裏切った者が死んだ夢を見た、裏切られた者が殺した夢を見た。

薄暗い真昼間、文机に向かい紙に筆を滑らせていると、突如掛かった声に、斎藤は其の書きかけた手紙を右手でぐしゃぐしゃにしてしまった。
丸まって合わさってしまった紙には、じわりと墨が滲んでいる。その黒の広がり様を、服部は黙って見ていた。

「急に後ろから声を掛けて申し訳なかったね、もう二度としないように心掛けるよ」
「いえ、…私の方こそぼんやりしていてすみません」
「手紙、読めなくなってしまったね」
「これは手紙ではありませんから、気になさらないで下さい。」

着物の擦れる音だけが耳に残る。
服部は斎藤の腰を引き寄せ、畳の上へ押し倒すと、藍色の着流しを捲り上げた。

「手紙ではなかったら、報告書かな?」

露になった白い太腿を撫で上げながら、斎藤の顔色を窺っている。
服部の着物衿にそっと触れた、呼吸が、靜である。

「言葉遊び──、只の暇つぶしです」

互いに探り合っている唇が合わさるのは、希に逢を覚られぬ。



「洒落た事を。言葉遊びなんて出来ない癖に、身体だけは素直なんだね」

気付かれない方が良いと思っていた事が、気付いて欲しいと願う自身に変わったのはいつからであったか、斎藤は悦を見やりながら考えた。
卑しさに吐き気すら覚えたが、それよりも気持ちが先に行っている。現実はいつだって自身の真っ直ぐな気持ちを無礙にする。どうにも成らぬ、どうにも出来ぬ想いが流れたとすれば、何が残るで在ろうか。

「ほうら、もう、喋れない。言葉遊びはどうしたの?」

服部の首に必死にしがみ付き、肩を震わせている。足を這う黒い帯と、白い足に映える白い足袋。どちらも執愛である。
それらを奪い取る様に、斎藤を自身の膝上から文机へと乗せた。数枚程置かれた白い紙が、水に浸された様に既にぐしゃぐしゃになって破けている。

「何を報告するのかは知らないけれど、君の愛液で濡れた紙を、文として送ってあげればいい。きっと喜ぶと思うよ、あちらさん。だって、君のだから」

片膝を立て、斎藤の下唇を甘噛みする。呼応もしない互いの感情は、唯流れ逝くばかりか白木の札が騒ぐ。


「服部さん、…すき、」
「嘘はね、使えるのは一回まで。君は何回嘘を付くの?」


部屋の隅に投げ捨てられた手紙を拾うと、未だ墨が乾いておらず左小指に墨が付着してしまった。
舌打ちをすると、斎藤の左小指がピクリと動く。彼の白い太腿と頬は濡れていた。そしてほんのり、朱い。そうさせたのは紛れもなく、服部自身なのだが──。

「君が書きかけていた此の手紙、裏切り者と称する品にしても良いね。君は殺されてしまうかもしれないけれど、」
「嘘なんか、つきません…」
「最期に言いたい事でも聞いてあげようか」
「…──“お慕いしております。”」

本当の泣き顔であった。
部屋を出て足早に廊下を歩き、柱に寄りかかり、一息をつき、左手に握った手紙を広げる。


墨があちらこちらに滲んでいたが、其処に書かれた言葉は言葉遊びでも何でもなく、部屋を出る時に言った、斎藤の一言そのものが一文として書かれてあった。
恋文の宛名は、服部自身である。

胸が痛くなったのは、これが初めてであった。



「ほんとうに、馬鹿な事をするんだね」



右手で恋文を握り締めると、柔らかくも壊れゆく音がした、ぐしゃりと悔いて。
裏切ったのは、どちら様。

end











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