「駆け落ちかの?」
声は木の上から聞こえた。
「……え?」
空耳かと思えたそれは、初老の男性の姿で木の幹をとっとっと、と歩いてきた。重力を無視して。
ナツとルーシィは口を開けて、根元までやってきたそれを見る。今のルーシィよりも少し小さい、腰の曲がった好々爺だった。
「どれ、小人化の魔法でもかけてやろうかの」
老人の言葉に、ナツがぽん、と手を打つ。
「その手があった」
「いやいやいや、解決になってないって」
何故か乗り気になったナツに手を振って、ルーシィは老人を観察する。
一見してパジャマのような水色チェックの上下で、手に折りたたみ式の歩行杖を持っている。入院患者といった感じだ。
老人はルーシィをちらり、と見てナツに視線を移し、またルーシィを二度見した。
「これは驚いた。お主、シュリンカーではないのか」
「シュリンカー?」
ナツが聞き返すが、ルーシィには聞き覚えがあった。コルネトがルーシィに教えてくれたのだ。
「体が小さくなった人間のこと、よ」
「そうじゃ。一度小人になったというのに、再び人間と恋仲になったというわけじゃな」
理解するのが少し遅れた。
ルーシィが恋仲なんかじゃない、と否定する前に、老人がうんうん、と頷きながらルーシィにステッキを向けた。
「今後はもっとよく考えて行動するんじゃぞ」
ステッキの先から伸びたオレンジ色の光がルーシィを包んで――
ぼむ!
「うぉ!?」
ルーシィの金髪が、さらりと爆風に揺れる。それが肩に戻る頃には、霧だか煙だかが晴れて、視界が開けた。
ナツが瞬きをする。ルーシィはその動きを呆然と見つめた。
「え…?」
さっきまでのそれと角度が違う。そっと手を持ち上げて目の前のナツの頬に滑らせると、その大きさは人間のそれで。
ルーシィは思わずその頬を抓る。
「いっ!?いでででっ!?」
「戻った…?」
「自分の抓れよ!」
「戻ったー!!」
文句を言っていたナツはルーシィが首に巻きつくと静かになった。
するり、と背に腕が回される。
「ルーシィ」
声音は噛み締めるように優しい。ルーシィは恥ずかしいよりも嬉しくなって、ナツのマフラーに擦り寄った。
ナツがもう一度、ルーシィに言った。
「ルーシィ、重い」
ルーシィはナツの膝に乗っていた。
す、と笑顔で離れて手を構える。
張り手は三回頬を往復した。
「それは…もしかしたら長老かもしれない」
大きくなって戻ってきたルーシィとナツに、驚いて声も出ないまま話を聞いていたコルネトが、静かに震えつつ、ルーシィに聞こえるように声を上げた。
ナツの輪郭が変わった後、老人に礼を言おうと思ったが、忽然と姿を消していた。ルーシィは大きな声で森にお礼を響かせることしか出来なかった。
「長老は僕らでも祭事のときにしかお目にかかれない方で…そうか、あの方は小人化の魔法を編み出した血筋の直系だから…。ああ、なんで早く気付けなかったんだろう」
頭を抱えるコルネトに、ルーシィはくすくす笑う。
「ちゃんとこうして戻れたんだし、結果オーライよ」
視線を巡らせると、ルーシィの後ろでナツがグレイに氷をもらって頬を冷やしていた。そんなに強くぶった覚えはないのだが。
「…僕としてはルーシィと結婚できなかったのは残念だけれど」
ルーシィの視線を追って、コルネトが溜息を吐く。
「よっし、今日は宴だろ!」
ナツの宣言に仲間達が沸いた。いつだって、このギルドは騒ぐ理由を探している。
ルーシィはコルネトの声が聞き取りやすいよう、身を屈めた。
「それじゃあ僕はこれで失礼するよ」
「え?でも」
「本当言うとね、恋人や配偶者は良くても、友達にはなっちゃいけないんだ。お互いの文化を行き来させてはいけない掟になっているんだよ」
「そんな…」
ルーシィは息を飲んでかける言葉を捜す。コルネトは寂しそうに微笑んだ。
「ありがとう、ルーシィ。君に会えて本当に良かったよ」
「あ…ありがとう、コルネト。あたしも…楽しかったわ」
ルーシィは別れにふさわしいように、一語一語丁寧に紡いだ。
コルネトは最後ににこり、と笑うと、姿が薄くなって、溶けるように消えた。
「……」
ルーシィは何もなくなったカウンターの上をしばし見つめる。
「ルーシィが無事に戻れたことを祝して!」
背後でナツが音頭を取るのが聞こえた。かちん、とグラスやジョッキがぶつかり合う音が響く。
ルーシィは振り返って息を吐いた。
ギルド内はすでにてんやわんやの騒ぎになっていて、自分の世界に戻ってきたことを実感する。抑えきれない笑みが顔に広がると、ジュビアとウェンディが嬉しそうにグラスを掲げた。
視界の真ん中ではナツが下手くそな竜ダンスなるものを披露している。
その謎のステップに苦笑を漏らすと、ナツが無邪気に笑って、ルーシィに手を伸ばしてきた。
「ルーシィ!」
手を委ねると、くるりとダンスに巻き込まれる。
二人の人生は、今のところ一緒の道を歩んでいた。