忘れないで
「ルーシィ!」
「え?」
ナツがルーシィに覆い被さった瞬間、緋色の球体が弾けた。
耳元で短い呻き声をあげるナツは、それでもルーシィを離さなかった。
グレイの頑丈なシールドも、エルザの鋭くて重い一撃も、すべてが間に合わない。
庇う腕が徐々に力を失い、崩れ落ちるナツを必死に抱き抱え何度も名前を呼ぶ。
敵を片付けて駆け寄るエルザとグレイが声をかけてもピクリとも動かない。
ナツが倒れてから、ずっとルーシィの服の裾を握りしめていたハッピーの瞳が、とうとう潤みはじめる。
ナツの顔にぽつり、と水滴が落ちて自分も泣いている事に気付いて、もう堪える事は出来なかった。
「ナツ、お願い、目を覚まして」
「…う」
「ナツ!」
「気がついたか?」
「しっかりしろ!」
「……おまえら、誰だ?」
「まあ心配はいらんじゃろ、その程度なら明日には元に戻るわい」
あの後、何も覚えていないナツに慌ててギルドに戻りマスターに見てもらうと、記憶を一時的に失くす魔法を浴びたせいでおかしくなった事が判った。
ナツは本当に何も覚えていないらしく、珍しそうにギルドを見渡してる。
自分が記憶を失ったのに、さして慌てる様子がないのはさすがというかなんというか……。
時間がたてば自然に薄れるから問題ないが、なるべく普段通りに過ごした方が回復が早いとの事だったので、ハッピーの「じゃあ、ルーシィん家行こうよ」の一言で部屋に帰る事になった。
「ここが、私の家よ、さあ入って」
「お、お邪魔します」
「ナツが遠慮するなんて、なんか気持ち悪いよ」
「ひでぇネコだな、ってか俺ってどんな奴だったんだ?」
「ネコじゃないよ!ハッピーだよ!」
ハッピーが抱きついて来たので、よしよしと頭を撫でてやりながらナツに視線を向けると、ん?と見返された。
「本当に何も覚えてないの?」
「まったく、覚えてねぇ」
「そっか、ごめんね。あたしを庇ったせいで」
「いあ、気にすんな。時間がたてば元に戻るってあのじっちゃん言ってたし」
それに覚えてないしな、とニカっと笑う姿はやっぱりナツで。
ハッピーと顔を見合わせて笑ってしまう。
「なんで笑ってんだ?」
「ナツはやっぱりナツってことだよ」
「意味わかんねぇぞ」
その様子を見ながらようやく安心すると、外が暗くなってきたのに気付き夕食の準備に取り掛かる事にした。
食事を終え後片付けをしてリビングに戻るとハッピーは疲れたのかテーブルの上で大の字になって眠っていた。
無理もないと思いそっとベットに寝かせ布団をかけてあげると、ナツぅと寝言を呟いてまるくなる。
その可愛らしい様子にくすりと笑うと、ソファに座るナツの方に向かった。
「あんたも疲れたでしょ。お風呂にでも入って来たら?」
「……優しいな、おまえ」
「き、今日だけよ」
「なあ、俺らってどんな関係だったんだ?」
「どんなって…」
「まさか、ただの仲間って事はないよな。飯作ってくれたり、風呂進めてくれたり」
「それは、…いつもの事だから」
大体、いつもは図々しく腹減っただの、勝手にお風呂に入ってたりするじゃない。
「もしかして俺と、つ、付き合ってたりする、のか?」
「は?」
思わずドキっとしてナツの顔を凝視してしまう。
顔が熱くなってくるのを感じて、口元を抑えた。
付き合っている訳がない。同じチームってだけよ、と言おうとしたけどナツがあまりにも嬉しそうな顔を見せるから。
口から出たのは違う言葉だった。
「……恋人だったら嬉しい?」
「嬉しい、に決まってる。多分俺、気持ちまでは忘れてねぇよ。ルーシィがずっと側に居たから不安にもならなかった」
ナツのその言葉がこんなに嬉しいなんて。
でも、からかってるだけかもしれない。
だってナツだもの。
舞い上がりかけていた感情を抑えて、心にブレーキをかける。
それに嘘はダメだ。こういう嘘は人を傷つける。
たとえ、悪気がなかったとしても。
今度こそ伝えようとじっと顔を見つめると、ソファから立ち上がりゆっくりナツが近づいてきた。
そしてそっと肩に手を置き、今まで聞いた事が無い甘く擦れた声で囁かれた。
「キス、してもいいか」
一瞬何を言われたのか判らなかった。
ゆっくり近づいてきたナツを避けるように俯く。
こんなの間違ってる。
「…記憶が戻っても同じ気持ちならね。今は、ダメ」
「いやだ、今したい…」
そっと顎をあげられ潤んだ瞳で見つめられて思わず瞼を閉じてしまう。
ナツが本気なら、いいの?
記憶がないナツはナツなの……?
今ここに居るのがいつものナツだったなら――。
唇に吐息を感じ、ぎゅっと拳に力が入る。
「ダメって、言ってんでしょ――!!」
「ぐもぉっ!」
脱力して床にペタンと座り、バクバクする心臓を落ち着かせる為に深呼吸をしてから最後に深いため息をひとつ。
受け入れてしまいそうだった。
真剣な瞳に、甘く誘う声。
いつもとは全く違う彼に意地を張る事も忘れて。
でも、やっぱり普段のナツじゃないと意味がないじゃない。
だから、これで良かったんだ。
「はあ、寝よ…」
倒れたナツにタオルケットを一枚かけてやり自分もベットに潜り込む。
お風呂にも入ってないけど、今日はもういい。疲れた。
明日記憶が戻って、いつものようにからかって来たらエルザに泣きつこう、と心に決めハッピーの寝息を子守唄代わりに瞼を下した。
目を覚ますと、ナツとハッピーの顔がルーシィを覗いていた。
「ひぃ!」
「おはよう、ルーシィ」
「おまえ起きるの遅いぞ、つか腹減った」
「……ナツ?」
「あい。戻ったみたいだよ」
「…そっか、良かったぁ」
「でも、なんで床で寝てたんだ?」
「はあ? 覚えて、ないの? じゃあ、あの事も…?」
「あの事?」
「な、なんでも無いわよ! ってか記憶戻ったなら帰ってよ!」
「ルーシィひどいね」
「機嫌悪りぃな、何怒ってんだよ」
ナツの探るような目に慌てて何でもないわよ!と答えて、バスルームに向かう。
都合の悪い事だけ忘れたんじゃないでようね。
ってかあれは都合の悪いことだったの……?
やっぱり、しなくて良かった!と強がってみてもどこか悲しい気分になりながら、無理やり自分を納得させる。
考えても仕方がない。
とりあえずは熱いシャワーを浴びようと、居座る2人に釘をさす。
「覗かないでよ」
「出た、自意識過剰!」
「むかつくわね!」
ドスドスと大きな音でバスルームに向かうルーシィに背後からナツの声が追いかける。
「記憶が戻ったらって言ってたよな。約束は守ってもらうからな」
「はいはい、お好きにどう、ぞ…って、え?」
振り返えると、すでに1人と一匹は窓から外に出た後だった。
「ナツ、約束って何の事?」
「……忘れた」
「ずるいよ、ナツ!教えてくれたっていいじゃん」
「そんなに怒んなって」
なかった事になんかしてやんねぇよ。
ハッピーをなだめながら、ひとりで慌てているであろうルーシィを想い笑みを浮かべた。