たった今、自分が斬り捨てた男の血まみれの顔を、沖田は懐紙で拭った。
薄く血が付着している所は既に渇き、所々は拭っても、飛び散る褐色は消える事はなかった。

「優しいね、とても」

熱心にしゃがみ込んで死体と向き合う沖田に、服部は柔らかく声を掛けた。
彼はとっくに刀を鞘へ納めている。太陽の逆光で、座っている沖田からは表情がよく見えなかった。眼を細めても、頭の中がチカチカしているだけである。

「優しいなんて、初めて言われました。」

言葉を返す。
“優しい”と言われるのは何だか慣れていない気がした。それと同様に、何の拍子なのか先程の悲鳴をふと思い出す。鈍い声だったと思う、刀で肉を切り裂く感覚と呼応は全くしていなかった。何だか、軽いようで重たかったのだ。
太陽を見上げすぎたのか、周りが変色するように、どうにも輪郭が分からない。

ばきっ、

悲鳴も鈍いと感じていたぐらいなのに、小さく響いた音は妙な空洞がある。先程までは此方を向いていたはずの殺してしまった男の顔は、地面を向いていた。
沖田が綺麗にしようとしていた殺した男の頬を、服部が踏みつけている。そうして、力強く肩を蹴ってアチラの方向へ押しやっているのだ。

首が捻れ、伸びている。血まみれの頬は踏まれたせいか、砂だらけ。聞こえた小さな鈍い音は、首を折られた音であった。案外、簡単に首と胴体が互いに反対方向へと向いたものだ。

「結局、汚れるんだよ。もしかして、君、無駄な努力が好きだったりするの?」

そういうわけではない。
無力感を感じた事はあったが、意味があると信じて成してきた、のだと思う。そう沖田は心の中で繰り返した。それこそ意味はあるのだろうかと問うたけれども、

「懐紙は屑みたいな死体の顔を綺麗に拭くためのものではないよ」

服部は新しい懐紙を懐より取り出し、沖田に差し出そうとしたが、その懐紙は血だまりの上にひらりと落ちた。
朱色に侵食されていく。わざとらしくも、どうしようもない。

「何で首を折ったんですか、死んでしまったからって、感情や痛みが分からないからって、人形みたいな扱いはやめて下さい」

沖田に言われ、何を思ったのか服部は静かに嗤った。太陽が雲に隠れてしまっている今、よく見えてしまう表情に足底より痺れが起こっている。風車が逆回転している。

「死んだら動かないから、人形と同じだと思うけど」
「違いますよ、そんなんじゃない…」
「じゃあどうして君は人を殺してしまうの」
「殺す理由があるからです」
「理由って、局長さんのため?」
「私には近藤先生を守る義務がありますから」
「それ、結局“人形”って意味だね」

有意義な行動はない。

「局長さんが殺せと言ったら殺す。沖田君は自分の意志で動いてないんだね?」
「……。」

行動を起こさないわけでもない。望む結果であるにしろ、そういう風に笑ってみせる。芯が失われてしまったように、力なく瞬きをした。溺れるのは良いことか──、?

「沖田君が大切に想ってる人を自ら殺しちゃったとしたら、君はずっとその死体に執着しているのかなぁ…後悔と共に」
「どういう、意味ですか…」

夕立雲が天穹を突きぬけた。灰の中にも忌みは在るとすれば、気が侵して推定を呈す。

「大切な大切な、君の一番の理解者でもある斎藤君、いらなくなったら殺してしまうんだね、君が」
「あなたが何を仰っているのか、私には理解できません」
「理解しようとしないんでしょう?」
「…馬鹿にするのもいい加減にして下さい。一君は私の一番の友人です。絶対に殺さない。そういう事を聞くあなたがおかしいです。何を根拠にそういう事…決めつけたように頭ごなしに言ってくるのですか?…意味が、分からないです」
「へぇ、それって、私を窘めているの?」




聞きなれた声が聞こえた。
息を切らしながら石段を、下から下駄を鳴らしてのぼってくる。

「生きていても人形みたいな扱いされてる子、いるじゃない」

くすりと笑い、石段の下を指差した。

「あやつり人形の紐、切るのも簡単。そうしてそれを手にするのも簡単」

沖田と斬り殺した死体と捨てられた風車を残したまま、服部は石段を一段ずつゆっくりと下って行った。また、聞きなれた声がする。頭がひどく痛み、吐き気がする。

「お前っ……汚い手で一君に触るなっ…っ!」
「君みたいな傲慢で汚い人形さんは誰も欲しがってはくれないよ」

下駄の音は幾度なっただろうか、ふらりと立ち上がると、石段を降りて行く二つの影が見えた。
ぐにゃりと視界を揺らすように座ると、砂埃が袴を汚す。大切な人の一番ではない自分、失望する自分、泣いている自分、沖田は自分自身でどれを選べば良いか分からなかった。
(自由なのは案外狭いのかもしれない。誰ひとりとして殺す事は出来なかった、感情のせいだった。)
「もうどうしていいのか分からなかった、」




「息を切らしてどうしたの…?石段の下を待ち合わせ場所にしていたはずだったけれど」
「いえ…服部さんの姿が無かったので、不安になって上がって来てしまいました。…それと、」
「なぁに?」
「沖田さんの声が聞こえたような気がして…。」
「こんなところに沖田君がいるわけないよ、斎藤君と私の二人きり」
「二人、きり…。」

服部は立ち止まるなり、斎藤の紅い頬へ触れてみせる。


「君はいつ見ても人形のように綺麗な顔をしているんだね」






独り残された沖田の隣で、風車はまわり続け、壊れていく。
いつの間にか、死体と目が合っていた。


end











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