縛って隠して抱きしめて
「……え……」
ゴミの袋に埋もれるように壁に背中を預けて(倒れているようにも見えるが……)いたのは明らかに危なそうなソッチ系の感じの人で、まっきんきんな金髪は案外柔らかそうなのが意外の男の人だった。
まさに喧嘩してきたって感じで、顔の上半分は見えないけど口元には血がついててシャツも血がついててボロボロだった。
これって救急車呼ばなきゃだよな……明日のニュースで流れても罪悪感が残るだけだし……。
そう思ってケツポケットから携帯を出すと男の人がピクリと動いた。
俺はちょっと様子を見ようと男の人に近付いた、それが間違いだった。
「ぅわあ……ッ!」
腕を捕まえられて身体をのけぞらせる前に凄い力で前に引っ張られた。
「……ぃ……」
「……ぇっ? なんて、……」
「……ほ……っとけばいい……」
それだけ言って男の人は俺の腕からその力強い手を退かした。
俺は携帯を持ってその場に立ち尽くした。
…いやいやいや、…だってあんたどうするんだよこんなところで…。
ゴミ収集車でも待ってるのか?
そう言いたい気持ちをグッと堪えてつま先を男とは反対方向に向けた。
「……んなことできるわけないだろぉ……」
俺はため息を吐いて頭を掻いた。今日が金曜日だったことをまだよかったと思いながらまたピクリともしなくなった男の元に屈んだ。
「家があるならタクシー呼ぶし、もし遠いならうちで休むか……?」
何となくこういうのって色々想像しちゃうけど、借金取りとかなのかな……。
うちには金目のものなんてないし、なんか荒らされなければいいかな、……なんて。
「……タクシー……おまえんちまで。」
男はそういうとゆっくり顔を上げた。
頬が腫れて切れてて鼻からは掠れた血の跡、頭から血も垂れていた。
……だけど、瞳だけはやけに綺麗で、意思の強そうな瞳をしていた。
タクシーを呼ぶとそいつをどうにかして乗っけて、嫌そうな顔でミラー越しに見て来るおじさんに謝りつつなんとかうちまで連れてきた。
うちに着いたと分かると男はめんどくさそうに財布を投げて来て、開くとそこには万札がたくさん入っていた。
俺はびっくりしながら男を見ると「今日の稼ぎ」と、それだけ言った。
おじさんもそのお金を受け取ると「面倒はごめんだよ」といいながらもお釣りを返してきた。
そしてそれからまた、どうにかして男を部屋に連れ帰ってきた。
運動不足だった俺は息が切れて腕も足も痺れそうだった。
途中、なんで俺はこんなことをしているのだろうと階段をのぼりながら何回も思ったが、その度に男のぐったりした様子を見て気を持ち直した。
家に薬箱があってよかったと初めて思った。
俺はあまり風邪も引かないし、引いたとしてもすぐ病院に行くのでとくに用もなかった薬箱。
それでも男の怪我の処置には大いに役立ってくれた。
マキロンを綿に染み込ませて傷口に塗る。血の色しかなかったので、運が悪く土手から転げ落ちたとか、そういう理由は消えた。……まあ、シャツの感じからしてそうではないだろうとは思っていたが……。
俺は男の脱がせたボロボロのシャツを視界の端に捉えた。どう考えてもあれは返り血だったし。
男はぐったりとしてソファに横になっている。
身体にはあまり傷はなかったが、腹にはいくつか痣があった。
……あんな痣なんてどうやったらできるんだよ……。
俺は自分のビールのせいで少したるんだ腹をさすった。
男には流石に風呂は無理だと思って自分だけ入って、飯も食わずにそのままベッドで寝た。
「……ん……、」
すこし香ばしい匂いで段々頭が軽くなって、起き上がるとソファにはゆらゆら動いている金髪があった。
「……元気になったのか、」
俺が上半身だけ起こしてそう言うと男は気付いたように振り返った。
「…………」
顔はテープとガーゼだらけだったが、よくよく見るとなんだか男前な顔をしていた。
それに、…思っていたよりも若い。
「なんで俺を助けた」
男は疑っているような視線だったけど、ただたんに質問したようにも聞こえた。
「……なんでって、あれで置いていけるような度胸はしてないよ」
「別に死にやしなかった」
「感情論だろ、それにほっとけって言われれば余計に関わりたくなる」
「…………」
「あっ、別に何か要求があるだとかそういうんじゃないからな?それに何したとか、知らないし……」
なんか、勘違いされそうだし……てかされてないか?
何をした聞きたい気持ちもあるけど、それよりも報復?だとか、なんかそういうのがありそうで怖い……
「金に手出そうとしたらああなった。ま、俺もやり返したけど
でも、端た金だぜ」
「えっ、えっ?!」
そう言いながらカップを啜る男は堂々とした様子であっけらかんと言ったもんだから、俺は思わず盛大な二度見をした。
「い、いくらよ……」
思わずオカマ口調になってしまった俺にも相変わらず動じず、ひい、ふう、みい…と指折り数えはじめた。
「千ちょっとくらい」
「せっ、せん……えん……」
「………」
俺がそう言うと男は白けたような呆れ顔でこっちを見ていた。
いや、分かってるよ?!分かってるけど、ねえ?
「……俺とは違う世界で生きてるんだな……」
そう言うと男の視線が少し鋭くなったように感じた。
「……別に、日本語しか喋れねーし」
「……うーん……」
いや、そう言う意味じゃないけど……でも、まあ今のはイヤミ……だよな。なんか悪い事言ったかな……。
男はシンとした部屋が嫌だったのかテレビを付けた。
「お前名前なんていうんだよ」
まるでビールでも飲むかのようにカップを手に持つ男に俺は言い淀んだ。
「別に調べりゃすぐ分かっからいーけど」
「……高橋麦」
「むぎ……? お前が?」
ちょっと意外そうな顔。
「家が農家なんだよ……あと母さんがパン好きだから?」
「妹がいたらトマトだろ……あ、アボカドか?」
そう言って男はクツクツと笑った。俺には笑えないけどな!
小、中学生はまだよかった、米だとかパン屋だとか、言われてたけど…高校では麦ちゃんだとか、彼女だったらかわいい名前だとか……散々言われてもう言われなれた。
「……おたくはなんていうのさ」
「俺か? ……俺はなあ、ミヤビっていうんだよ」
「ミヤビ……本名かよ……まあ、いいや
ミヤビはいつ出てくつもりだ?」
ソファにドカリと我が物顔で座っているミヤビはシャワーを浴びたみたいで、下着一枚だった。確かにシャツは脱がしたけど、ズボンはそのままだったのに…。
「めんどくせえ、ムギも仕事じゃねえんだろ?」
「そうだけど、」
「ならいいじゃん 腹減ったからピザでも取ろうぜ、俺が出すし」
そしてスマホ貸して、とガーゼで隠れていてわからないがちょっと爽やかそうな笑みを浮かべて手を出したミヤビに俺はため息を吐いてスマホを差し出した。
なんで財布は持ってて、携帯はないんだよ……。ちょっと理由が怖くて聞けない俺、情けない……。
ピザを取って食べた後もずっとソファで寝そべってテレビを見ているミヤビに俺はスマホで脇腹を軽く小突いた。
「お前帰る家あるんだろ」
「……んー、俺が邪魔なのかよ?」
ごろりと身体をこっちに向けたミヤビはちょっと拗ねたような顔をする。
でもこれも演技だってわかったから俺は腰に手をついてため息を吐いた。
「別に邪魔じゃないけど、ここにお前を探しに来られても困るんだよ。
俺は明日仕事だっつの」
「しょうがねえな。スマホ貸せよ」
「……ん……なにするんだよ」
「電話」
そう言ってスマホを耳に当てるミヤビ。
えっ!それって俺の番号わかっちゃうのでは……!?
「……ああ、そこまで」
「えっえっなに!」
「ほらよ」
パッと渡されてからズボンを履き出すミヤビに俺は肩を落とした。
これで俺の番号が知られてしまった……。
「これ、ありがとよ
また来るわ」
顔のガーゼを指さして、それだけ言ってミヤビは上半身裸で出て行ってしまった。
いやいや!その恰好はヤバいでしょ!とかなんとか言おうとする前に扉からさっと出て行ってしまった。
「てか今、また来るって言ったか……?」
ちょっと背中がゾクリとして俺は腕を擦った。
「おーう」
タバコをくわえて待っていたのはあのミヤビだった。顔の怪我も粗方治っていて、ちょっと小綺麗な格好をしていた。
「本当に来た!」
「来るっつっただろ
ほら、飯」
「え、やった……上がるか?」
仕事帰りでお腹が減っていたので、押し付けられた袋を嬉々として受け取ってしまった。
そしてなんとなく予感しながら、恐る恐るそう聞いた。
「当たり前だろ」
「…………」
だよなぁ、と思いながら部屋のドアを鍵で開ける。
どうぞ、と言う前に入って来たミヤビにあの夜の弱ったミヤビを思い出した。
俺が抱えてここまで運んでやったんだぞー、とは言えないけど。あの時の方がまだ可愛らしかった。
「あ、灰皿は無いから適当に流しに捨てて」
「……んー」
ジュ、と音がした。
俺はスーツを脱いでいるとミヤビが近くに寄って来て、なんでだか壁にもたれながらこっちを見ている。
「な、なんだよ……」
「んや、ムギは吸わねえんだな」
「おー。親がヘビースモーカーだったから、逆にな」
「へえ」
「別に吸うなとは言わねぇけど、身体のこと考えろよ?」
スウェットに着替え終えると、ミヤビを避けてソファにどっかり座った。
「あー疲れた」
「ほら、ビール」
そう言って渡されたのは缶ビールだった。
うわ、気がきくなあ……
どうやらミヤビはご飯と一緒にビールを持って来てくれたみたいだった。
なんかあの時世話してやって良かったかもなぁ。
「鶴の恩返しかあ」
俺はそう呟きながらビールのプルを開けてゴクリと一口を含んだ。
買って来てくれた夜ご飯はちょっと冷めてたけどすごい美味しかった。多分デパ地下みたいな、そう言うやつかな?
「今日も泊まっていくのかよ」
「ムギが泊まってくれって言うなら泊まってやろうかな」
そう言ってソファの上でミヤビは少し寄って来た。
「はいはい、泊まってほしいなー」
「しょうがねーなー」
馬鹿みたいなやりとりをして、無言になった。
笑い飛ばすでも無い無言に俺はパッとミヤビを振り返った。
「……わあっ!」
ミヤビの顔がわりと近くて、びっくりして箸を落としてしまった。
ミヤビはそのまま俺の手から持っていたデパ地下のパックをスルリと取った。
視線がカチリと合うような感覚に目が逸せなかった。
「、なに……」
コトンとちょっと軽い音に、ミヤビは更に顔を近づかせてくる。
ハッとした時には唇と唇がぴったりとくっついていた。そしてそのままぬるりと侵入して口内を這いずる何か。
「っな、なに!?」
「……めっちゃエビチリの味だ」
「当たり前だろ?!ってか、何してくれてるんだよ!」
「何ってキスだろ」
さらりと言ってのけるミヤビに、俺はなぜか全身の力が抜けたような脱力感に陥った。
怒る気もフニャフニャして萎んでいった。
「飯食べてる時にはこういうことするなよ」
「……んー」
俺はそれだけ言って、エビチリを食べるのを再開した。
こういうのは突っ込むだけ無駄だ、きっと特に意味もなくミヤビはやってきたんだろうし。
「……ん……ん?」
朝起きるとやけに身体が重くて眉を顰めた。
寝返りを打とうとすると何かが身体に巻きついているのが分かった。
「……ミヤビ、」
ソファで寝ていたはずのミヤビが、俺の身体を抱き枕にして隣で眠っていた。
腕を剥がしながら身体を捩るとミヤビの腕からなんとか抜け出せた。
「行くなよ」
腕がクンと引っ張られて、俺は思わずワァと小さく悲鳴をあげてそっちを見た。
「……お、起きてたのかよ」
「どうせ休みだろ。まだ寝てろよ」
「や、休みだけど……一日中寝てるわけにも行かないだろう」
「……どっか行くのかよ?」
「う、ん……」
少し困ったように返事を返すと、本当に腕を引っ張られてベッドに身体を逆戻りさせられた。
「俺より大事なもんじゃないだろ。行くな」
「……なんかそれ、彼女に言ってるみたいだぞ」
そう言って吹き出した俺に、ミヤビの巻き付いた腕の力が強まった。
「別になんでもいいから行くなよ。」
「……普通にDVD返しに行くだけなんだけど……、」
「だるい、延長すればいいだろ」
金は払う、そう言って瞼を閉じるミヤビ。
俺も仕方なく眠りについた。
「……んあ?」
ビビビビ、そんな変な音で起きた。
隣にいたはずのミヤビは居なくなっていて、リビングからその変な音がする。
「おう」
「……DVD見てるの?」
「ああ、これ中々面白いな」
今朝返しに行く筈だったDVDが再生されていた。まあもうどうせ延泊になってる筈だし、良いよな。
それにミヤビは楽しそうに見ている。洋画のアクションモノだ。
それにもうビールも開けてるし……。
「ムギもこっち来いよ」
そう言ってポンポンと自分の隣を叩くミヤビ、俺は緑茶をカップに入れてからそこに座った。
「あ、ネタバレすんなよ」
「しないよ……あ、これからな……」
「良いって! うるせー!」
ちょっとチャチャを入れると面白いように反応するミヤビ。こう見ると年相応と言うか、面相応の若者に見えるけど…何歳なんだろう。
高校生……は無いと思うけど……ビール飲んでるし……。
「ムギ、俺に惚れてるのかよ」
「……え?」
ブフ、と吹き出したミヤビは口を押さえてそのまま肩を震わせている。
「俺の顔ばっか見てる、なんなの。」
「や……別に意味はないけど、」
「けど? ……なに?」
顎を掴まれて無理やり横を向かされた。普通に首が痛い…。
「別に……」
「んだよ、可愛くねえな……」
そう言いながら顔を近づけて来るミヤビに、俺はビックリしたがそのまま動かなかった。
するとミヤビは口を開いて、かぶりつく様に俺の唇を塞いだ。
「……ん……ッ」
俺…まだ朝の歯磨きしてないんだけどな……。
エビチリの味よりはマシ…か?
「……ん……く」
顎に溢れた唾液が伝って、ぞわりとした。
ミヤビの口が離れたかと思うと、顎を舐め上げられてまた口を塞がれる。
ずっとグチュグチュと汚い音を立ててキスみたいな行為をしていたが、だんだん顎が疲れてきた。
「ん、はぁ……」
「……は、……ちゃんと鼻で息できるんだな」
そう言って笑われた。けど、ミヤビの顔は赤くて……それは酸欠が原因だとしても、何と無く恥ずかしかった。
「…………」
何も言えなくて、そのまま黙っていた。
「このまま時が止まればいいのに」
「え……?」
ミヤビが突然そう言った。表情は画面を見ていて横顔からはよく分からない。
「俺は親父の跡を継ぐつもりだから、こんなに落ち着いた時間はそう持てなくなる」
「………」
「なんであの時俺の事を助けたんだよ、放っとけって言ったのに……」
コツン、とミヤビの頭が肩にくっついて、少しの重みが寄りかかった。
「……でも、だから今ここにいるんじゃん」
ちょっとした言い訳みたいに、そんな言葉が口をついてでた。
「…………」
「…………」
二人とも無言になって、ぼーっとテレビを観ていた。
もしかしたら、ミヤビは何を言うか考えているのかもしれなかった。
「……DVD、返しに行くか……」
画面には、いつのまにかエンドロールが流れていて、キャストクレジットがだらだらと続いていた。
ミヤビが、俺がそう呟いたちょっと後に、もぞりと動いた。
俺がそれを視界に入れると同時くらいに、腕を引っ張られる。
「…っちょ、」
ガクリと体勢を崩した俺の顔を掴んで、じっと見つめて来るミヤビ。
そんなミヤビの表情は、なんだか綺麗で怖くて、まるで草食動物を狙うライオンみたい。
「どっか、一緒に行こうぜ」
「え?」
「中国とか、韓国でもいいけど」
「え、お、俺……日本語以外喋れない……」
そう言うと、さっきまでお面みたいな顔をしていたミヤビがプッと吹き出した。
俺はその間にいそいそと起き上がると、いまだに笑っているミヤビのそばにあるカップを当たらないようにずらした。
「割と今の一世一代くらいの告白だったんだけど」
「えっ、えー……」
告白って、そんな……中国だか韓国行こうなんて話になるのか?
よく知らないけど……俺は海外旅行なんかじゃ釣られねーぞ!
「まあ、別にいっか
ムギがいるなら日本でも良いや」
どうせ俺は籠の鳥だし。
意味深にそう言って、体を後ろに寝かせてカーペットに大の字になるミヤビ
「あ、ムギは俺の籠の鳥だから」
「なんだよカゴのトリって…」
「…………」
「ミヤビ……?」
ミヤビはそれっきり黙っていた。
もしかして寝たのかな、とも思ったけどそのままそっとしておいた。
とりあえずDVDを返しに行こうと準備していると、ひょっこりとミヤビが起きてついて来た。
「俺が持つよ」
「良いよこんなの」
なんか女扱いされたみたいでおかしくて笑うと、左手で持っていたDVDが取り上げられた。
「ムギは取り敢えず慣れてもらわないとね」
「……は?」
「籠の鳥の粗相は主人のものなの
だから籠の鳥は主人の言うことに逆らえないの」
「……、」
「……ね?」
思わず足が止まってしまった俺を引っ張るように、手のひらを重ねて来たミヤビ。
なんでも無いように言ってのけたそれは、なぜか俺をどろどろの何かで包んだみたいだった。
ふと、最初に出会った時のミヤビが思い浮かんで来た。
使い古された雑巾みたいにボロボロで、血で汚れてゴミ袋に埋もれていたミヤビ。
俺もいつか、あんな普通になっちゃうのかな
先を行くミヤビは、さっきとは打って変わって鼻歌でも歌いそうな雰囲気だった。
そんなミヤビを見ていたら世界なんて、なんて事ない様に思えた。
「……まあ、それも良いかなぁ」