夕方家に帰ってきたナツを待っていたのは、酷く神妙な顔をした青猫だった。
「どうした?」
見ると、目には涙さえ浮かんでいる。
ナツはベッドに座るハッピーの頭を撫でてやりながら、自分もベッドの端に腰掛けた。軋んだマットが猫の身体を揺らした。
「オイラ、今日ルーシィを尾行したんだ」
手の下の項垂れた耳が温かい。ナツは「うん」と相槌を打って、手を退けた。
「ルーシィ、グレイに会いに行ったんだ」
ずきり。心臓に何かを突き立てられたような痛みが走る。
「…そうか」
急用ってグレイかよ。
震え始めた右手を握りこむと、爪が手のひらに食い込んだ。
「グレイ…人間界に居たよ。やっぱりルーシィと一緒に来てたんだ。でも」
「…でも?」
言葉を切って、ハッピーはまた泣きそうに顔を歪めた。
ナツが促すと、とうとうぽろり、と雫が落ちる。それを前足でこすりながら、掠れた声を上げた。
「死んじゃう…グレイ、死んじゃうよ…」
「死んじゃう?どういうことだよ?」
堰を切ったように泣きじゃくり始めたハッピーにタオルを被せてやる。
手繰り寄せるように顔に当てながら、えぐえぐとくぐもった声を上げた。
その身体を掴んで揺さぶりたい気持ちを必死に抑えて、ナツはベッドの上に乗り上げた。壁にもたれかかると、幾分落ち着いたのか、ハッピーが顔を上げた。
「オイラがルーシィのマンションに着いたとき、ちょうど玄関からルーシィが出てきたんだ」
ぐすり、と鼻を鳴らして、ハッピーは説明を始めた。
ルーシィは電車をいくつか乗り継いで山間部に行き、簡単な結界の中の洞窟に入っていったらしい。
「洞窟内は凍っていて…グレイはその一番奥で氷漬けになってた」
「氷漬け?なんでだ?」
「あれは…たぶん、暴走だと思う。魔力が制御しきれない程に溢れ出したんだ。グレイの魔力が具現化した形が、氷なんだと思う。…魔導士がごく稀にかかる、病気みたいなものなんだけど…」
「病気?治るのか?」
強張った表情のハッピーに、そんな楽天的な話ではないと悟りつつも、ナツは訊いた。
案の定、ハッピーはふるふると力なく首を振った。
「魔力暴走は、暴走した魔力と正反対の属性の魔力を、同等量ぶつけることで中和するんだけど…グレイの魔力量は…」
「…なんだよ?」
「恐らく普通の魔導士10人分以上はある…あんなのと同じ量の魔力なんて…」
ハッピーの目からまた涙が流れ落ちた。タオルを掴む小さな手が、きゅ、と丸められる。
「氷の反対って、炎か?オレの魔力で良いんじゃねぇの?」
「属性はそうだけど…今のナツじゃあ足りないよ。あの兎兎丸でもやろうとすればきっと死にかけるくらいの…」
むっと半眼になって、ハッピーを見やって。何かに気付く。
「兎兎丸?」
「あ、」
ハッピーも目を見開いた。そうか。
「ルーシィは兎兎丸にそれをさせる気なのか!」
「きっとそうだ…だから幽鬼の支配者に…!」
やっと繋がった。ナツはパズルが解けたような達成感と安堵感に包まれた。
やっぱり、ルーシィは悪い奴じゃなかった。
「妖精の尻尾には今現在、炎系魔導士はいないし、グレイに匹敵するような強さだと…有名なのはやっぱり大火の兎兎丸だ」
「なんで妖精の尻尾を抜けないとならなかったんだ?こんなの秘密にするようなことかよ?」
「敵対組織だから…幽鬼の支配者が簡単に手を貸してはくれないよ。妖精の尻尾に魔力暴走が知られたら…」
きり、と唇を噛んで、ハッピーは目を逸らした。
「グレイを殺すしかない」
「なんでだよ?仲間だろ?」
信じられない気持ちでハッピーに詰め寄ると、潤んだ瞳がナツを見返した。
「あの魔力量が暴走したら、消防車の放水ホースを手放しするようなもので、無差別に攻撃することになる。そうなったら…反対属性の魔力をぶつけることが出来なければ、魔導士ごと始末するしかないんだ」
「なんだよそれ…他になんか方法ねぇのかよ」
ぽつり、とタオルに新たなシミが出来る。
「恐らく、グレイは自分の魔力暴走に気付いてたんだ。それで人間界に来たんだ、ここなら暴走した魔力は再生しないまま…いずれ命が無くなるから」
「え?自殺ってことか?」
「…グレイは…仲間に同士討ちさせたくなかったんだ…」
苦しそうに、悔しそうに。ハッピーは目を伏せたまま涙をぽろぽろとタオルに吸い込ませていく。
ナツは拳を作って、額に当てた。
結局、兎兎丸を頼らなければならないのか。
そのために、ルーシィに殺される?
「なぁ、ハッピー?ルーシィ…その氷漬けになったグレイに会いに行って、何してたんだ?」
「…別に何も。ただ眺めて『待っててね』って言ってたよ」
ルーシィは作戦を変更する気はないということか。ナツを殺して信用を勝ち取り、兎兎丸にグレイを助けてもらう。それを『待っててね』
そしてなんでそれが『急用』?
「…痛ぇ」
胸の痛みが酷くなってきた。