BOX





昔から、大切なものは誰の目にも触れさせたくなくて、小さな箱に持って隠しておいた。
だけど、命あるものはそんなことをするとすぐに死んでしまうんだ。そのことに気付いたのは、地面に落ちてしまった小さな鳥の雛を救ったときだった。
だから、それからは生きているものはちゃんとお世話をした。飽きる事は無かったから、死ぬまでひとりで面倒を見た。
宝物はどんどん増えて、箱はどんどん増えて、大きくなっていった。

そんなのは、子供の頃だけの話。
俺は物心ついたときに、自分に手に入れる事が出来ないものは無いと言い切れるほどに恵まれた生活を送っていることに気付いた。
それからは、いままでの宝物をたまに開いてはひっそりと見るだけで、新しく増える事は無くなった。生き物はそれでもちゃんと面倒は見ていたけれど。

だからそれを見つけた時は、本当に嬉しかった。
まだ、俺の色に染める事ができる存在がまだあったことに、俺はとても感動した。
そして同時に、宝箱のなかに閉じ込めて俺だけの宝ものにしたいと思った。


「あ、ごめん……!」

ドン、と後ろから確かな重みが追突をしてきた。身体がふらつくことはなかったけど、固いそれは少し痛かったと思う。
振り返ると俺よりも少し下にある黒い頭が俺を見上げた。

「だい、じょうぶだよ」

「そうか? ほんと、ごめんな」

それだけ言って健康そうな男はニカリと笑い、何も言えない俺の横を通り過ぎて行った。
俺はそんな男の背中に視線を盗られて、俺はその背中が見えなくなるまで立ち尽くした。



よくある大学の飲み会。俺の通っている大学はとても人が多く、飲み会ともなると大勢の人が来た。
代わる代わる横に座る女の子にいちいち付き合うのが億劫になっていた時に、あの健康そうな黒髪の男がこの飲み会にいることに気付いた。

だから、まわりの人たちにあの子は誰だ、と聞きまわったが皆一様に首を横に振る。
唯一知っているという女の子に誰だ、と顔を寄せればその子は頬を赤く染めて彼の名前と学部学科を教えてくれた。

なんでも無い風を装いその男の近くに座ったが、話しかけて来るのは求めている人物とは違うひとばかりで、俺は正直苛立っていた。
それでも少し離れたところで彼が話している内容が耳に入ってくれば、それに耳を傾けてなんとなく笑っていた。
彼が話しているのは全然俺とは関係のないような話ばかりだったが、それでもそれがとても自然で、とても興味が引かれた。

自分で言うのもおかしな話だが、自分が他人に影響しない姿は目新しくてその姿をずっと見つめていたいと思うようになった。
彼は俺が近くにいたとしても、特にこちらが気になる様子は無く、それが悲しくもあり嬉しくもあった。そんな正反対の気持ちを一度に抱いたことは今まで味わったことが無かった。

俺は彼を知っていたけど、彼は俺の事を知らない。
当たり前だ、俺が勝手に彼の名前を聞きまわっただけで、彼とはぶつかったあの時以来話した事は無かったからだ。
だから、俺が彼を見ているだけであって、あれから一度も彼が俺を瞳に映すことは無かった。
それでも俺は自分から彼に話しかけようとは思わなかった、きっと彼に話しかけたら今までのときめきが崩れてしまうと思ったから。

それからは彼をただ後ろからジッと見ているだけだった。
たまたま被る授業の時は、少し離れた後ろから彼の授業中を眺めて自分が彼に影響を与えていないことにほっと息を吐く。
そんなことを他人に言ったら自意識過剰だと笑われるかもしれない。だけど俺は知っている、俺に辛辣な言葉を向けていた人だって瞳の奥底には俺が映っていて、その人と同じように俺を見ていることを。

彼と、話してみたい。
だけどきっとそれをしたら彼が宝物ではなくなるかもしれない。俺はそんな考えから彼になかなか近づけないでいた。

それから少し経ったときに、偶然彼が居酒屋でアルバイトをしているのを知った。
だから、俺は勇気を出してお客さんとして友達を連れだって行ったことがあった。

でも、接客をしに来た彼は俺のことを、……一度顔は見ているはずなのに、全然気付きもしない様子だった。
それもそうだ、普通に考えたらわかる。彼と俺はただ一度ぶつかっただけで、しゃべろうと思って話したわけじゃない。彼の世界では誰かとぶつかった、ただそれだけのことに過ぎなかったんだ。……正直、悲しかった。
だけど俺はそれでも嬉しかった。俺が映ること無かった彼の瞳は、とてもとても自然で綺麗なものに見えた。

それからは早かった。
――彼を宝箱に入れたい
その一心で使われていない物置部屋になっていた家の地下室を片付け、彼が過ごしやすいようにふかふかのソファを運び、簡易的なベッドを組み立てて、空調だって整うようにお金を掛けた。
命があるものはけして小さな箱にいれておいてはいけない、だから逐一様子がわかるようにいたるところにカメラを着けた。

その宝箱が出来上がった時、俺は自分に拍手を送りたくなった。
こんな大きな宝箱は初めてだったし、ゼロから俺の手で作られたものに彼を閉じ込めるなんて、そんな嬉しい事は今までに無かったから。


決行場所と時間はもう決まっていた。
彼の居酒屋のアルバイトが終わったあとだ。
その居酒屋は駅からも少し遠く、わりと人の通らなそうな道にポツリと立っている。その割に繁盛はしているみたいだけど……それでも通るのは限られたごく少人数だ。
俺はそこまでの計画を立てると、もう居ても立っても居られないと言うように彼の行動を観察する為、彼の居酒屋の近くに何度も通った。

そしてその日、彼は居酒屋のドアを開き、何でもないいつもの様子で出てきた。俺はそれを少し離れた柱の陰から見守っていた。

見慣れた深緑のリュック、英字がプリントされている。
今まで何度もそのリュックをこうやって後ろから見てきた、ずっとこうやって後ろからしか見れないと思っていたけど……。


「……っ…ぁ…!」


彼の叫び声は短く、小さかった。
普段見かける居酒屋での彼の声とは正反対で、とてもか細くて、簡単に手折ることができた。
近くに停めていた車に彼を抱き上げて運び、ドアを閉めた。
その瞬間、身体のなかに熱くてドロリとした何かが満たされた気がした。
幼い頃には感じなかった何かは、俺をとても満たしてくれた。

彼が、康太くんが俺に何をもたらしたのかはわからなかった。
だけど後部座席に横たわる彼を見て、パズルのピースがぴったりとはまるように、呼吸をするのが楽になった気がした。

「きみは、凄いんだね」



『オイ! 出せよ変態!』


天井付近に設置してあるカメラに、康太くんは怒り心頭と言った感じで怒鳴っている。
変態、そんなことを叫ぶ彼は見たことが無かった。毎日、彼の新しい一面を知る。
トイレは小さな仕切りで見えなくなっているものの、それでも彼は恥ずかしそうに用を足す。意識しない方が楽だろうに、わざわざ彼は見るなよ、とカメラを睨みつけるようにして。

御飯は、ドアの下の隙間から入れている。食器は色々と危ないと思ったから紙のお皿に入れて出している。
万が一、ここが嫌で自ら……なんてこと、彼はしなさそうだけど分からないから。


毎日毎日、彼は起きるとカメラに向かって叫ぶことが日課だった。
だけど、いつからか怒鳴ることはしなくなり自分の状況を悲しみ嘆くことが増えた。
その時くらいから、彼は食事をあまり摂らなくなって、ベッドに埋もれていることが多くなった。

『もういいや……好きにしろよ……』

彼はその言葉のように手足を投げ出すようにしてくたりとベッドに身体を横たえている。
その顔は見えないけど、元気ではないことが確かだった。

俺はそんな彼を見て、黒いマスクを頭にすっぽりと被り椅子から立ち上がった。

重い扉をひとつ開けて、その奥にもう一つの扉。
そこを開ける事は今まで無かったが、鍵を開ける。

「……康太くん」

声を絞り出すように、その小さく見える背中に声を掛けると、その背中がビクリと大袈裟なほどに揺れた。

「……お前、……俺をここに閉じ込めたヤツだな……!」

ゆっくりと振り向いた彼は、徐々に自分を取り戻していくようだった。
ベッドを蹴り上げるようにしてこちらに向かってくる彼に、俺は受け止めようと手を広げた。

「ふざけんな! ここから出せ!」

腕を広げたままの恰好で石のように固まっていた、そんな俺を通り過ぎて向かったのは勿論後ろのドアだった。

「お前鍵持ってるんだろ!? 早く出せっ!」

俺が着ていた服の裾を引っ張った彼は、ビクともしない俺の身体を見てひどく苦しそうな顔をした。当たり前だ、ろくに日光も浴びず、最近では食事を摂らず寝ていた彼に、そんな大層な力が残っているとは思えなかった。

「出せっ……出せよぉ……、」

足元に縋る様にして、足に抱き着かれる。
ドクリ、と心臓が大きな音を立てる。
彼の触れた所から、熱が伝わってきて全身に伝導する。

俺ははじかれたようにして、彼から身体を離して、すぐさま扉に駆け込んだ。

「待って……! 俺も出して、……」

叫ぶ彼の声を背中に受け止めて、俺は冷や汗をかきながら部屋に戻った。
カメラの映像に映る彼は未だに床に座り込み、猫のように丸くなっている。

俺はというと、未だにドキドキと心臓が煩く音を立てて、彼が触れた足からはじわじわと熱が広がっていく感覚が冷め切らない。

マスクを外すと、自分の呼吸が荒くなっていることに気付いた。そしてふと異変を感じた下半身を見れば、元気になっている自らのそこに俺は衝撃を受けた。

今までは宝物だと、本当にそう思っていた。
誰にも見せたくない、自分だけのものであるべき、そんな思いだって今と同じなはずなのに。

なぜ康太にはこんな、身体が熱くなるような欲情のような感情を抱くのかは分からなかった。
でも1つだけわかるのは、康太は今までの宝物とは全然違う別格の存在だという事だった。

康太に触れられたところがとても熱い……なぜかもっと欲しくなってしまう、ずっと康太に触れていたい。そんな思いが俺の身体の中を暴れ回るようにして思考を侵していく。
……今までは手に入れて、そばに置いておくことで満足できていたのに。

ちゃんと話した事さえ無いのに、ただ周りと違うというだけでこんなにも人に惹かれるだなんて思いもしなかった。きっと康太にとって俺は周りと同じような存在、もしくはそれ以下なのだろう。
だけど、それがとても興奮する。でも、彼の中に入ったらどうなるのだろう……以前はそれがとても怖かった、だけど今は分かる。
きっとそれはとても気持ちいいことなんだ、彼の中に入るという事は。だって触れただけでこんなに身体は熱くなる、きっと康太と喋るだけでも心臓は音を立てて火傷するくらい熱くなるに違いない。

俺は少し息を整えて、流れ出ていた汗を拭った。
モニター越しに見る彼はぼうっと空中を見上げるようにこちらを見ていた。
目が、合っているはずなのに……それだけじゃ足りないと頭の中で誰かが叫んだ。

俺は焦るように先ほど放った鍵を再び手にして、足早に駆け出した。


「康太、くん」

丸まった背中に声を掛けると、ゆっくりと康太が振り向いた。
初めて、彼に対して名前を呼んだ。なんだかとても顔が熱くて、火でも出てるのではないかと思うほどだった。
恥ずかしいのと嬉しいのと、焦る気持ちでいっぱいいっぱいで……どうやって彼に好かれようかを頭で考えるばかりだった。

「……お前、は……」

「は、初めまして……っていうか、前に何回か会ってるんだけど……、」

そう言いながら康太に近付くと、康太はビクリと肩を揺らして俺を驚愕の瞳で見つめて来た。

「嶋谷……!」

「えっ、俺の名前知ってるの……!
そうなんだ……嬉しいな……」

俺は少し照れつつ笑った。康太と話せた事によって喜びが頭を埋め尽くした。

「な、なんでお前がこんなこと……俺、お前になんかしたか……?」

「そうだね、康太くんとの出会いは俺にとって衝撃的だったよ
でも、康太くんも俺のこと知っていてくれたんだ……同じ学校って事も知ってる? あの日ぶつかったことも……」

そう言っていて、なんだかまるで俺が康太を責めているみたいではないかと心配になった。
案の定、康太の顔色は見る見るうちに青ざめていった。

「ああ、違う違う! 責めている訳じゃないよ、ただ覚えていてくれるのか知りたくて……」

ヘラリと笑って見せるが、未だに康太くんの顔色は青ざめている。
どうしたんだろう、もしかして本当に体調が悪いとか……風邪でもひいてしまったのだろうか。

「おまえ、……顔を見せて……」

「ん? うん……これの方がわかりやすいかなって思って」

康太くんはなぜか俺の顔を見て青ざめたようだった。
少し、顔には自信が有ったんだけど……人の好みはそれぞれだもんね。しかたない。

「ここから、俺を出さないつもりなんだ……」

「え?」

「そうなんだろ、だからそうやって顔を見せてきたんだろ!
ふざけんな! はやくここから出せ! クソッ」

「あぁ、ははは」

ようやく康太が言っている意味と青ざめている意味がわかった。
確かに、よくドラマでは誘拐犯が自分の顔を見せられたら殺す、というのが定番だろう。
だけど、そんな……俺がしているのは誘拐だなんて下劣なものじゃないのに。

「殺すだなんて、そんな物騒なことはしないよ
だって君は俺の宝ものだからね、ずっと大切にしなくちゃ」

「たからものって……なんだよそれ、」

揺れる瞳がじっと俺の真意を探る様にして見つめて来る。そんな瞳が可愛くて仕方なかった。
こんなに近くで見れたのに、俺は今までなにを恐れてあのモニター越しに見ていたのだろうか。彼はこんなにも新しい表情を見せてくれると言うのに。至極もったいないことをした、と俺は少しへこんだ。

「大丈夫、康太くんは心配しなくていいんだからね
康太くんはそのまま、俺の前で生きていてくれさえすればいいんだから」

「な、なに……」

顔を引きつらせて、恐ろしいものを見ていると言った風に俺を恐怖の瞳で見つめる康太くん。俺の言っていることが分からないのだろうか。

「これからはずっと一緒だね
もう怖くないよ、だってふたりなんだから」

「ち、ちが……俺が怖いのは、」

「ごめんね、ずっとひとりきりでこんなところに閉じ込めてしまって
そうだよね、一人きりなんて寂しくて苦しくてつらいだけなのにね」

少し痩せた康太の頬に優しく触れる。すると、触れた指先から熱がジワリと伝わって来た。
この感じ、今まで味わったことが無かった。今は理解できる。
きっとこれが、生きているという感覚なんだ。

「きみは凄いね
俺に生きる意味を与えてくれたんだから」

思えば、康太に出会ってから、つまらなかった大学へ行くのが毎日楽しかった。
あれだけ億劫だった人との付き合いだって息をするように自然にこなせた。
すごいな、康太は。

「だから俺も、康太くんに生きる意味をあげたいな」

ゴクリ、と息を飲んだ康太の喉がゆっくりと上下するのが見えた。
それを見て俺は皮が薄くて美味しそうだと、なぜかそう思った。

「やだ……やめろ……出せっ!
ここから出せよぉおお……!」

吠えるようにそう叫んだ康太に、俺はゆっくりと腕を伸ばした。

俺がきっと康太を幸せにしてあげるんだ。
俺が感じる幸福よりももっと上の、これ以上無いってくらいの最高のものを。



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