朝のシャワーを浴びて、タオルを巻く。ルーシィは鏡の中の自分を見ながら首を傾げた。さっぱりとした気分を塗り潰すような、重い音がする。
雨でも降ってきただろうか。ぼんやりと考えながら部屋に戻ると、ソファの近くに不気味な黒い物が居た。
「ふひゃああああ!?」
「んな驚くなよ」
べちゃり、と音がして、黒い部分から桜色が現れた。
「な、ナツ?」
真っ黒に見えたのは、上着を緩めて頭を覆っていたせいらしい。全身濡れそぼって体積が減ったように見えるため、一目見て彼だとは気付けなかった。
「朝から何して、って言うかなんでそんなべちゃべちゃなのよ!?」
玄関から彼まで、なめくじが這ったように水の道が出来ている。その後始末の憂いよりもナツが玄関から入ってきたという事実に驚いて、ルーシィは息を飲んだ。
「あ、あんた、なんで……」
「雨降ってきた。こうなった」
「あ、うん。……あ、そう、うん」
訊いたことと違う答えが返ってきたが、ルーシィはそれで良いことにした。窓の外は犬と猫どころか馬や羊まで混ざったような大雨になっている。この雨で窓を開けなかったことには感謝したい。
「うわ、凄いことになってるわね」
「そうだろ」
「なんでドヤ顔?」
「降らねえかなって思ってたら降ってきたから、オレが降らしたようなモンだ」
「いや……」
ふんぞり返るナツに言葉を濁すと、彼は「呆れてんだろ!」と頬を膨らませる。下りた前髪と相俟って、いつもよりも幼く見えた。
ルーシィは「勘が良いわね」とだけ答えてもう一度外の景色を確認した。と言っても、向かいの建物さえ満足に見えない。
「こんな雨強いのも珍しいわよね」
「オレの方が強い」
「天候に張り合うな」
そしてこの濡れ鼠になった状態から考えると負けているのではないだろうか。ルーシィはぽたぽたと髪や服から雫を垂らすナツを改めて見て、長く息を吐いた。
「途中で雨宿りとかすれば良かったのに」
「ルーシィんちなんて走ればすぐだと思ったんだよ。そのタオル貸せ」
「貸せるか!」
「ちぇ」
ナツは上着の前を開けると、するりと――実際はべちょべちょと、だったが――脱いだ。筋肉質な上半身が目に飛び込んでくる。
「ここで脱ぐな、絞るな!てか、炎で乾かせば良いじゃない!今気付いたって顔すんな!」
「すげえな、お前。そんな一気に喋って疲れねえか?」
「誰のせいだと……!」
「よし、さっさと乾かしてギルド行くぞ」
ナツは言葉通りすぐに炎を纏った。今更ながら自分の格好に気付いて、ルーシィも慌てて行動する。
「着替えてくる」
「良いんじゃねえの、そのまま行けば。濡れても楽だろ」
「適当なこと言わないで!」
前髪を上げるナツを睨んで、服を持って脱衣所に戻る。自分の家なのにこそこそと着替えることには、もう文句も浮かばないほどに慣れていた。髪をセットして、急いで化粧する。
「まだかー?」
「まだー、もうちょっと」
「早くしねえと雨止むぞ」
「それは良いでしょ!?」
どたばたと準備して、やっと外に出られる状態になったときには、雨音はほとんど無くなっていた。
ナツが玄関へのドアを開けながら、ルーシィに訊いてくる。
「傘は?」
「一つしかないわよ」
「良いだろ一つで」
「え、相合傘するの!?」
「違う、オレが使う」
「ちょっと!?」
「しゃあねえなあ、入れてやるよ」
「あたしの傘!」
ははは、と笑いながら、階段を下りたナツはオレンジ色の傘を開いた。女物でフリルも付いた可愛らしいデザインのそれを、ルーシィに差しかける。
「ほら」
「ありがとう」
持ってくれることについては礼を言って、ルーシィは彼の隣に滑り込んだ。
傘に跳ねる雨音は柔らかく小さい。
「ホントにもう止みそうね。通り雨みたいなものだったのかしら」
「オレ、一番凄ぇときに外出てたんじゃねえか」
「あはは、そうかも」
傘など必要ないくらいだった。特にナツがこれくらいで濡れるのを気にするとは思えない。
不自然に思えたが、ルーシィは突っ込まなかった。
「そういえばなんでうちに寄ったの?」
「――……」
「え?何?」
「……忘れた」
ごめん、聴こえてた。
『このため』――ルーシィは謝罪の代わりに、少しだけナツに寄り添った。
「肩、濡れない?大丈夫?」
「ん」
もう完全に雨が上がってしまう。それがわかっていながら、ルーシィは天気を無視した。ナツが傘を閉じないことを信じて、空を見ない。指摘しない。
ギルドに着くまでは、気付かないフリを続けよう。
虹が出ても、傘の中だけは雨のままだった。