マスコミを撒いてホテルに辿り着くことは、ナツにとってはそれほど難しくなかった。元々身体能力は高い上、コイツらのせいだ、とムシャクシャした気持ちが魔法を使うことさえ躊躇させない。角を曲がってすぐに粘着性の炎で壁を登ると、建物の屋上や屋根を伝った。下ばかり探すマスコミに鼻を鳴らし、ナツはハッピーが開けてくれた窓から中に入り込む。
上半身を脱いだグレイが半眼を向けてきた。
「何やってんだよ、一部始終放映されてたぞ」
「そういえばなんで居んだよ、グレイ」
「今更かよ」
「氷で鍵作って入ってきたんだって」
「うわ、露出狂だけじゃ飽き足らず泥棒まですんのかよ、引くわー」
「てめ…」
ぴき、とこめかみに青筋を立てたが、グレイは目を細めて言葉を止めた。ハッピーの尻尾が揺れる。
「ルーシィと話出来た?」
「ん…出来たけど…」
どこから説明しようかと、ナツは頭を掻いた。ルーシィの瞳。声。会話の内容。全てがもろもろと崩れて纏まらない。ただ一つだけ、思考を占めるのは。
――一緒に居たい――。
単純な、想いだけだった。
瞳を揺らして考え込むナツに、グレイがぽん、と何かを投げ渡して来た。
「ほらよ。さっきから着信だらけだ」
受け取った携帯電話はランプがちかちかと点滅していた。電話の音が聞きたくなくてずっとマナーモードにしたままだったそれをかぱん、と開いて、着信履歴とメールを確認する。
『お前いつの間にあんな可愛い娘落としたんだよ!?』
『テレビ見たよ!お泊りまでとはやるねー!!』
『仕事に託けて彼女に会いに行くとは何事だ!』
『武勇伝の報告よろしく!』
『至急、友達紹介セヨ』
視界が滲んだ。
形は揃っていなくても、皆祝福してくれている。でもそれは虚偽の関係で。たった今、失ったばかりで。
呼吸を止めるように鼻を鳴らしたナツに、グレイが低く問いかけた。
「どうせもう来るなって言われたんだろ」
「……」
言葉に出来なくて、頷くだけに終わる。グレイはなんでもないように首を回した。
「仕事なんだ、ルーシィに何言われようと同じことだろ。ほとぼりが冷めたらまた行けばいいじゃねぇか」
「もう仕事じゃねぇかもしれねぇ」
「は?」
言ってから思い出した。フェアリーテイルが利用されたのだとしたら、これは大きな問題になる。ルーシィの立場を悪くする為だけの依頼、などと、許されるはずがない。ナツは携帯を弄って、アドレス帳から情報を与えてくれそうな人物を探した。
ミラジェーンの名前を見つけ、通話ボタンを押そうとした時、ハッピーがテレビを付けた。
「そろそろ、ルーシィの会見始まるよ」
「……」
少しだけ逡巡して、ナツは携帯をベッドに放った。
映し出された会見場では、ルーシィと初老の男性が並んでカメラのフラッシュを浴びていた。穏やかな笑みを作って、凛とした雰囲気さえ漂っている。画面の手前に居るであろう記者達が次々と質問していった。
『家に泊まったのは事実ですか?』
『はい、事実です。しかし、恋人らしいことは、何一つありませんでした』
『恋人関係だと、お認めになるんですね?』
とくり、と。こんな場面だと言うのに鼓動が跳ねる。恋人という言葉の響きがナツの頬に熱を生んだ。
今朝ルーシィがした恋人宣言――しかしそこには彼女の気持ちはない。ナツを、助けるためだけに。
自分がまた一つルーシィを追い詰めたのを実感して、ナツは奥歯を噛んだ。
こんな風に優しくしてくれるくらいなら、頼って欲しかった。
手を離すことで、もう会わないことで守る、なんて。ナツはそんな守り方は知らない。知りたくもない。
テレビの中のルーシィはさして動揺した様子もなく、口を開いた。
『で、あった、と言わざるを得ません』
ざわり、と空気が揺れる気配がした。やはり別れたことにするつもりらしい。ナツは少しだけ視線を落とした。
要らない、と言われたみたいで。
しかしルーシィはナツの予想とは少し違った言葉を口にした。
『振られてしまいました。私の我侭に耐えられなくなったようです』
「な…」
「男前だな、ルーシィ…」
グレイが半ば唖然と、感心したような声を上げた。
ナツは後ろを振り向こうとして、止めた。テレビの画面を見つめ直して、ルーシィを目に焼き付ける。瞬きすらも惜しい気持ちで、唇を噛み締めた。
ただ別れただけでも十分なはずだった。それをわざわざ自分が悪かった、などと。
庇いすぎだ。
ルーシィの表情に変化はない。淡々と、終始冷静に質問に答えている。
と、彼女の口が動くのをただ見ているだけのナツの耳に、記者の声が飛び込んできた。
『まだ、彼のことを好きですか?』
『いえ…もう良い友人です。お互い同じ気持ちだと思います』
「ちげぇよ…」
小さく否定の言葉が零れた。ルーシィは嘘ばかりだ。男が怖い癖に気を張って。帰って欲しくないのに帰れと言って。
同じ、なんかじゃねぇ。
ナツはルーシィを『良い友人』の枠組みになんて入れられない。彼女が友人、と口にしたことでこんなにも張り裂けそうな痛みが走るのに、誰が友達なんて言えるものか。
「ルーシィ…」
画面のルーシィが表情を引き締めた。
『騒ぎを起こしてしまったことに深く責任を感じています。私は本日をもって教授職を辞任させていただきます』
「え?」
ハッピーが青褪めて、床に爪を立てた。
「…なんで?」
「辞めるって…どうしてだよ?こんなことくらいでっ、」
「おい、ナツ。ちょっと落ち着け」
画面は切り替わってスタジオに戻された。
『辞任ですか…これは…』
『ええ、驚きましたね…それほどの問題とは思えませんが』
『案外、フラれたショックで仕事放棄、というわけでは』
無責任なコメンテイターが半笑いで言葉を紡ぐのを、冷静に見てはいられなかった。ナツはベッドに投げ出した携帯に飛びつくと、ミラジェーンを示したままの画面を確認して通話ボタンを押し込んだ。
依頼主をぶん殴りたい。
実行犯は自分だとしても、こんな計画を立てた人間が許せなかった。
ツーコール後、涼やかなミラジェーンの声が聞こえてきた。
『もしもしナツ?今皆でテレビ見てたのよ。なんと言うか…残念だったわね』
「っ…そうじゃなくて」
『でも知り合いだったのね?』
「え?」
『あら、グレイから聞いてない?』
「何を?」
噛み合わない。ナツは嫌な予感に汗が噴出すのを必死に堪えて先を促した。
『ナツの元カノ、グレイの仕事のターゲットなのよ。ああでも、そうよね。グレイが言ってたならもう仕事終わ』
通話終了ボタンを押したのはほとんど無意識だった。
ナツは携帯を放り投げて顔面蒼白で自分の荷物を漁ると、くしゃくしゃになった依頼書を震える手で広げた。
一枚目。
二枚目。
「どうした?」
「依頼書出せ」
「は?」
「早くっ!!」
「お、おう…」
グレイはポケットから折り畳んだ白い紙を取り出した。それを奪い取ると、ナツは自分の依頼書の横に並べる。
右上の、通し番号が。
「嘘、だろ…」
「なんだよ。…っ!?」
「どうしたの、二人とも」
息を飲んだ二人を見て、ハッピーが不安そうに覗き込んで来た。
「え、これ…」
「そういうことか…じゃあこっちが収賄容疑で、」
「ちょ、ちょっと待てよ!ルーシィは何なんだよ!?」
ターゲット情報を記した二枚目が、ナツとグレイの仕事で入れ替わっていた。
ナツはグレイに掴みかからんばかりの勢いで、しかし上半身が裸の為どこを掴んだらいいかわからずに足を踏みつけた。
「踏むな!だから、ルーシィがオレの仕事のターゲットなんだろ」
「その仕事の内容を訊いてんだよ!」
「魔力反応だって言っただろうが!あー…だから、ルーシィが魔力持ってるか、ルーシィの周りに魔法アイテムがあるか、だ。なんか気付いたことねぇか?」
「魔力…」
ナツはハッピーと顔を合わせて首を捻った。
魔法を使っていなければほとんど感知など出来ない。部屋には小物が多かったがそれらしい物は見なかったはずだ。
「とりあえず、ルーシィから話を聞く必要があるな。元々オレの仕事だ、ほとぼりが冷めてから行ってみる…って、おい!?」
悠長に話をしている気はなかった。
ナツは窓枠に手をかけて、もう一度通りに身を躍らせた。