「ちょ、ちょっと、ナツ」
「なんだよ、うっせぇな」
ルーシィは狭いクローゼットの中に居た。――ナツと、身を寄せるようにして。
昨夜ルーシィはチームの3人と1匹で、ギルドの片隅でバカ騒ぎをした。
それはいつものことだったが、今日明細書を見てルーシィは驚いた。割り勘にして一人頭料金二万Jとちょっと。普通ならこんなに高いはずはない。
記憶によれば、昨夜は他の連中も入り混じっていた。当然他の連中も払うべきだろうとなり、渋った連中が何かで勝敗を決めて負けた奴が全額支払うルールを言い出した。
そして経験のないウェンディの為に遊びを兼ねて選択されたゲームがかくれんぼ。
鬼はじゃんけんでエルザに決まった。制限時間内に見つけられなければ彼女の支払いとなる。不敵ににやりと笑ってゆっくりと数を数えだした彼女に恐れをなして、皆が一目散に逃げ隠れた。
ルーシィが逃げ込んだ先はウェイトレスの更衣室。ロッカーとクローゼットが並ぶここなら、隠れる場所は豊富にある。万年金欠の懐にこの支払いは痛い。
ルーシィは部屋を見て回りながら、二番目に小さいクローゼットを選んだ。一番小さいのは狭そうだし、大きいのはいかにも隠れている、という感じがしてすぐ見つかりそうだった。
クローゼットの取っ手に手をかけて、引き開ける。その時、外で足音が聞こえ――エルザか、と青褪めた瞬間、ルーシィは中に引き込まれていた。
「んぐっ!?」
「黙ってろよ」
ルーシィの口を押さえて抱き込んだナツが、クローゼットの扉をそろそろと閉める。
通気用の隙間から光が漏れるだけになると、すぐに外の足音は更衣室を通り過ぎ、手が離された。
「大丈夫そうだな。…てか、ルーシィとかぶるとはなぁ」
「ぷはっ、あ、あんたがここに居ることがおかしいんでしょうが」
ここ更衣室よ、と声を潜めて。その体の近さに仰け反った。
「ちょ、ちょっと、ナツ」
「なんだよ、うっせぇな」
狭く、交わされる会話はお互いに耳元を掠める。潜めた声はいつもよりも低い。
クローゼットのポールには丈の長いドレスがいくつも掛かっている。ルーシィの頭には届かないそのポールも、ナツには届くようで、少しだけ身を屈めている。その分ルーシィの肩に顎を乗せるようにして、ナツは腕をルーシィの体の横に、クローゼットの内壁に突っ張るように渡していた。
その微かに触れる逞しい腕に、ルーシィは顔を赤らめる。
普段は意識してないけど、やっぱり男なんだ。
こくり、と喉が鳴る。落ち着け、と言い聞かせると、ふと、呼吸音すら聞こえないことが気になった。
かくれんぼだし、息を潜めるのは当たり前である。しかし、こんなに静かだと。
これ、伝わっちゃうんじゃ…?
ルーシィの早鐘のような鼓動が、心臓の存在を主張する。ボリュームのある胸はナツの胸板にぎりぎり当たらない位置にあるが。
ルーシィが身動ぎして体を少しでも遠ざけようとしたとき、ナツがん?と何かに気付いたような声を出した。
「ルーシィ、なんかあったけぇな。熱あんのか?」
少し心配したような声音だったが、ルーシィにはナツの配慮なんてどうでも良かった。ただ、その声の近さに焦って、更に跳ねた心臓を押さえつける。
「な、ないわよ」
「顔もなんか赤い気ぃする」
ナツが頬を掠めて、至近距離で覗き込んできた。いや、そうするしかないとはわかっている。わかっていても。
「ち、近い!離れて!」
小声で器用に叫びながらも、掠めた頬が熱を持つのはどうしようもなかった。
ナツはびっくりしたように目を丸くして、なぜか頬を赤らめた。
「は、離れろって…」
「いいから!」
半ばパニック状態になりながら、ルーシィは目を瞑る。と、
「こ…こう、か?」
ぎゅ。微かに触れるだけだった腕が、ルーシィの細い体を抱き締めた。胸が押しつぶされて、呼吸が一瞬止まる。…それだけが原因ではなかっただろうが。
背中を擦るように腕が動いて、真っ白になったルーシィの頭に思考というものが戻ってくる。
「な…なに…?」
「え、だって…離れろって…」
「う、うん。離れてって言ったけど。なんで…」
「え?だって…離れろって、フリじゃねぇの?もっとくっ付けって意味の」
「だ、誰がそんな芸人みたいなネタフリすんのよ!?」
「わ、バカ!静かにしろって!」
慌てたナツがルーシィを腕の中から解放した。また元の体勢に戻って、ナツは大きく息を吐く。
「なんだよ、オレバカみたいじゃねぇか」
体勢を戻すときにちらりと見えたナツの顔は、赤く染まっていた。ルーシィは嬉しくなって、その胸板の――心臓のあたりに手を乗せる。
「ん?どした?」
心臓はどくんどくんと脈打っていた。ルーシィほどではないものの、その鼓動の大きさに口元が緩む。
「ううん、なんでも」
ない、と言おうとして、言葉が出なくなった。ナツがルーシィの耳に唇を寄せたのだ。
「黙ってろよ」
一段と低く囁かれたそれは、男の声だった。
手からナツの鼓動が伝わってくる。先ほどより、早く。強く。大きく。
ナツの頬が、ルーシィの頬に触れた。瞬間。
「……っ!」
「うわっ!?」
ルーシィは緊張に耐えられなくなって、ナツをクローゼットから押し出した。ばたん、と扉が開き――。
「ナツ。見つけたぞ」
クローゼットの前で、エルザが仁王立ちしていた。
「ルーシィのせいで見つかったじゃねぇか!」
転げたナツが、エルザの足元でルーシィに向かって口を尖らせた。
「……あ、そ、そう…。そういうこと…」
あの急激な鼓動はエルザの接近に気付いたからか。
納得はしたものの、期待させられたルーシィの落胆は怒りに変わる。
「あんたが悪いのよ!乙女の純情を弄んで!」
いつもいつもいつも。こうやって期待させては肩透かしばかり。
丁度良い。エルザにお仕置きしてもらおう。
ルーシィは鬼の首を取ったように、ナツに指を突きつけた。
「もう、誑かさないで!」
「ナツ…ルーシィに何をした?」
案の定、正義感の強いエルザがナツを睨む。しかし、ナツはエルザの視線に気付かないようにルーシィに怒鳴り返した。
「訳わかんねぇこと言ってんじゃねぇよ!お前がオレのこと騙しやがったんじゃねぇか!オレの純情返せ!」
「は、はぁあ!?あんたが勝手に勘違いしたんでしょ!?」
「オレだって嫌そうな顔してりゃわかるけど、お前全然嫌がってなかっただろうが!」
「な!?そ、そんなわけ、」
「ルーシィ…」
エルザの冷え切った声が聞こえ、ぴしり、とルーシィは固まった。
「ナツが『純情を返せ』だなどと…よほどのことがあったとしか思えんな」
「あ、いや、エルザ?違うのよ、あれはナツの勘違いで」
「少しお仕置きが必要だな」
「い、いや、あの…」
エルザは切なそうだが本気の目をしている。そんな奴だとは思わなかった、と裏切られた者の目だった。
ぎぎぎ、と首を動かすと、驚いたようにエルザを見ていたナツが、ルーシィに視線を移して沈鬱な表情をしてみせた。つまりは、ご愁傷様。
「いやああああ!?」
一目散に更衣室から逃げ出して。
追ってくるエルザのがしゃがしゃとした足音を聞きながら、ルーシィはやはりお仕置きは自分の手でするものだ、と胸に刻んだ。