教授と詐欺師






愕然として手を引っ込めると、気配に気付いたか猫の目が開いた。背には何かの模様が描かれている。

「にゃ!にゃー!にゃー!」

ナツを肉球でぽふぽふと叩き起こす。

「んあ?」

開かれた瞳が呆然としたままのルーシィを捉えた。

「…あれ、オレ寝てた?」
「え…ええ…」

落ち着け落ち着け。向こうはあたしのことを知らない。ずっと聴いてたなんて知らない。と、いうか。

ナツは何をしに来たの?仕事は収賄の証拠集めだっけ?隠し子って何?

ナツは子供のように目を擦って身を起こすと、ルーシィに笑いかけた。

「起こしてくれてありがとな!で…教授ってまだか?」
「え?」

あたしの顔を知らない?

頭がついて来なくて、ナツの明るい笑顔を見返すことしか出来なかった。
声音は元気で真っ直ぐだった。ラジオで聴いていたものと同じ、裏の無い、澄み切った声。

その声で今から何を言う?

「オレ、教授の子供なんだよ。会ったことないんだけどな」
「…そう、ですか。名前、聞いても?」
「あー…ファイ、だ」

偽名使うの。仕事中だから?隠し子のフリをして収賄容疑の調査って何?

喉元まで出かかった声を噛み殺す。逆に『ナツ』がコードネームだった、という可能性も浮かんだが、それは彼の言い方から違うと断定できた。間違いなく、偽名。
ルーシィの中で、何かのスイッチが入った。

「そう」

いつも大学のお偉方に使っている、余所行きの笑顔を瞬時に貼り付かせる。男受けのする、極上の笑み。

慣れてるのよ、これくらい。化かす相手が悪かったわね。

ルーシィはにこりと微笑みかけて、向かいのソファに掛けた。軽く震えた右手を左手で押さえる。
ナツ――いや、『ファイ』は少し目を見開いて気持ち首を傾げた。

「あたしも、会ったことないわ」
「え?教授に?」
「違うわよ、子供に」

『ファイ』が今度こそかくん、と首を傾げて、ん?と唸った。

「産んだことないからね」
「…………」

『ファイ』はぽかん、とルーシィの顔を見ているだけだった。反応が無くなったことに心配になって、もう一言、ダメ押ししてみる。

「あたしが、ここの教授の、ルーシィ・ハートフィリアよ」
「……え?」

『ファイ』の喉から引き攣ったような声が漏れた。

「で、自称息子というのはあなたなの?随分大きいのね」
「……あ、えっと……ぼ、ボクよくわかんない」

きゅるん、と効果音でも付きそうなくらい瞳を潤ませて、『ファイ』が両手拳を口元に持っていった。それをにこにこと微笑んだまま眺めてやる。
すると何を思ったか、隣でルーシィを見上げていた猫を持ち上げて、目の前に突きつけてきた。

「じ、実はこのハッピーが子供、」
「なわけないしね」

正直ハッピーという名前に反応しそうになったが、ルーシィは嘘で固められた世界のエキスパートだ。表情も体勢も変えずに言ってやると、『ファイ』は諦めたように肩を落とした。

「てか、お前いくつだよ」
「17」
「17ぁ!?」

『ファイ』は目を見開いて、ルーシィにがば、と近付いた。

「ぅあっ!?」

慌ててソファの背もたれに逃げると、『ファイ』がルーシィの悲鳴に驚いたように固まった。

「あ…悪い」
「…ううん」

ルーシィは自分の顔色が蒼白になっているのを自覚しながらも、なんでもないことのように首を振った。
誘拐された経験もある。乱暴されそうになったことも。どうしても、男性が急に近付いてくるのが怖かった。
しかし、ルーシィは腕に力を入れて、『ファイ』に向き直った。

逃げて堪るか。

トラウマと名前を付けたところで、なんの意味もない。乗り越えるために、ルーシィはいつだって男性に立ち向かうようにしてきた。それがまた、自分を嘘で塗り固めることだとしても。
『ファイ』を見ると、困ったように眉根を寄せて彼女を窺っていた。
ルーシィは再び笑みを作って優しく聞こえるように声を出した。

「…どうしたの?逃げないの?」
「へ?」
「あたしには子供はいないわよ。誰に頼まれたのかは知らないけど、訊かないでおいてあげるから帰りなさいよ」
「…なんで訊かないんだ?」

『ファイ』は不思議そうな表情だった。危機感を感じていないのだろうか。こんなことをすれば警察に突き出される可能性も高いのに。
ルーシィにはもちろん、収賄の事実などない。痛くもない腹を探られるのは放っておけば良いが、この場合は話が別だ。息子と名乗る人物が来たことの方が重大だし、自分の非を認めてお帰り願いたい。
ルーシィはソファから立ち上がって机に向かった。

「誰でも同じだからよ」

全員が敵みたいなものだった。以前の騒動では警察が動いた所為で、要らない恨みも買った。大事にしない限り、ルーシィの立場は大学側だって守ってくれる。戯れと流しておくべきだ。
引き出しの鍵を使って財布を取り出し、机の上の本を手に取る。

「同じって…なんかあるだろ、仕返しとか、罰とか」
「波風立てても楽しいことなんかないわよ。自分の首を絞めるだけ。…あのさ、あたしランチ行きたいんだけど」

言外に帰れと滲ませてソファに座ったままの『ファイ』と猫に微笑むと、彼は弾かれたように立ち上がった。

「おう!奢ってくれんのか?」
「……はい?」
「よっし、オレ肉が良い!」
「にゃー!」
「おお、ハッピーは魚な!」

目の前でじゃれる1人と1匹に、貼り付けていた笑みが引き攣る。ルーシィは一度額に手をやってから、口元だけはなんとか笑顔を保って息を吸った。

「意味がわからないんだけど」
「いいじゃねぇか、おっかさん」
「違うし!その言い方も気になるし!」
「かっかすんなよ、シワ増えるぞ、ママン」
「止めて!なんか気持ち悪い!」

笑顔のえの字も無くなって、ルーシィは自分を守るように腕を抱えた。

おかしい。ペースが崩される。

男性なんてルーシィの笑顔にかかれば一捻りのはずだった。小さな子供でさえ、言うことを聞かせるのは容易いのに。

「何してんだよ、行くぞ、ルーシィ」
「にゃー」

呼び捨て?

率先してドアに向かう1人と1匹の背中に半眼をくれつつ、ルーシィは気付かれないように溜め息を漏らした。






自分勝手。


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