ナツはぐ、と拳を握った。
避けられた?
声をかけた途端に、ルーシィは『用事があったんだった』などと白々しく言って、席を立った。顔さえ、まともに見れていない。
立ち尽くして、ナツはギルドの入り口を眺めた。戻ってこないかと、一縷の望みをかけて。
扉の形に切り取られた外の風景は、彼の心情とは逆によく晴れていた。
「どうかしたの?」
「した」
ナツは振り返りもせずにリサーナに答えた。短い返答に「へ?」と呟いた彼女は、ナツの視線を辿ってくす、と笑う。
「ルーシィ、待ってるの?」
「待ってるっつーか……」
ほぼ間違いなく、戻ってこないとわかっていた。だからどちらかというと、見送っていた、が正しい。
しかしナツはそれを認めたくなかった。自然と口ごもる彼に、リサーナは意地悪そうに笑った。
「こっちから行けば良いじゃない」
「簡単に言うな。なんかあいつ、最近変なんだよ」
「変?」
「……お前、ルーシィとなんかあった?」
「え?なんかって?」
「いあ、ねえんなら良いんだけど」
「何か言われたの?」
「……昨日、お前んとこ、行けって」
「は?」
リサーナはぽかんと口を開けた。それが自分の反応と同じだったので、ナツは「だよなあ」と頷いた。しかし彼女にはルーシィの発言の意味がわかったらしい。
「それ、大変じゃない」
「大変?」
「ほら、さっさと行って!誤解といてきなよ!」
「へ?誤解って?」
リサーナは慌てた様子でナツをギルドから押し出すと、ぴ、と人差し指を上に向けた。
「いい?ちゃんと、ルーシィに想ってること伝えるんだよ」
「思ってること?」
「わかった?」
「お、おお」
実際のところはよくわからなかったのだが、リサーナの迫力に押されて、ナツはとりあえず頷く。日の光に照らされた砂利を踏んで、あ、と振り返った。
「ハッピー…」
「一人で行く!」
「はい!」
びくりと背筋を伸ばして、ナツはルーシィの匂いを追って走り出した。
見慣れた木製のドア。匂いは真っ直ぐ、ここまで続いている。
しかしノブに手をかけて、ナツは躊躇った。
さっきは逃げられた――いつものように無遠慮に開けることができず、普段はしないノックをしてみる。
「ルーシィ?」
返事がない。しかし竜の聴力には、ルーシィの気配が手に取るようにわかる。
その異変に気付いて、ナツは声を荒げた。
「ルーシィ、開けろ」
「……」
「開けるからな!」
宣言するが早いか、ナツはがこん、とドアを蹴り飛ばした。弾けた鍵の部品には目もくれず、見当をつけていた辺りに視線を向ける。
光の差し込む窓の下、ベッドの上に――ルーシィは居た。
不法侵入と咎めるでもなく、喚くでもなく。ぺたりと力なく座り込み、小刻みに震えている。
「ルー…」
声をかけて良いものかわからず、ナツは足が動くのに任せて近寄った。今度は彼女は逃げようとはせず――しかし、こちらを見ることもない。
「……ルーシィ」
いつもよりも小さく思えるルーシィを、ナツはぐい、と引き寄せた。金髪の頭が、抵抗もなく肩の上に落ちてくる。
「っ、な、つ…」
「ん」
途切れ途切れに自分を呼ぶ声は、予想通り湿っている。悲しみを吸い込んだマフラーが重みを増した。
「泣くなよ」
「う、ぅ」
返事をしようとしているのか、それともただの嗚咽なのか。胸を締め付けるだけの音に、ナツは唇を結んだ。
涙も震えも、止まらない。自分には止められない。ならば。
「泣いても良いから」
「う…?」
「オレのそばで泣け」
ルーシィが自分の居ないところで泣いているなどと、苦しくてどうにかなりそうだった。一緒に居られたなら、こうして涙を隠してやることも出来る。それが彼女にとって良いことかどうかわからないが、ルーシィが泣いているのなら自分はせめてそばに居てやりたい。
それすら許されない関係では、ないはずだ。
すん、と耳元で鼻が鳴る。金糸が揺らいで、ルーシィが頭を動かそうとしているのがわかった。
ナツはそれを押しとどめて、片手で彼女の腕を持ち上げた。
細い――。
元気でタフで、たまに乱暴で。それでも、やはりルーシィは女なのだと実感する。辛いことも悲しいことも、この細い身体の中に閉じ込めて、日々笑っているのだろう。当たり前だと思っていた笑顔の価値が、改めて重いものだと気付いて、ナツは眉を寄せた。
だらりと力の抜けたそれを、自分の首に回させる。ぐい、と肩を引き寄せると、ルーシィはほどなくもう片方の腕も首に絡ませてきた。
服の厚さだけの距離で、体温が交わる。
「理由は後で聞くから。……言いたくなきゃ言わなくても良いけど」
「な、んで…ここに、居るの?」
「ルーシィが居るからだろ」
当然の答えを、少しだけ苛立ちを込めて言ってやると、ルーシィの手がマフラーをぎゅ、と握った。呼吸の合間に聴こえる、涙の音が小さくなっていく。
泣き止むかもしれない――それが嬉しくて、ナツは彼女に気付かれないように口元だけで笑った。
ふと、リサーナの言葉を思い出す。
思ってること。
「あったけえ」
なぜだか上手く声にならなかった。掠れたそれに、見えない何かが隠れているように思えて、ぎくりとする。
ナツはルーシィを抱き締める腕に、ゆっくりと力を込めて。
耳の熱さと跳ねる鼓動に、唇を噛んだ。