深緑を揺らめかせた其れは、名も知れぬ花を薫じて皚風の程となる。 虚ろな眼をしたまま仰向けになり、ぼんやりとしていた永倉の腹に“どすん”と鈍い音が乗せられた。 「ぐえ…っ」 内臓が押しつぶされるような衝撃に、永倉は眼を見開く。 「おはようございます」 目の前の青年は悪びれる様子もなく、自身の腹の上に座っておきながら、礼儀正しく朝の挨拶をした。そうして、くすりと笑いながらも「今の声、蛙みたいな声でしたね」と余計な一言も付け加える。こういった冗談に、永倉は眉間に皺を寄せた。其れはいつもの事である。 「蛙みてーな声を出させた原因はお前にあんだろ、ハジメ。いきなり人の腹の上に乗ってくンじゃねェよ…」 「びっくりしました?」 「当たり前だろーが、アホ」 「アホは永倉さんでしょ」 肌蹴た着物の衿を辿り、永倉の鍛えられた厚い胸板にひたり、斎藤は白い手を当てた。熱も持たぬ指先がひんやりと冷たく、永倉はその指先を握りこむ。無意識に、 「今日のお味噌汁、味気なかったです」 「じゃあ味噌が足りなかったのかもな」 「まずかった。」 「ああそう」 「永倉さんが食事当番の時は、いつもおいしくないです」 「だったら食うな」 「でも、ご飯の炊き方は好きです、おいしいから」 「……ん、」 無意識に、斎藤の白い手を自身の頬へと当てた。ぴくりともしない冷たい親指が、唇に重なる。どれほど自分の身体が熱いのか、どれだけ中が渇いているのか。それは、欲するのか、させるのか。 「なぁ、お前もう腹の上からおりろよ」 「苦しいですか?」 「重てェ」 「もう少し跨っています。永倉さんの苦しい顔、もっと見ていたいから」 「何だよそれ…嫌がらせか、てめぇ」 「だめですか…?」 「いや、ええと、なんつーか、」 こういう事をいうのは、気が引ける。類義を述べるとすれば、物事を中々前へ進めることができない、そしてやはり物事を積極的に進める意志が薄弱であること。前者も後者も同様。考えていないようで考えている、常日頃。こういうことは苦手だった、苦しいのは好きじゃない。 「困った顔、してますよ」 「だからそれはお前のせいで、」 だから、それで、なんだっけ。言葉を繋ぐ言葉が次々と出てくる。そういうのは出てくるものらしい。斎藤の手を強く握っている事に気づき、力を緩めた。それでも温かくはない。 「騎乗位、してるみてぇ」 左手が、斎藤の右腕をするりと滑る。 右手は、腰の輪郭をなぞって左の太腿に置かれた。ああ此処も全て冷たく感じるのは、誰のせいだろう。融ければ具合良く混ざらないだろうか、無理だろうか、 ミシ、と畳が鳴る。 腰を上下にニ、三回程動かしてみると、シているかのように斎藤の身体は永倉の腹上で揺れた。しかし、込み上げてくるどうしようもない感情は無い。 「満足…?」 「こんだけで満足になるかよ」 「じゃあ、どうしたら満足になるんですか、永倉さんは」 「なぁ、もう苦しいからおりろよ、ハジメ」 「おりられませんよ、永倉さんからしっかりと腕、握られているんだから。」 「違っ、これはお前の身体が冷たくて…それで、なんつーか、気持ちよかったからで、」 反射的にパッと手を退けると、崩れるように斎藤の身体は永倉の上へと被さった。視線が合わない。どんな表情をしているのだろう、互いにそればかりを考える。 「お前急に力抜くなよ…。頭打たなかったか?」 「永倉さんがいきなり離すからです」 「悪かったって、」 「中の支えもないから酷くぐらぐらして、こんな事になるんです」 「…なっ…!」 「今、いやらしい事考えましたね」 「ハジメが変なこと言うからだろがっ」 細い肩を握り込み、斎藤の上体を持ち上げた。 「ね、不安定でしょ?」 「誘ったの、お前なんだから…後で文句言うなよ」 見つめあったまま、視界に映る景色が反転するのは走馬灯のようでもある。 「イきそうな時に騎乗位な。それまで俺に主導権渡せ」 「…それじゃあどろどろになってるから、結局ぐらぐらしちゃうじゃないですか、」 「支えてやっから、手ェぎゅっと握ってろよ」 「…うん。」 少しだけ開いている障子の隙間からは、何も見えなかった。簾が日差しを塞いでいる。先程まで冷たかった指先が、異様な程、熱い。 「どろどろになって必死にしがみ付いてくるハジメ、好きなんだよな」 「それこそ嫌がらせです…」 見えもしない空模様と致しましては、心と同じように、断雲が動き出している。通り過ぎ流れ行き、重なり辿り付く果てなど、誰も。 徒雲のように、沛然として。 end ← ×
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