「おいしー!」
フォークで掬い取った一口は、いとも簡単にルーシィの頬を落とした。
花咲く笑顔でうっとりとケーキを見つめる彼女に、ナツが右横から身を乗り出してくる。
「へぇ、オレも一口、」
「だぁめ!」
ぺし、と手を叩き落としてやると、ナツはちぇ、と口を尖らせた。ルーシィは彼からケーキの皿を庇って、しっしっ、と手で追い払う仕草をする。
ぷぅ、と頬を膨らませて、ナツはソファの背もたれに腕を乗せた。
「なんだよ、オレが持って来たのに」
「あんたは運んだだけでしょ!これはあたしがミラさんと約束してたケーキなの!」
「へー」
「手を伸ばすなっ!」
ギルドで出すケーキセットに新作を考えたい、と相談されたのは、三日ほど前のことだった。旬のフルーツケーキを提案したルーシィに、ミラジェーンは嬉しそうに、試作品が出来たら一番先に食べさせてあげる、と約束してくれたのだ。
今日は執筆のためにギルドへは行かなかったのだが、ミラジェーンはナツに持っていくよう頼んだらしい。最も、ナツには今日は来ないようにキツく言っておいたはずだったが。
ナツは恨みがましくケーキとルーシィに目をやると、これ見よがしに溜め息を吐いて背もたれに額を付けた。そして小さく呟かれる、「けち。ルーシィのけちんぼ」
「あのね…」
「いいんだ、どうせオレに食べさせるケーキはねぇんだろ」
「もう…」
項垂れた首と丸めた背中に、寂しげな影。ちらりちらりと注がれる視線に結局折れて、ルーシィはスポンジとクリームを切り分けた。
「一口だけだからね」
「へへ、さんきゅ」
演技だったのが丸分かりのにこにこ具合で、ナツがあんぐり、と口を開けた。そこにケーキを乗せたフォークを突っ込んで、ルーシィは眉を下げる。ナツはぱくん、と楽しげな音さえ立てて、ケーキを口内に消し去った。
「ん、うめぇ」
ぺろり、と唇に付いたクリームを舐め取って、ナツはにんまりと目を細めた。
こんな可愛い顔されたら、もう一口、て思っちゃうじゃない。
まるで餌を与える親鳥にでもなった気分だった。
しかしケーキの上部には色とりどりの果物が所狭しと並んでおり、そのどれもが違う種類である。味を見る目的である以上、ナツに食べさせてその比較が出来なくなることは避けるべきだ。大体あのミラジェーンのこと、ナツにも食べさせるつもりなら二個渡してくれるはず。
ルーシィの葛藤を他所に、ナツは幸いにも満足したようだった。背もたれに身を預けて左耳の穴に小指を突っ込んだ彼を横目に、ルーシィは再度ケーキの端をフォークで刈り取って口に運ぶ。生クリームと下地のスポンジが溶け合って、とろける舌触りにほう、と息を吐いた。
「んー、おいし。あー、ケーキと結婚できたらなー」
「お断りです」
「なんであんたが代弁してんのよ!?」
「つーかケーキと結婚、て。お前アホか」
「うっさいわね。それくらい好きってことよ!」
「ソウデスカ」
半眼で言葉を零して、ナツは首を傾げた。耳たぶを摘まんで揺さぶっている。
思えばナツはこの部屋に来てから幾度となくこの動作をしていた。
「どうかしたの?」
「いあ…なんか耳痒い。ちょっと見てくれよ」
「はぁ?」
ナツは言うが早いか、当たり前のようにルーシィの手から皿とフォークを奪ってローテーブルに戻した。そのまま膝に下りて来ようとする桜髪の頭を、ルーシィは慌てて手で止める。
「ちょっ、ちょっと!?」
「なんだよ?あ、綿棒か。持って来いよ」
「あんたって…つくづく自由よね……」
自分の行動に全く疑いを持たない純粋な瞳に文句を言う気も失せて、ルーシィは素直に洗面所から綿棒を持って来た。ソファの、さっきよりも端に座ると、待ってましたとばかりにナツの頭が乗せられる。どきり、と跳ねる心臓を、髪を一つに纏める動作で押し殺した。
「動かないでね」
腹部に向けられる視線が気になる。腰を引くように力を入れて、ナツの耳にかかった桜色の髪を指でちょいちょい、と避けた。指先を擽るこそばゆい感覚と、膝の上の温かな重み。位置を調整するフリをして後頭部を少しだけ引き寄せると、ナツが目を閉じた。
横から見ると睫毛が思ったよりも長いことがわかる。鼓動が伝わらないか心配になりながら、ルーシィは綿棒をそっと中に滑らせた。内壁をこそげるように動かすと、ナツがんん、と心から息を漏らしてうっとりと口角を上げる。
「あー…気持ちいい」
「そう、良かったわね」
ナツの表情も声も、安心しきって穏やかだった。幸せの只中にある猫のような様子に、ルーシィも釣られてくすり、と頬を緩める。
食べかけのケーキと紅茶の、甘い香り。ゆっくりと流れる、満ち足りた時間。
ナツが微笑みを浮かべたまま、ルーシィのカットソーを掴んだ。
「んー…オレもう、ルーシィと結婚する」
「っ!?」
突然の発言に狂ったのは、心音のリズムだけではなく。
「ふっ、ぎゃぁあ!?」
「あ…」
耳の奥に刺さった綿棒に、ナツが哀れな声を上げた。