Ignorance is Bliss!
『なぁ、部屋帰ったら枕殴りしよーぜ!』
『あんた私を殺す気なわけ……?』
散策するのは、東洋風の御立派な庭園。
庭石に、池に、大小様々な木々に花――依頼主からチップ代わりにもらったチケットのお陰で、非日常の一夜を満喫していた。
『あれ、ハッピーは?』
『シャルルにお土産買うんだってさっき言ってたじゃない』
『そーだっけ?』
『あんた、イカ焼きの屋台に夢中で何も聞いてなかったでしょ……』
肩をすくめるルーシィが身にまとうのは、淡い生地に臙脂の籠目が染められた浴衣。
胸元を大きく開いて着るのは相変わらずで――すれ違う男達が振り返っていた。
(うーん……?)
ナツには、道行く男達が何故わざわざ振り返るのかはわからない。
(ああ、まただ。……アイツもだ)
だが何となくそれらの視線を気に留めながら、ルーシィの隣りを歩いていた。
『あ、ねぇ。見て! 鯉!』
池の一角にかかった小さな太鼓橋で、ルーシィが声をはしゃがせる。
のぞき込むと、大小色とりどりの魚――鯉が数匹、橋の下をくぐっていった。
『東洋の言い伝えなんだけど、鯉って龍になる伝説がいっぱいあるのよ』
瞼を閉じて、顎に人差し指を添える。
得意げに知識を披露する時の癖だったが、ナツはそれが嫌いではなかった。
『ふうん、どんな?』
興味ありげに促すと、ルーシィは待ってましたとばかりに微笑を一つこぼし、
『例えば龍鯉。飼い主に可愛がられた鯉が死んで龍になって恩返しするの』
『へぇ』
『もっとメジャーなのは登竜門ね。流れの急な河を登りきった鯉が龍になる伝説』
だから鯉はとっても縁起がいいのよ、と続けるルーシィはとても満足そうだった。
「――さすがルーちゃん、博学だね」
ギルドに戻ったナツから話を聞かされたレビィは、うんうんと頷く。
「ルーシィ、本ばっか読んでるからなぁ。毎日何か増えてるし……」
日に日に増えていく蔵書の量をリアルに思い出し、頭の後ろに手を組んだ。
「でも、読書は大切よ」
「ルーシィもしょっちゅう言うけど、別に本なんかなくても何ともねぇし」
「あら、そうかしら?」
カウンター越しの瞳が意地悪な光を宿すのを、レビィは見逃さなかった。
「わかってないこと、たくさんあるのに」
「何だよ、わかってないことって」
「例えば――道行く男の人達の視線が気になったこととか、その理由とか」
「は?」
声が抜ける。レビィはその反応に肩を揺らして、そうそうと相槌を打った。
「だって――鯉って、恋だもんね」
「コイってコイ? 何言ってんだレビィ」
頭の上にハテナが咲く。
「くすくす。そうね、鯉は恋なのよね」
「だから、意味わかんねぇ!」
ミラジェーンが小さく噴き出すと、いっそう向きになって身を乗り出した。
「ふみもみず桜ふる川こひのぼり君に逢ふ瀬に今ぞ立つらむ――とか」
「くすくす、レヴィったら」
「な・何だ? 意味わかんねぇ」
「東洋の古い歌よ。この前読んだ本に載ってたの。無名だけど合ってるでしょ?」
「はぁ? どういう意味なんだ?」
「くすくす……いつになればわかるようになるかしら。ナツも、ルーシィも」
ミラジェーンも同じものを読んでいたのだろう、くすくすと訳知り顔だ。
「ホントはもうわかってたりして〜〜?」
「おい、マジでわかんねぇって!」
からかわれるのに苛つきを覚え始め、カウンターをどんと叩く。すると背後から、
「何騒いでるのよ、ナツ?」
噂をすれば何とやら――ルーシィが手荷物の鞄をぶらつかせて近付いてきた。
「意味わかんねぇんだ、教えてくれ」
「はあ?」
「くすくす。あのね、ルーちゃん……」
含み笑いとともに、例の歌を聞かされたルーシィは一気に顔を赤らめて、
「な・何でそんな話に……」
「ルーちゃん、鯉の話したんでしょ?」
「鯉は龍で、鯉は恋でしょ? つまりそれって龍は恋で、龍ってナ――」
「なっ、わわわわっ!? そ・そういう意味で言ったんじゃありません!」
ますます真っ赤になるその顔は、池を泳いでいた鯉のようだとナツは思った。
「ふうん、鯉かぁ……」
何となく口に出すと、耳まで赤くなりながらナツを睨み付け、
「あ・あんたはね、恋なんて何にもわかんなくていいのよ! わかる必要なし!」
「はぁ? 何でだよ」
「わかったら困るからの間違いよねー」
「ねー」
「ミ・ミラさん! レビィちゃん!」
結局――二人が笑ったわけも、ルーシィが赤くなった理由もわからないまま。
「……ま、いっか」
深く考え込むのは性に合わない。考えてもわからないことは忘れるに限るもの。
だが、ルーシィを振り向く男には――今度からちょっと睨み返してみることにした。