「いっ、痛っ……」
そんな文句など聞いていられない。彼女の頭に落ちたマフラーを弾いて、ナツは額をぶつけた。
「お前、記憶喪失にでもなったのかよ!オレが居るだろうが!」
「痛ぁい!」
恋人というわけではない。気持ちを打ち明け合ったわけでもない。
しかしナツはわかっていた。自分とルーシィに、同じ未来があること。言葉にしなくても、そこに向かう足並みは一緒であること。
いつも隣に、お互いが居ること。
そう思っていたのが自分だけだった――そんなこと、認められない。
「思い出せ!おら!」
「痛っ、痛いっ!バカ!」
「うおっ!?」
ルーシィはナツを突き飛ばして、涙目で怒鳴った。
「何すんのよ、ナツ!」
「お前がオレのこと忘れてっからだろ!」
「何のことよ!?」
「ソイツ!」
びしっ、と男を指差して、ナツは固まった。二の句が告げず、ゆっくりと指が曲がっていく。
ルーシィが額を擦った。
「忘れてなんてないわよ。でもナツはダメでしょ。ハッピー居るじゃない」
「お、おう……」
男は子犬を抱いていた。やや怯えるような四つの目がナツを見ている。
ぎぎ、と首が油の足りないブリキのオモチャのように動く。ナツは恐る恐る、ルーシィに訊いた。
「拾った、とか?」
「そうよ。ギルドの前に捨てられてたの。あたしが見付けたから、里親探ししてて」
「赤くなってない?」とルーシィは前髪を掻きあげた。くっきりと赤い。もしかしたら腫れるかもしれない。
ナツは項垂れた。
「悪い……オレ、お前のこと疑った」
「え?まあ、良いわよ、別に……。でも頭突きは止めてよね!」
不安になったことが恥ずかしくなった。信じていなかったのは自分の方だ。
実は言葉って大事なのかもしれないと、ナツは思った。ルーシィに一言、『ナツが好き』と言ってもらえていたなら、きっと。
「じゃあ、その子、よろしくお願いします」
「あ……はい!」
立ち上がったルーシィに、男がまた柔らかい視線を向ける。今度はナツにもはっきりとわかった。彼はルーシィを見ていない。その愛情は、腕の中の子犬にのみ傾けられている。
ハッピーは椅子の陰に隠れるようにして身を潜めている。ナツは男の背に手を振るルーシィの隣に立った。
「ルーシィ」
「うん?」
「オレのこと、好きか?」
「…………え?」
ルーシィの目が高速で二回横に動いた。ひゅ、と息を吸い込んだかと思うと、中途半端に吐き出す。
「あ、は、反省、してるってことね?」
喉に何かが引っかかったように、ルーシィは軽く咳払いした。困ったように眉が寄せられる。
「えっと、うん、こんなことで嫌いになったりしないから」
「好きか?」
「えっ、あ、その、それってなんか、変な感じしないかな、って言うか」
「変?」
「う……」
ルーシィは茹蛸のように真っ赤になって、「どうしてわかんないのよ、アンタは」とぶつぶつ呟いた。ふとカウンターを見ると、ミラジェーンが身を乗り出して微笑んでいる。明らかにワクワクしているのがわかった。
確かに、これでは言えない。ナツは仕方なく質問を諦めた。また今夜、部屋に行ったときにでも訊いてみれば良い。
ぽん、とルーシィの肩を叩く。
「これからも、ずっと一緒にやってこうな」
「え、あ……うん!もちろん!」
ほっとしたように、ルーシィが頷く。彼女の笑顔が、さっきの質問にも答えをくれた。
満足して、ナツも大きく頷く。
「一生、大切にするからな」
「うん。……うん?」
「あ、やべ。勢い余った。今のなしだからな、ミラ!」
公開プロポーズをする気はない。
そんなんじゃない、と言い訳できれば良かったのかもしれない。しかし否定を思い付かなかった。ただミラジェーンを口止めすることだけ、ナツは考えていた。
もう一匹、口止めしなくてはならない存在が、足早にテーブル席に向かうのを。
止められなかったナツは、数秒後、後悔した。