それは一冊の本だった。中身も表紙も真っ白で、何も書いていなかった。

仕事先の町の、子供のおもちゃだと聞いた。

『本の登場人物になれるんだって!』

嬉々として話す彼女に、ナツは嫌な予感がしていたのだ。聞けば、本の内容はわからないというではないか。『先が見えてしまったら面白くないからね』と言う彼女は、その口で数秒前『登場人物になりきるから本の中では今の記憶は失われるんだって』と言っていた。その矛盾点も、ナツの眉間の皺を増やすには事足りた。

じゃ、ちょっと行ってくるね、と軽い調子で上げた片手を、咄嗟に掴んでしまったのが、この状況の原因だろう。ルーシィは登場人物に、ナツはイレギュラーの存在として、ここに居る。

「もっと明るい話だったら、面白かったのによ」

もう一度辺りを見回して、嘆息する。雪の夜。冷たい通行人達。ルーシィは辛そうにマッチを売っている。
幸いにも、知っている話だった。どう動けば良いのか、見当が――

「……どういう話だっけ」

よく覚えていないが、確かこの物語はマッチで火遊びした少女が幻覚を見ながら焼け死ぬ話だった……はずだ。ディテールが合っているかどうかわからないし、どういった経緯でそうなるのかもさっぱりだが。

「ま、まあ……よくわかんねえけど、大きく間違っちゃねえだろ」
「何?」
「つか、お前、死ぬのか!?」
「え?」

目を丸くして、ルーシィが固まった。これでは不吉な予言をする死神になってしまう。ナツは咳払いして手を振った。

「なんでもねえ」
「……死ぬ、かな」
「お、おい、弱気になんなよ!」

ぐぅ、と腹が鳴る。数秒してから、それがルーシィから発せられた音だと気が付いた。いつも自分の方が先に空腹を訴える。彼女の腹の音など、聞いたのは初めてだった。
彼女は恥ずかしそうに身を捩った。

「え、えと」
「腹減ってんのか?」
「う……両親もいなく、内職で…もう、数日何も口にしてないの…」

食事は大事だ。食べることは生きること。それが一日だって欠けるのは、ナツには想像できない。したくない。
ルーシィの(今はマッチ売りの少女だが)境遇に涙が出そうになった。食べる物がないなんて、可哀想すぎる。
彼女は健気にも笑ってみせた。

「ありがとう、ナツ」
「何がだよ?」
「温かかった。人が温かかったのって、久しぶり」
「お、まえ……オレを泣かせたいんじゃねえだろうな」
「え?」

ここから出たら、抱き締めよう。嫌がっても――そうではないと信じたいが――抱き締めてやろう。ナツはそう決心して、目の端に実際浮かんだ雫を手の甲で拭った。

この少女を、幸せにしてやりたい。

「オレも、売るの手伝う!」
「ナツ?」

ナツは両手に炎を作った。ぼっ、と口からも大きく火を吐き、『NOW ON SALE』の文字を作る。

「マッチー!マッチ、要らねえかあ!」

その光は一瞬で通りの誰をも惹き付けた。どの時代設定なのか、街頭は暗く少ない。突然現れた太陽のようなものだ。
黒いマントの裕福そうな男が一人、ナツに近寄ってきた。高い背を曲げるようにして、目を瞠る。

「そのマッチ、そんなに火が大きく点くのか?」
「いあ、これはオレの魔法だ」
「なんだ……」

男は興味を失ったように背を向けた。そこに、ルーシィが声をかける。

「あの」

彼女はぽん、とナツの両肩に手を置いた。怪訝に思うよりも先に、男に向かって押し出してくる。

「いくら出します?」
「え?ルーシィ?」
「使い減りのないマッチです」
「へ?ちょ……?」
「ほほう……そうだな…」

男は腕組みをしてナツを見下ろした。下から上までじっくりと観察するように見てから、持っていた黒い鞄を小さく開ける。

「これでどうだ?」
「え、こんなに!」
「おーい」
「マッチとしてもそうだが、見世物としても利用できるからこれくらいなら安いもんだ」
「お買い上げありがとうございます!」
「へ」

ルーシィの腹がまた小さく鳴ったのに、耳の良いナツは気が付いた。それが油断を生んで、押されたことに抵抗できなかった。

「よし。キリキリ歩け」
「え、おい……なんだこれ、だって、そんな話じゃ」

男に引き摺られながら、ナツは確かに見た。空に、大きなプレートのようなものが浮かんでいる。そこに、

『こうして、少女は大金を手に入れて幸せに暮らしましたとさ』――

「ふざけんじゃねええええ!!」

夜の街に、ナツの叫びがこだました。






わー、マッチが売れて良かったねー(棒)
お付き合いありがとうございます!



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