※向日はヘタレ設定
カリカリカリカリ、と先生が黒板に書いた文章を各自のノートに書き写す音のみが教室中に響き渡る。現在は校内でもぴか一怖いとされる先生が行う社会科の時間。
この先生には少し話しただけでその場に立たされ、そのまま長々と説教を受けることになる。その様が鬼のようだから鬼先、とそのままのネーミングで呼ばれていたりするのだ。
「あ……仕方ない取りに行くか」
チョークをコトンと置いて一言呟くと黒板から生徒達の方へ振り返る先生。怒りさえしなければ穏やかな先生なのにな、と困った表情を見て思った。
「今日使う資料を忘れたから、これから取りに行ってくる。少しの間自習をしててくれ」
生徒の有無は聞かずにそう言うとそのままスタスタと教室を出ていった。その瞬間にクラス中から安堵の溜め息が洩れたのは言うまでもない。
「ねえ、岳人」
「…なんだよ」
隣の席のおかっぱ頭は如何にも疲れたと言う顔でこちらを見る。普段なら授業中でも良く喋る奴だから、沈黙で過ごすと言うのは疲労度も相当なのだろう。
「これ、」
「消しゴム…?」
「と、これ」
「輪ゴム…?」
もうすぐで使い終わる小さな消しゴムと、いつからあるか分からないけどポケットに入っていた輪ゴムを渡し、私は頷く。
「これが何?」
「先生が戻って来たら当てて」
「は、あ?!」
岳人は元から大きい目を一層大きく見開いた。お前の頭はおかしいのかと言う視線で私を見る。
あの先生に消しゴムを当てて、返ってくる仕打ちがどれだけ恐ろしいか。それは重々承知している。だから、私は自分でやるのではなく岳人に任せたのだから。
「名前分かってんだろうな鬼先がどんだけ……」
「分かってるよ」
「なら、」
「退屈なの」
無言で一心不乱に黒板に書かれた文字をノートに書き写す。これ程退屈な時間はない。
しかも何故だか今日は鬼先の時間が二時間続き。そろそろ集中力ってものにも限界がきた。
「お前なー…そんなら自分でやれよ」
「嫌だよ。成績下がったらどうしてくれんの」
「それは俺も同じだっての」
「でもほら岳人って意外と先生受け良いし。何より他の人にはやってることでしょ?」
授業が嫌いなのか悪戯が好きなのか、岳人はよく何かしらを先生に仕掛ける。黒板消しをドアの間に挟む等の幼稚なことから、5分置きに掲示物が落ちる授業妨害など、クラスの数人の男子達に混じってよくやっている。
それを見るのはもう日常茶飯事で、退屈な授業も慌てる先生の姿が面白くて退屈凌ぎには丁度良い。ただし。鬼先以外の教科のみ。
私の一番嫌いな科目は社会科。一番退屈な授業は社会科。一番嫌い時間は社会科。だけどその担当教員は怒ると鬼のように怖い先生。勿論恐ろしさ故に、この先生には幼稚な悪戯も授業妨害も誰もしようとはしない。
「それを鬼先にはやらないっておかしいと思わない?」
うっ…と岳人は言葉に詰まり押し黙る。岳人はああ見えて意外とプライドが高いらしい。怖いから嫌だ、とは言わないだろう。そんな逃げるような台詞を言うのは跡部に関係した時だけだ。それも財力関係のみ。
今年で同じクラスも3年目、今まで見てきた所、ここまで言えば岳人は行動するはず。
「だから岳人。頑張って」
「……はあ…分かった。じゃあ今度アイス奢れよ」
「10円ガムじゃ駄目?」
「こないだ発売したアイス」
「それめっちゃ高いやつじゃん」
「俺が身を削るんだからそれくらい当たり前だろ」
身を削るってそんな大袈裟な。しかもこんな小さな消しゴム、当たっても気付かない可能性だって高いのに。
そして岳人は輪ゴムを消しゴムに取り付け、指に巻き付けていつでも撃てる準備をする。
そろそろ戻ってくると予測したのか、さっきは煩かったクラスも今はだんだんと声のボリュームが小さくなり、内緒話くらいの大きさになった。
「間違っても前の席の子に当てないでよ」
「分かってるって。俺はそんなに下手じゃねえし」
ガラリとドアが開いた。その瞬間に小声もぴったりと止む。私も口を閉じて岳人をジと見つめる。岳人の手元はよく見慣れた構え。ただ、震えてるような気がするのは気のせいだろうか。
「……………」
「……………」
構えたまま、5分経過。何度視線を送っても全く気付かない様子。
「………!」
ガツンと椅子を蹴ってみると、オーバーアクションで岳人はこちらを向いた。その顔は非常に情けなくて、私は溜め息をつくしかなかった。
「早く」と口パクで伝えてみても岳人は行動しない。次第に首を横に振って、とうとう指に施した消しゴムと輪ゴムも取ってしまった。
「やっぱりできねえよ」
小さく、小さく呟く声が聞こえた。
横を見れば震える手を押さえる岳人の姿。目尻にはうっすら涙が見える。
この中学3年生にはあるまじき姿は何だろう。誰だろう。これが良くクラスの女子達がきゃーきゃー騒いでいるヘタレと言う名の姿だろうか。岳人がヘタレ……あの岳人が、ねえ。
私はこの授業終了のチャイムと同時に岳人に、頭に浮かんだあることを小さく耳打ちをした。案の定、岳人は真っ赤になって、それを隠すようずっと俯いていた。
カミングアウト「岳人、好き」
「〜っ〜〜〜〜!!」
奥山ゆう /
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