幸い、話は聞いていなかったらしい。
「あっち行ってろ」
「はあ?お前が呼んだんだろ」
「事情が変わったんだよ。さっさと行け」
「何がどう変わったんだよ」
ナツが言うことを素直に聞くはずはない。わかってはいたことだが、グレイは当たり前に苛立った。加えてルーシィは、ナツの姿が目に入らないかのごとく離れてくれない。
ナツに関わっている時間が勿体無い。ぶん殴るか蹴り飛ばすか、なんでも良いから排除しなくては。
「良いからさっさと」
「ねえ、グレイはどう思ってるの?」
全く変わらない甘えっぷりで小首を傾げるルーシィに、グレイは一瞬絶句した。この状況で話を続行するとは思わなかった。酔っているにしても、本当にナツが見えていないのだろうか。
「なんの話だ?」
息を飲んだ隙にナツが容易に割り込んでくる。会話だけでなく物理的にもグレイとルーシィの間に入ろうとする彼に、グレイは空気読めよ!と叫びたくなった。
「だから」
桜色に遮られて、ルーシィの声だけが聞こえてくる。ぎょっとしてなんとかナツを押しのけるも、彼女の口の方が早かった。
「あたしが」
「おい、ちょっと待てルーシィ!」
「好きかもしれないって」
「待てって、おい!」
ルーシィへの制止が効かないため、グレイはナツの頭を押しやるのを止めた。逆に抱え込んで、耳を塞ぐ。
投下された言葉は、思ってもみないものだった。
「ナツのこと」
「……へっ?」
脳が混乱して――初めからしていたような気もするが――グレイは目を瞬かせた。恥ずかしそうに潤んだルーシィの瞳と、ナツの桜色を見比べる。
耳栓の意味はなかったらしい。ナツは腕の中からぽつりと聞き返した。
「オレ?」
「どう思う?」
「え、ど、どうって?」
「それナツだぞ」
酔っ払ったルーシィはグレイではなくナツに話しかけている。全てがアホらしくなって、グレイはナツを解放した。ついでに、ここに居るのも放棄する。
「じゃ、後頼むな」
「ちょ、ちょっと待て、グレイ!これどうすんだ!?」
「どうするもこうするも、お前らの問題だろうがよ」
相手がナツならば納得する。自分が混乱した理由がそこにあったとさえ、今は思っていた。この二人は仲が良い。自然にじゃれているため気にしたことがなかったが、言われてみれば、すでに付き合っていてもおかしくないほどだ。
「二人で話着けろ」
ルーシィは今正気ではない。しかしここで放っておいても可哀想とは思わなかった。
彼女はギルドに加入してから長いわけではない。それでも昔から居たようにさえ感じるのは、ナツが彼女を何かと構い、いつも隣に置いているからだ。恋愛なのかどうか――そもそもナツにそんな感情があるのかどうか――は判断できないが、特別であろうことは想像に難くない。
ひらひらと背中越しに手を振ると、ナツがはっしと服の裾を掴んできた。
「行くなよ!これ、お前だと思ってんだろ!?オレが向こう行くから、お前はここ座っとけよ!」
「イ、ヤ、だ!」
自分を止めるのに服を押さえるのは愚行だと、グレイは鼻で笑った。素早く脱ぎ去る。
ついでにバランスを崩したナツに足払いをかけて、ルーシィの隣に座らせた。
「わっ、お、おい!」
「ねえ、あたし、好きなのかなあ」
「なっ、さ、さあ?」
「そうとしか見えねえぞ」
「ぐ、グレイ!」
ナツの顔がルーシィよりも赤くなっている。それは面白かったのだが、不完全なイチャイチャムードは全身が痒くなる。
ルーシィは幸せそうなトーンで「やっぱり?」と身を捩った。鼻に付くようなわざとらしさはなく、ごくごく、可愛らしく。
「好きってバレちゃってる?」
「バレるって言うか、今聞いてんだけど」
ナツはマフラーに半分顔を埋めながら、拗ねたように呟いた。
「オレ、ナツだぞ」
「うん、わかってるー」
これ以上はもう聞いていられない。凝ったような気がする肩をこきりと鳴らして、グレイは二人に背を向けた。
……。
振り返る。
「「へ?」」
「えへへ」
にこっ、とルーシィは笑った。そのまま、目を閉じる。
ぐらりと傾いた彼女がカウンターに突っ伏すまで、グレイは微動だに出来ないままそれを眺めていた。自分以上に固まっているナツに気付いて、そっとその場を離れる。
喧騒はまだまだ止まない。しかし今日はいくら飲んでも酔えないだろうと、なんとなく予感していた。
恋愛模様というよりもホラー映画を見たような心地で、グレイは腕を擦った。