無力感が訪れるのは、決まって三日月の夜でも、満月の夜でもなかった。気分に伴わず突然現れるソレは、震えそうな手を握ってもくれなかったのである。


「知ってるんだよね、何もかも。私が必要なんかじゃなくて私の腕が必要なだけっていうのは全部知ってる。平助はそんなことないよって必ず言うけれど、それは慰めにもならないし、そんなことを言う平助は嘘吐きだなって思っちゃうんだよね、私。平助は人柄が良くて羨ましいな。私には剣しかないもの。剣を振るえなくなったら終わり。あの人を斬れ、この人を斬れって、近藤先生も土方さんも…誰も言ってくれなくなっちゃだろうし、一君も永倉さんも、きっと同情するんだよ。原田さんは心配してくれると思う。平助は、どうする?私のこと終わりだと思う?」

平助は困ったような顔を覗かせた。
伏せるべき眼球は、暗緑色に輝いている。

「そんなことないよ、沖田さん」
「ほら、やっぱり。だからそんな言葉かけはいらないって私さっき言ったばかりだよ」
「だって、本当にそんなことないよ、沖田さんは。」
「じゃあ私から剣を取ったら何が残るの?」
「剣は無くなっても、沖田さんは沖田さん。僕は変わらないと思う」

溜息を吐くと、白くなって霧みたいになって、すぐに消えた。私と同じで、心境はこんな感じだろうと自覚さえしている。時々、感情というものは邪魔にしかならない。一番持ちたくないものを持って、無くしもせずに温めて、それから吐き出せないでいる。そういうのは、少し困るのだ。よく分からない感情を制する事も出来ない自分に、少し不安であるから。

「沖田さん、大丈夫?」

他人は幸せに見える。それはそういうものではなくて、確実にそういうものであるからこそ、現実。何にも成り下がらない。不確実。あからさまに不幸せなのは自分であった。そして、今も。

「大丈夫なんかじゃないよ、…大丈夫に見える?」

剣だけ、誰もが口を揃える。剣を無くせば結果は目に見えている。皆、失望する。正反対に、平助は私と違って馬鹿正直で要領悪くて他人に好かれている。剣なんかなくても、皆に必要とされて笑っている。

「心の底から笑ってなかったの?」
「平助、私の事馬鹿にしてるの?笑う事しか出来ないって思ってるの?」
「思ってないよ」
「無理して笑わなくていいのに」
「やだよ、無理して笑わなきゃ皆離れて行っちゃうもん」
「行かないよ、僕ずっと沖田さんの側にいるよ」
「嘘つき、平助。」
「本当なのに」

優しいという言葉に、息が詰まる。他人に優しくしてどうするのだろう。優しい言葉かけをして自身は何を得るのだろう。優しくしてもされても、慣れあっても、結局何もならない事は知っている。自分を見てくれる人はいない気がする、いや、そのような人間はいないからだ、何処を探しても探しても出会えぬのだ。

「沖田さん、暗い事ばっか考えてると嫌な事ばっかり起こっちゃうよ?」
「明るく考えたって嫌な事ばかり起こるよ、意味なんかない」
「僕ね、昔ね、母親の元からずっと逃げ出したいって思ってたら本当に逃げ出せたよ?夢は叶うんだから」
「でも平助はお母さんから殴られたり蹴られたりしてるじゃない。それ、逃げ出せてないよ。夢なんか叶わない」
「…逃げ出したもん、知らない人が助けてくれたよ?」
「平助のお母さん可哀想。私は助けてって願っても誰も来なかったよ、父上も母上も姉さんも、誰も迎えに来なかった。平助が羨ましい。身体中の傷跡は羨ましくなんかないけど、」
「…うん」
「ごめん、傷ついた…?」

聞くと平助は黙ってしまった。きっと、多分傷付けてしまったのだろう。でも私には関係のない事。平助の苦労なんか知らないし、私は痛くない。だから分からない。他人なんか所詮これっぽっちも分かるわけがない。そして私を理解できるわけがない。

引いた一線を越えてくる平助が苦手だった。

「私を友達、なんて呼んで、いつも自分のことより他人の事を考えてる平助はあまり好きじゃなかったんだと思う。」
「どうして?僕の事を友達って言ってくれたの、沖田さんなのに」
「重たく考えないで」
「僕にとっては軽くないよ」

だからそれは平助の勝手な言い分でしょう。

「沖田さん、無理しないで」
「善人にでもなったつもり?」
「嫌いでいいよ、僕の事。でも僕は沖田さんの事大好きだからね。」
「そういうのほんと、やめてよ…」
「いつも笑ってる沖田さんも、卑屈な沖田さんも、こうやって僕の事嫌いって言ってくれる沖田さんも、全部は結局同じだよ」
「平助はいつもそうやって、私から大切な人を惹きつけて、奪っていくよね」
「だから嫌い?」
「うん。」
「心の奥底、理解されないでいいと思うよ、誰にも。作ってる自分でいいと思う。自分自身がちゃんと自分自身を理解できていれば。きっとそれが大切なんだと思うよ、沖田さん」
「ほら、平助だって自分を作ってたって事じゃない」
「だけど、沖田さんの事が大好きなのは嘘じゃないよ」

もう一度嘘じゃないと呟いて、平助は目を閉じた。解っている様な顔をしていた。何も知らないクセに、とは不思議と思わなかった。

笑うなんて出来ない。深刻な顔をして記憶を辿る。別に嫌われていても好かれていても関係はなかった。どうでも良かった、心底。
「私のこと、嫌いだったくせに」
言うと、平助はもう一度だけ目を見開いてこう言った。
「大好きだよ、これからもずっとずっと側にいるって言ったじゃん。もう忘れたの?」
私は急に怖くなって、捨ててしまいたくなった。燃やしたくなった。

そうして脅えながら私は平助の首を土の中へ埋めなおしたのである。

end











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