「ルーシィ」
今までバカ話していたはずのナツの声音が変わった。ルーシィはぎくりとしたが必死に顔に出さないよう努める。
ナツはたまに急に真剣な顔をしてルーシィを惑わす。期待、してしまう。
(いつも肩すかしばかりだけれど…って、何よ。あたしは別にドキドキなんてしてないんだから)
ルーシィは心の声にツッコミを入れる。裏切られるなら期待などしたくない。過去何度となく繰り返された裏切りにルーシィはすっかり意固地になっていた。
(どうせまた、なんでもないことなんでしょ)
ルーシィは硬い声で返答する。
「何よ?」
「動くなよ」
ナツは気にした風もなくルーシィに手を伸ばした。
「ちょっ!?」
動揺が顔に出た。ルーシィの左肩あたりにナツの右手が伸ばされる。
それは普段のナツからは想像できない慎重さで、ルーシィはゆっくりと近付く体格の割にがっしりした手を直視できずに狼狽えた。
壁を背にして立ち話していたのがあだとなり、後退り出来ないルーシィは反射的に手と反対側に逃げようとする。
「動くなって」
ナツがルーシィの行く手を阻むように左手を壁についた。こちらは慎重さのかけらもないほどに素早く。ナツがすでに手が届く範囲に迫っていたことに気付いてくらりとめまいがした。
手どころかナツそのものさえ直視できなくなり、ルーシィはただ狼狽えた。ナツと至近距離はよくあることだが、こんな、真正面から迫るように、なんて。
体の熱さえもうっすらと感じる距離でルーシィは息を詰めた。背中の壁が、酷く冷たく感じる。
もう片方の手がルーシィに伸びる。
ギルド内は二人に気付くことなくいつものようにざわめいていて。
「…綺麗だな」
ナツが、まるで熱に浮かされたような声音で呟いた。
頭が真っ白になる。今、なんて?
今度こそ、右手が伸びてきて――。
ルーシィは固く目を瞑る。
「あ」
ナツが短く声を上げた。
「?」
恐る恐る目を開けると、ナツが口を尖らせていた。
「ルーシィが動くからだ」
視線を追うと、ギルドの天井近くに鮮やかな緑色の蝶が舞っていた。ルーシィはまただ、と思いつつ、その優雅な飛行に文句も引っ込み、諦めの溜め息を吐いた。
「ちょうちょ、ね……て、離れなさいよ」
ナツはまだルーシィを壁際に追い詰めたままで、しかもさっきまで伸ばされていた手もルーシィを挟むように壁についていた。ルーシィは一度引いた熱が戻ってくるのを感じながらも精一杯強がってねめつける。
ナツはルーシィと目が合うと、一瞬焦ったように息を飲んだ。その拍子にルーシィの左肩にナツの右手が触れる。
「!?」
ナツがその感触に思い出したようにがしっとルーシィの肩を掴んだ。そのまま顔を近付けたかと思うと――ノースリーブのカットソーから伸びた肩を、舐め上げた。
「うあおえええ!?」
とっさに声が出たのは実は凄いことだったと思う。
「蜜は出てねぇのか。なんか甘い気ぃもするけど」
舐めた。舐められた。しかも甘いって。甘いって。
ぷつん。
許容量を超えたルーシィがナツを殴り飛ばすまで、あと1秒。