お月さまが見ている
「なぁルーシィ、今日の夜大事な話があるんだけど。ちょっと前に森で湖見つけたろ?あそこまで来てくんねーかな」
「…な…な…なな…何で?」
「大事な話なんだ…一人で来てくれよ」
さすがにルーシィだってバカではない。先日と同じ誘い文句に、バカみたいに妄想したりドキドキしたり期待したりなんてことは一切しなかった。
…が、
(この間はミラさんの勘違いのせいで散々だったし…どうせ今回も同じような展開よね)
そうは思いながらも、なんだかんだ意識している所為だろうか。何にせよ誘われたという事が嬉しくて、自然に笑顔が出てしまったらしい。
ナツが嬉しそうに「じゃあ待ってるな」と目の前を去った後で、彼女はハッと自分の言動に気付き
(け、結局あたし期待してるようなもんじゃないの!)
と、がっくり膝をついたのだった。
…そうして夜、約束の時刻。
ルーシィは先日とは違い普通の格好で、鍵もきちんと持って、ナツとの待ち合わせ場所に現れた。
そこはマグノリア中心部から少し離れた、透き通るような水が美しい湖。
きらきらと光る水面に目を奪われ目線を下げて歩いていたルーシィは、ふと映った桜色に待ち人を見つけて顔を上げる。
「ナツ、おまたせ」
「おう、俺も今来たとこだぞ」
どきん。
小説に出てきそうな、ありがちな言葉のやりとり。デートの待ち合わせみたいじゃない、と心の中で呟きながら、胸の高鳴りが顔に出ないように、ルーシィは一つ深呼吸した。
「……で、話って何?」
「あぁ。あのな、どうしてもルーシィに見せたい物があるんだ」
「見、見せたい物…ね」
かく、ルーシィの頭が垂れる。
やっぱり…というか何というか。恐らくナツは不思議な形の木とか、夜になると変な形の影が出来る岩とか、きっとそんなものを見せたいのだろう。
(や、やっぱり期待しなくて良かったわね…)
自分を守るための予防線が役に立ったと眉を下げて笑いながら、ルーシィは是非見せてほしいとその旨を彼に伝えた。
途端、
「おし、じゃあこっちだ!」
「ひゃっ!」
ぎゅっ。ナツがルーシィの左手を攫うように掴んで、そのままずんずんと歩き出したのである。
どこにいくの、とか、何で手を繋ぐ必要があるの、とか、色々彼女には言いたいこともあった。だが、その意識は言葉を紡ぐことよりも、己の手を掴むナツの右手に注がれている。
男女差が浮き彫りになるような骨ばった大きな手に、その暖かさに、期待しなくて良かったと言ったはずのルーシィの胸がまた高鳴り始めた。
(お、おおおお落ち着いて、落ち着くのよルーシィ、ナツにとったらなんでもないのよ!ただ強引に引っ張ってってるだけなんだから!)
そう思い意識を逸らそうとするも、ナツが足を動かしたまま、握った手を確かめるように幾度も力を込めてくるのだからそうもいかない。
その何とも言えない感覚を無視することは出来ず、ルーシィは、落ち着くのよ落ち着くのよ、と己に言い聞かせながらナツに尋ねた。
「ど、どうかしたの、手…?」
「あ?いや、ルーシィの手、小せェし柔らけーなと思って」
「え」
「んー…なんかいい匂いするし…こーしてみると、ルーシィもオンナノコってヤツなんだよなぁ」
「っ…!!こっ、こーしてみるとじゃなくて、あたしは元々女の子なんですけどっ」
しかし、返ってきたのはナツにしては何ともドキドキさせるような言葉で。ルーシィはしどろもどろになりながら、平静を装うのに必死になってしまった。
(き、期待なんてしちゃダメなのに…何であんたはそう無自覚なのよー!!)
とは言え、ルーシィの心を知る由もないナツは、やはり何も気にしていない。
どもる彼女をけらけらと笑いながら足を進め、繋いだ手をそのままに湖を約半周。およそ先ほど居た位置の丁度対岸あたり…やや岩が密集している部分で、彼はその歩みを止めた。
「これだよ、これ。ルーシィ見てみ」
そうして空いた左手で指さすのは、たぷたぷと揺らめく湖面。岸に座り込んだナツに促されるよう隣に腰を下ろしたルーシィは、彼の指す湖を覗き込んだ。
「?…これって一体何のこ………わ!こ、これって…」
そうして驚く彼女の目に飛び込んできたのは、二匹の色鮮やかな魚だった。
東洋の固有種で、この付近だと鳳仙花村にしか生息していないはずの、鯉。
そのあまりにも美しい色彩と珍しい物を見た感動に、ルーシィは繋ぎっぱなしの手を忘れいつもの彼女に戻っていく。
「な、すげーだろ?」
「すご…綺麗な鯉…」
「誰にも教えんなよ、ルーシィにしか教えてないんだからな」
「うん…もちろんよ。ねぇ、でもどうして鯉がこんなとこにいるのかしら」
「いや、しらねーけど」
「きっと誰かが飼えなくなってここに捨てたのね。でも鯉って、どんな水でも生きていける優れた環境適応能力があるの。だからきっと、ここにもすぐ適応してくれると思うわ。…まぁ、ここは水がとっても綺麗だから何の心配もいらないだろうけど」
人を連れてきたくせに、なんにも知らないらしい。ちんぷんかんぷんだと言わんばかりに首を傾げるナツに、ルーシィは微笑んだ。
恐らく彼は、何の理由もつかないほど単純に、そして純粋に、ルーシィに鯉を見せてやりたいと思ったのだろう。ナツがそういう人物だと分かっているからこそ、ルーシィはやわらかく微笑む。
皆を平等に扱い、分け隔てなく仲間を大切にする彼が、真っ先に自分を思い浮かべてくれたのだ。恋愛的な意味ではなくても、ルーシィだけは特別だと言ってくれているようで嬉しくなる。
「教えてくれてありがとう。珍しいもの見れてよかったわ」
ルーシィはその気持ちを表に出すようににっこりと微笑んでナツを見た。そして、本当にうれしいと言わんばかりの声色で感謝を述べる。
が、しかし、
「は?珍しいもの見れてっつーか…なんで俺がルーシィとこれ見に来たかわかってねーの?」
「え?」
ナツは感謝に応える訳でもなく、訝しげに目を細めてルーシィにこう訊ねてきたのである。今度はこちらがちんぷんかんぷんになる番だ。ルーシィは首を傾げ、ナツを見やる。
「あー…ンだよ、気付いてなかったのか?よく見てみろよ、アレ」
「や、アレって…だって普通に鯉じゃ………………あ、」
かぁあぁ、途端、ルーシィの頬が赤くなる。
ため息を吐いたナツに促されるがまま再び見つめた湖面、すいすい泳ぐ二匹の鯉、その色は………緋色と黄金。
あまりにも代表的すぎる色だから全く気にしていなかったが、言われてみればすぐに気付かされる。
(ナツと、あたしみたい…)
ナツの炎…緋色と、ルーシィの金髪…黄金色の鯉。
二匹は一緒に泳いでは離れて、でもまたすぐにくっついて。色だけではなく、決して遠く離れようとはしないその行動が、まるで自分たちのようだった。
「な?俺たちみたいだろ。すげー仲良いよなぁ、たぶん番いだぞ、こいつら」
「………うん、きっとそうね」
すとんと言葉が降りてくる。
ナツの言葉を聞いたルーシィは、スッと肩が軽くなる感覚に息を吐いた。
なんだ、そうなのか、そういうことだったのか。
きっと全ては独り善がりじゃない、勘違いじゃない。ナツはまだ気付いてないだけで、まだ知らないだけなのだ。
すべての言動の裏にある己の気持ちの名前が…それが恋だということを。
(やっぱり…期待しちゃおうかな)
いつかそれに気付いてくれることを願って、いつか自分たちもこの二匹のようになれることを願って。
「ん?」
「…ちょっとだけ、このままね」
「おう」
ぽす。
隣のナツにほんの少し近付いたルーシィは、彼の肩にそっとその頭を預けた。
そうして繋がれたままの手に少しばかり力を込めれば、ナツの手がそれに応えるように握り返してくれる。
ルーシィは言わずともやはり繋がっているようだと、頬をほんのり染めあげた。
水中を仲睦まじく泳ぐ二匹の鯉と、水面に映るぴったりとくっついてそれを見つめる2人。
二匹の鯉を…2人の恋を見守るように、まあるい月が彼らと美しい湖を照らしていた。