雨が降り続いていたのは何刻前か、屯所の中庭には大きな水溜りが出来ていた。其れは何も寫さず、どんよりとした空模様だけを模倣し、泥沼へと朽ちている。

「此のお茶おいしいんだけどさァ、土方君を前にして飲むとクソまずくなるよね」

鼻で笑い、佐々木は冷たく微笑して見せた。
湯呑を転がすと、どうにも盆の中身は黒く揺らめく。

「身体が冷えたから温かい茶を出せと言ったのはテメェだろうが」
「客人に茶を出すのは当たり前でしょ、しかも御宅の大事な飼い猫をこの雨の中届けてやったんだからさぁ感謝ぐらいして欲しいもんだよ?」
「勝手に連れ去って行きやがった奴がでけぇクチ叩くんじゃねェよ」
「じゃあ連れ帰って来なきゃよかったかなぁ」


ザワリと空気が澱むと共に、此の光の入らぬ黒い部屋ごと絞め殺されてしまいそうだった。


「今、俺のこと殺したいって思ったでしょう」
「くだらねぇ事を問うな」
「目は口ほどに物を言うから、図星だと思うけど。」

鬼というものは存在しないが、存在すると云うならば、此の男の様な目を鬼と云うのであろう。そして自身を満たすために全てを奪う。
鬼とは醜い人間である、そう思いながらも佐々木は息を吐いた。

「あんた、あの子の所有者みてーな顔するけど、あの子の何を知ってるって言うの?何も知らないよね?」

膝をつき刀を右腰に差して、ゆっくりと立ち上がる。気が遠くなりそうな感覚に、吐き気を催していた。



「あの子、昔に俺がやった短刀を今でも大切に持ってンだよ。着物脱がした時に懐から出てきて…あの恥ずかしがる顔がたまらなかったなぁ」






──雨が匂いを消した。

一室から響いた音に、斎藤は戸を開ける。
「土方…、さん?」
暗い部屋の隅に、粉々に割れた湯呑が転がっていた。俯いたままピクリともしない土方の肩へ手を添わせ、隣に腰を下ろす。雨が、また降り始めている。

「佐々木さんはもうお帰りになられたんですか…?」

土方からの返事は無かったが、自身の首を握ってくる爪が痛々しい程に嘆いていた。

「無駄な事を聞いて、ごめんなさい…。」

絞殺されて川に投げ込まれた白い死体を、ふと思い出す。

「お前、いつも懐に持ってる短刀は、何のために在るんだ…?護身用じゃねぇのか、」
「護身用でもありますが…、自らの命を絶つ時に在るものです」
「役立たねぇ短刀だな。お前はこの雨の中、佐々木と何処に何をしに行っていた?」
「……それは、あの短刀で佐々木さんを何故殺さなかったのか…、という意味ですか、」

あの死体は何処で見たのか、あれは小さな頃に江戸で見た死体だった、それを見て横にいた彼は何と教えてくれたのだろう。


「懐に持ってる短刀を、中庭の泥水の中へ捨てろ」


確か橋の欄干から死体を見下ろして、彼は笑ったのだと斎藤は思い出した。そう、佐々木は死体を指差しながら笑って、自身の頭を撫でてくれたのであった。

「この短刀を泥水の中へ捨てる事は出来ません。これは大切な人から頂いた物なので…これだけは土方さんの言う通りに出来ません、お許し下さい」

唾を飲むと、喉が苦しそうにゴクンと鳴った。
息はまだ出来る。雨はまだ、降り続く。



end











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