また遭う日まで
多忙、当時の私は多忙と言うことを言い訳にして全てのこと、言わば責任問題から目を背けていたのかもしれない。
いや、目を向けたくないが為に言い訳となる多忙な生活を、自ら仕向けていたのだ。


その日は何もない朝だった。
部活もバイトも遊びも、何も入れてない日。スケジュール帳には今日の欄だけ空白が出来ている。理由は休息…と言えば聞こえは良いが、実際のところは違くて、偶然何も予定が入らなかったのだ。
普段ならば朝から昼間にかけて部活、そして夕方からはバイトと言う日を送っていた。学校が抜けているのは本日が日曜日だからなわけで。
遊びを入れなかった理由としては、自分でも自覚している高いプライドから。自ら誰かを誘う、そんなことは出来なかった。
顧問は休み、だから部活がない。
新人の教育を行う、だからバイトがない。
偶の休みも必要だから、と考えた。それは何かをごまかす為に自身に強く言い聞かせた台詞かもしれない。
ナポレオンの辞書に「負け」と言う言葉が無いように、私の辞書には「暇」と言う言葉があってはならないと考えているから。

とは言っても、することが無いのが現実で、それは変えようがない。予定がないと言うことはこの先自分がどう動いたら良いのか、そこに正解はないのだ。
それでも身体に染み付いた週間とは恐ろしいもので、いつもの如く同じ時間に起き顔を洗い、用意された朝食を食べ、歯磨きをする。無意識のうちに全てを終えていた。服装は制服ではなく、私服を着ている辺り、完全に無意識とは言えないが。

「あんた今日部活は?」

「んー休みー」

ソファーに座って携帯を弄りながら、問い掛けてきた母に答える。予定は?と聞かれて、何もないと言ったら少しばかり驚いた顔をされた。

「買い物でも行ってきたら?」

それも有りだな、と思った。
一人ショッピングと言うのは気軽で、周りに気を使う必要もないから。だけども、今特に欲しい物が有るわけではないから、ただブラブラとお店を回るのも労力の無駄遣いのようで、いま一つ気が進まない。
だからと言ってこのまま母と二人、家ですることもなくボーと過ごすには余りにも時間が勿体なさすぎる。
すると、うんうん唸り続ける私を他所に母は言う。

「あたし出掛けるから、後のことはよろしく」

「え?」

よくよく見て見れば母はいつも以上に化粧をし、よそ行きの服を来ていた。そこで昨日高校の同窓会があるから、と高揚した口調で言っていたことを思い出す。
専業主婦にすら用事があるのに私にはないのか。
その事実がどうしようもなく虚しく感じた。普段は感じることのない虚無感を拭えない。こうなれば、やはり買い物に行くしか選択肢はない。

――ピーンポーン。
自室に財布と鞄を取りに行こうとした時、鳴り出すインターホン。朝から何だろうか、何かの勧誘だろうか、そう不信感を抱きながら居留守を使うわけにも行かず、応じる。

「――はい、」

「あ、名前?俺だよ俺」

「俺俺詐欺ならお断りです」

「へえ、そうやってふざけるの?良い身分になったね名前も」

「う、うう嘘です先輩ほんの冗談です」

聞こえた声に動揺を隠せなくなった私は、普通の返答が出て来ず、おかしな…否、先輩にするには命知らずな返答をしてしまった。
そうこの相手…先輩には、冗談が通じない。絶対に言えないが先輩自体、常に冗談か本気か分からないような人だ。(冗談のようなことでも8割方本気なのだから)

「今失礼なこと考えなかった?」

「ぜ、んぜん!」

「まあいいや。取り敢えず早く出て来てよ」

「あの、でも」

「俺が来いって言ってんだから早くしなよ」

「……っ、はい」

今の格好は薄手だから羽織る物だけ急いで部屋に取りに行って、玄関の鍵を開けて外に出る。大した運動量も無いのに少しだけ息を乱している自分に現役運動部としての恥を感じた。
白い息を吐きながら、先輩のもとまで歩いて行く。先輩は笑っていて、私も引き攣りながらもそれに答えようとした。

「遅いよ」

「これでも急いだんですけど」

「相変わらず、俺に勝てないくせに口だけは達者だね」

「…わ、わかりませんよ?」

「本気で言ってるの?」

「ごめんなさい」

先輩には何もかも勝てない、勉強も運動も口論も人望、勿論容姿も。この人は全てが完璧な人で、全てが綺麗に見える。だから先輩は色んな人や物を引き付けて虜にしてしまう。
私もその一人だったんだ。

「聞いてるよ、名前の頑張りは」

「……………」

「いつもお疲れ様」

先輩と会わなかった長い間、私は変わった。否、変わろうと必死になった。プライド、それが全てを支配していたと言っても過言じゃないくらい、私は先輩の居ない土台を作り上げた。

「先…輩は、今日どうしたんですか、」

「名前が暇だと思ったから来た」

「……………」

「図星でしょ?」

「べつに、たまたま予定がなかっただけです」

「相変わらずだなーほんと」

嬉しそうに笑った先輩に、私の頬もつられて緩む。だけど、次の言葉に、それは再び強張った。

「俺さ、名前が俺のいない道を進むなら俺も進むことにしたよ」

「……せ、」

「アメリカに行く」

「……い、つ?」

「明日」

「……………」

「来て欲しいんだ明日、空港に」

「明日は……学校があるので」

「3年は日本に戻らない。明日名前が来ないのなら俺からはもう何もしない」

それは、別れを意味する。
先輩はそう言うと、また笑みを浮かべた。私と先輩の関係は恐らく、男女の仲。告白紛いのことはしていないが、付き合っていると言って間違いないだろう。所謂コイビトの関係ってやつだ。
その先輩は、1週間前、立海大附属高等学校を卒業した。そしてそのまま附属の大学には進まず、テニスのオファーが来ていたアメリカの大学に行く。出向日は明日、月曜日。私が空港まで見送りに行くには学校を休む必要がある。
だけど、私の出す答えは先輩が在籍中から、オファーが来たことを耳にした時から決まっている。「行かない」だ。

それじゃあ、と来た道を戻ろうとする先輩の後ろ姿を見ながら私は拳を強く握った。

「幸村先輩!私は明日行きませんから!」

振り返った先輩の表情は笑っていた。それは哀しそうに笑っていた。

「名前、元気でね」

どうして貴方は最後まで綺麗な顔を私に見せるのだろうか。悪いことはしてない筈なのに胸が酷く痛んだ。
だんだんと遠ざかる先輩の後ろ姿は、以前見た時よりも大きく、そして遠く感じた。それは成長したから、実際距離があるからではなく、私が先輩に対して萎縮してしまっているからだろう。
明日は行かない、と言った私を怒鳴るか理由を問い質すとかしてくれればこんな気持ちにはならなかったかもしれない。自分で決めていたことなのに、惨めに思えて仕方がない。
今までの気持ちに嘘は無い。今だって変わってはいない。確かに好き、と。貴方が好きだと私は思っていた。だけど、私は貴方に縋ることは出来ないんだ。

プライドが全てを邪魔をした。それでも貴方は笑って言ってくれた、そこが君の良い処だと。

翌日、学校には普段と同じように授業を受ける私の姿が確かに在った。最後の最後まで、私は自分を捨てることは出来なかった。


「さようなら」


奥山ゆう /
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