。
ああ、わかったよ不機嫌な理由。蟠りの正体。
一方通行の気持ちに嫌気がさしたんだ。相互に通える保証なんてどこにもないのに。
そう思ったら綺麗な青空には感謝の心が生まれた。好きな人の生まれた日が晴天で良かったと素直に思えた。
「誕生日、おめでとう」
「…ああ、」
「凄いね、誕生日の他に記念日がもう一個出来たよ」
日吉若誕生から17年後のこの日は、私達が付き合い始める日となる。
それは私にとって二重に嬉しくて特別な日であることを間違いなく決定付けている。
「日吉、好きだよ」
「知ってる」
「ふふ…自意識過剰」
「それはお前だろ」
「良いじゃん、事実だったんだから」
日吉が私を好きでいてくれている可能性は無に等しいと思っていた。
だからこそ行き場の無くなったこの気持ちをどう処理すれば良いか分からなくて、気付いたら大きな塊として存在していた。
そしてその蟠りは八つ当たりと言う形に変わって、表に出ていたらしい。つまり私はポーカーフェイスにはなれなかったんだ。
「いつから分かってたの?」
「結構前だ、鳳から言われていた」
「やっぱりあいつかー…私もね、一昨日言われたんだよ」
「………」
「日吉は馬鹿だから言わなきゃ伝わらないよって」
「……………」
「その通りだなって思った」
「……………」
「日吉?」
「昨日、鳳からお前は馬鹿だから言わないと分かってもらえないと言われた」
「え?」
「その通りだったな」
「うわーしてやられた気分」
「今日くらい良いだろ」
「いやいつもだけどね」
お互いそのままの体勢で少しだけ笑い合った。
生まれてきてくれてありがとう
好きになってくれてありがとう
そんな思いを込めて日吉の胸板から離れた私は、そのまま足先に力を込めて背伸びをした。
元の姿勢に戻ると紅潮した顔がそこにはあって、嬉しくなって表情が綻んだのは言うまでもない。
奥山ゆう /
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